鮎川鮎美はへこまない!!

よもやま さか ( ぽち )

第1話 鮎美登場


「鮎美ちゃん、ちょっと」


「はーい」

そう明るい声で答えたのは鮎川鮎美(22)。


「返事はいいね。ここ間違えてる。ここは「わ」じゃなくて「は」だから」


編集長の大倉は印字された数枚の書類をパチンと指ではじきながら言った。


「そんなあ」


「そんなあ、じゃないよ。小学生か君は!!」


「わたしわ~」


「いいか。ここは出版社だからね。君はプロの編集者。自覚してる?」


「あ。はい」


編集長の大倉は長いため息をつきながら大玉ウメキャンディーを口に放り込んでいた。


大玉ウメキャンディーが大倉編集長の口にすっぽり収まった丁度その時、鮎川のスマホに着信音が響いた。


ホルホルホルホル……

ホルホルホルホル……


「大倉さん、出ていいですか」

「…出ろ!」


そういわれて鮎川は少し体をひねってしゃがむようにして電話にでた。


「あ、はい。もしもし。お母さん!!」


やはり彼女は緊張していたのだろうか。母の声に頬を赤らめて目にうっすらと涙をにじませた。


「うん。採用されたよ。ありがとう。もう出勤してるよ。うん。大使館の機関誌とか社内報を請け負って出版する会社みたい」

……


「ありがとう。うん。ビルとかすごい古いけどね。すごく安定してるお仕事だって。昭和の20年ごろからある会社なの」

……


「うん。それからお父さんに」

……


「お父さんにラセン録画しておいてって。帰った時に必ずみるから」

……


「うん。いいよ。本当にありがとう ……」


ツー…


「すいませんでした」


「お母さん元気だったか」


「はい。ありがとうございます」


そういって鮎美は本当の天使のような笑顔を見せたのだった。


  ___________________


「ハッキリ言うよ。彼女はなんでもルックスがいいから採用されたんですって」


校正の古谷恵子は、鮎川が編集長と話しているところを遠目に眺めながら後輩の岸本みゆりに大きな声で言った。


「なんですって。誰が言ったの」

「誰って、副社長と大倉編集長が直接話しているのを聞いたのよ。給料だって破格だからね」

「まじ?」


「副社長、本当に可愛いんですよ。あれだけ可愛きゃ成績とか関係ないっすよ、って編集長が言ってたの」

「何それ。相当来てんじゃん」


聞き手の岸本もそうとう来ている感じである。

「そうね。それに大学も北海道大学の水産課。畑違いもいいところなのよ」

「それで『は』と『わ』を間違える?完全小学生以下レベルってこと?」

「ルックス良きゃ何でもいいんでしょ」


古谷と岸本の噂話は尽きることもなく――

午後のオフィスに不思議な色の渦巻きを延々と作りつづけていた。


実際、鮎川鮎美の容姿は本当に特筆すべきで、彼女が歩いてくるだけで空気がかわり、仕事中の男も女も筆をおいて彼女に注目せずにはいられない。


特にこの官庁回りや大使館周りの出版物を受注するのにこれは実に大きなアドバンテージになる。これはこの界隈での古くからのしきたりでもあった。


とはいえ原稿にあまり誤字が多いと割を食うのは校正のスタッフ……


大倉編集長は新人の鮎川に全員の茶を入れてくるように命じていた。

母親からの電話に話の腰を折られたような形になっていたから。


出版社始まっていらい、「わ」と「は」を、なんなら「を」と「お」を間違えそうな新人編集者が入社してきたのは悩ましい。と言っても採用したのは大倉本人であったのだが ――



だが茶をいれるにしては時間がかかりすぎている。


「おい、岸本ー。鮎川見て来い」


「どうしたんですか、編集長」


「給湯室にいかせたら20分もかえってこねえ」


「わかりました。見てきますね。給湯器とかが分からないのかもしれませんね」


と、言ったその時、給湯室方面から大きな『爆発音』が聞こえてきたのだった。



  ――――――――――――――――


一話をお読みいただき、ありがとうございました。


引き続き二話もお楽しみください。いよいよ彼女の本領発揮です!

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