学長選挙編

序章

01:学長選挙開幕

「ルーンヴァルト魔法大学、学長選挙を執り行ないます!」


 音響魔導具で増幅された若くも毅然とした声が、大陸随一の学術機関である『ルーンヴァルト魔法大学』の大講堂に響き渡った。


 声の主は、アイリス・マギクラフト。

 大陸随一の巨大企業『マギクラフト社』の令嬢であり、この歴史ある魔法大学の、史上最年少の『理事長』である。彼女の紺碧の髪と緊張を湛えた琥珀色の瞳は、壇上の照明を反射し、聴衆の注目を一身に集めていた。


 大講堂には、全教職員と各学年から選抜された学生代表らが集い、異様な熱気と緊張に満ちていた。

 無理もない。この学舎は、つい先頃まで存亡の危機に瀕していたのだ。

 それは『幻惑の魔女による大学乗っ取り事件』として、今や大陸中に知れ渡っている。


『アンブロシア』と名乗る謎の女性講師が、魔法原理の外側にある未知の術。

 すなわち、人の『心核』に作用し信頼関係を根底から破壊するほどの幻惑の力を用いて、当時の学長と事務局長を傀儡かいらいとして掌握した。


 学費の不当な吊り上げ、謎の人事介入、そして果ては『霊銀鉱山都市ティルティウム』による国家転覆計画だったことが判明した。その全てが、この大講堂の厳粛な空気の中に影を落としていた。


 その陰謀を打ち破ったのは、一人の不遇な魔導技師—バジル・アークライトの『論理と技術』だった。


 彼の発明した『魔導ドローン・シーキングアイ』は、魔女の認識阻害すら無効化し、陰謀の決定的な証拠を掴んだ。アンブロシアは逃亡したものの、元学長と事務局長は法の裁きを受け、その座は空席となった。


 大学の信頼は地に落ち、運営は麻痺状態に陥った。

 その混乱を収拾すべく、アイリスが理事長の座に就任したのである。


 彼女が直面した最大の課題こそ、この『学長不在』という問題であった。

 事件の直後、アイリスが率いる新理事会は、大学の秩序を一日も早く取り戻すため、大陸全土に向けて新学長の『公募』を開始した。


 だがその試みは、早々に暗礁に乗り上げることとなる。

『ルーンヴァルト魔法大学』は、単なる魔法学園ではない。


 そこには『魔法原理学部』『魔導工学部』『法務政経学部』をはじめ、多様な学部が存在し、天性の《魔核》を持つ魔法士から、技術に特化した魔導技師、国家の論理を司る政治家まで、あらゆる才能が集う大陸随一の総合学術機関である。


 しかし、公募に応募してきた者たちは、その『多様性』を理解しているとは言い難かった。


 ある者は、『魔法生物学部』や『魔法考古学部』といった分野を「金を生み出さない無駄」と切り捨て、ある者は「伝統という名の硬直」に固執した。彼らの掲げる『改革』は、すべて『大学の多様性という魂を壊すナイフ』でしかなかった。


 公募の面接を終えた理事会で、アイリスは強い懸念を表明した。


「これでは、あの幻惑の魔女とは違う形で、この大学の魂が壊されてしまう」


 理事たちは同意見であった。

 この未曽有みぞうの危機を乗り越え、大学の真の信頼を回復するためには、外部の『権威』や『効率』ではなく、この大学の複雑な成り立ちを、深く理解している人物でなければならない。


 かくして、理事会は『総意』として、一つの結論に達した。


「新学長は公募ではなく、この大学の理念を理解する、内部の教職員による『選挙』によって選出する」


 そして今日、この『臨時総会』が招集されたのである。

 アイリスは、聴衆のどよめきが静まるのを待ち、言葉を続けた。


「ご存知の通り、学長は、ルーンヴァルトの国政を司る『ルーンヴァルド評議会』の議員を兼任します。ゆえに、この選挙は大学の未来のみならず、国の未来をも左右いたします」


 聴衆が、ゴクリと息を呑む。


「だからこそ、この選挙の投票権は教職員だけでなく、『全学生』が等しく有するものといたします」


 再び、今度は先程よりも大きな、驚きと興奮を含んだどよめきが走る。本来ならば国政に参加できない学生たちが、この一票によって、国の未来に直接関与するのだ。その重みは計り知れない。


