レンズの向こうに

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レンズの向こうに 第0話 湖畔の町

 長野県の山あいを抜けると、湖面が突然ひらけた。

 九月の光はまだ夏の名残を抱えながらも、空気の奥に冷たさを含んでいる。

 木崎湖の水は、風が止むと鏡のように山を映し、漕ぎ出したボートの波紋がゆっくりと広がっていった。


 湖畔の商店街は、観光シーズンを過ぎて人影もまばらだ。

 古びた看板の下に「写真館」と墨書きされた木札が揺れている。

 引き戸を開けると、乾いた木の匂いと、現像液のかすかな残り香が鼻をかすめた。


「いらっしゃい」


 奥から現れたのは、白髪を後ろで束ねた館主だった。

 壁一面に額装されたモノクロ写真が並び、その中には、湖畔の桟橋や、雪に覆われた山道、祭りの夜の提灯があった。


「撮らせてもらってもいいですか」


 許可を得て、店内を歩きながらシャッターを切る。

 棚の奥、埃をかぶったアルバムの中に、一枚の集合写真があった。

 湖を背景に、十数人が並んでいる。中央の女性は、少し俯き加減で笑っていた。

 その背後、遠くに観覧車の輪郭がかすんで見える。


 ファインダー越しに、その観覧車を切り取った瞬間、胸の奥に胸の奧で何かがかすかに軋む感覚が残った。

 何かを思い出しかけているような、しかしまだ形にならない感覚…。


 撮影を終えて外に出ると、湖面は夕陽を受けて金色に揺れていた。

 商店街の端に、小さな食堂が灯りをともしている。

 暖簾をくぐると、湯気の立つおやきと、香ばしい五平餅の匂いが迎えてくれた。

 焼きたてのおやきを頬張ると、甘じょっぱい味噌の香りが口いっぱいに広がる。

 この味もきっと忘れないだろう…。

 窓の外では、湖面がゆるやかに暮色へと溶けていった。


 この町の名前を、湊はまだ深く覚えていなかった。

 ただ、ファインダー越しに見た光と、口に残る味だけが、確かに心に刻まれていた。

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