「そして、私は理事長として、また選挙管理委員長として、厳正なる『中立』の立場を厳守することを誓います」


 アイリスは、そこで一呼吸置き、大講堂の全てを見渡して告げた。


「本日を公示日として、立候補の受理は二週間後までとしますが……この場で立候補される方、よろしければ挙手をお願いします」


 シーンと、静まり返る講堂。

 誰もが、互いの顔色を窺っていた、その時。


「理事長、私、『魔法原理学部』のソレル・レグルスが立候補いたします」

 短いが自信に満ちた声と共に、前列の教授陣の中から手が挙がった。


『魔法原理学部』の学部長を務める、ソレル・レグルス教授。天性の《魔核》を持つ魔法士の頂点に立つ、四十代後半の理知的な男である。


 アイリスは、その即座の反応に一瞬の驚きを見せつつも、選挙管理委員長として冷静に応じた。


「あら、ソレル先生。さっそくの立候補ありがとうございます。せっかくですのでこの場で何か皆さんにお伝えることはありますか?」

「それでは……僭越せんえつながら……」


 ソレル・レグルスは、待ってましたとばかりに壇上に上がり、満場の聴衆に向かって、朗々と語り始めた。


「諸君。先日我々はあの『幻惑の魔女』めに蹂躙じゅうりんの限りを尽くされた。

 我々があの魔女に惑わされてしまったのは事実。それは認める。だが諸君、それを許したのは我々の『知識』や『技能』が足りていなかったからではない!『最高の教育』を怠り、『最高の設備』を享受きょうじゅすることを、この大学の『停滞』と『惰性だせい』が許さなかったからだ!」


 ソレルの声が熱を帯びていく。


「もともと『ルーンヴァルト魔法大学』は大陸最高の学府であるが、それでもまだ足りないということが先日の『幻惑の魔女事件』によって発覚したのだ!

 私が学長となった暁には、このような脅威に対抗しうる『最高の教育』を、実現すると約束する!」


 彼は、聴衆の熱狂を、自らの言葉で制御し始める。


「まず、『最高峰の魔道書』を入手し、学生全員がその知識に触れることを可能にしよう!

 そして、最高級の魔杖、最高品質の魔導具なども、大学へ導入する!

 全ての学生にとって『最高の道具』が『標準』となる、『新しい時代』を私が約束する!」


 学生たちの間で、どよめきが歓喜へと変わる。

 最高の知識と最高の設備が、将来的に手に入るという期待。

 そして、彼は最大の『飴』を投下した。


「そのようなことをしたら学費が高くなるという心配もあろう。心配御無用だ!『幻惑の魔女』めが行った学費吊り上げなどの施策は即時破棄し、それどころか、無駄な部門を削減したコストを、すべて学生諸君の『学費の大幅な値下げ』に回す!以前の8割程度の学費にすることを、この場で約束しよう!」


 それは、聴衆の心に潜む「もっと良い待遇を受けられるはずだ」という甘い期待に火をつける、熱狂的なポピュリズムであった。大講堂はその熱気に包まれ、どよめきは今や熱狂的な歓声へと変わっていた。



 しかし、この歓声の中一人の男が冷ややかにソレルを見つめていた。

 理事長席の斜め後ろ『学長特別補佐』としてその光景を冷静に見つめていたその男——バジル・アークライト。


(……この男は、何を言っているんだ)


 バジルは、ソレルの言葉に込められた冷たい『論理』を即座に見抜いた。


 ソレルの言う『最高の教育』とは、彼自身が頂点に立つ『魔法原理』の権威を、他の全ての部門に押し付けることだ。『無駄な部門の削減』とは、『魔導工学部』や『魔法考古学部』といった、彼の理解を超えた、あるいは利益を生まない分野を、切り捨てることに他ならない。


 そして、最大の矛盾。


(幻惑の魔女を打ち破ったのは、お前が見下す『魔導工学』の『技術』と『論理』だ。そして、その技術はお前の言う『最高級の設備』ではなく、僕が作り上げた安価なドローンだ)


 ソレルは、『技術の勝利』を「技術は応急処置であり、原理こそが真実の勝利を約束する」という論理にすり替えることで、自分の部門への集中投資を正当化している。


 ポピュリズムの熱狂と冷徹な切り捨ての論理。

 その対比に、バジルは強い危機感を覚えた。


(彼を、学長にするわけにはいかない)


 バジルは、誰にも気づかれぬよう、そっと拳を握り締めた。


 大学の未来を賭けた静かな戦い。

 その火蓋は、今、切られたのだった。

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