魔法学園都市ルーンヴァルトの騒乱~大学を追放された不遇な講師は「論理」と「技術」で巨大な陰謀を解体する~
白石誠司
幻惑の魔女編
第一章
01:追放講師の溜息(改訂版)
「え??いきなり解雇?!いくらなんでもそれはないですよ!!!」
バジル・アークライトの悲鳴に近い声が、どこか埃っぽい学部長室に響いた。
――《大いなる恵みの地エテルナ》という大陸がある。
その大陸中央に位置する《魔法学園都市ルーンヴァルト》――
そこには大陸随一の魔法学校、ルーンヴァルト魔法大学があった。
この学校は若き魔法師や魔導技師の憧れの的であり、卒業生でもあるバジル・アークライトは、母校のこの大学の魔導工学部で十年ほど、講師として教鞭を執っていた。
専門とする魔導具制作やその操作法への情熱は学生たちにも伝わり、その講義は常に熱気に満ちていた…はずだった。
バジルの目の前には、いつもは冗談の一つでも飛ばして場を和ませようとする学部長――ディル・メディウスが、まるで一晩中眠れなかったかのように土気色の顔で俯いている。
普段はきっちりと整えられている髪も心なしか乱れており、デスクに置かれたその両手は、固く握りしめられ、小刻みに震えているのが見て取れた。
(何かの間違いじゃないのか…?学部長だって、僕の授業内容や学生たちからの評判を知っているはずだ。僕がこの大学でどれだけ真摯に学生たちと向き合ってきたか、一番理解してくれていると思っていたのに…。こんな馬鹿げた決定を、本気で言っているのか…?)
混乱する頭で、バジルは言葉を探す。
しかし、学部長の苦渋に満ちた表情を見ていると、怒りよりも先に、言いようのない不安感が胸に広がった。彼の様子は明らかに普通ではなかった。
「……すまない、バジル先生。本当に、すまない……」
絞り出すような学部長の声は掠れていて、普段の彼からは想像もできないほど弱々しい。その目は赤く充血しており、バジルと視線を合わせようとせず、ただただデスクの一点を見つめている。
「これは…その…上からの、決定なんだ。私の一存では、どうにも……。何度も…何度も掛け合ったんだが…」
語尾はほとんど吐息のようで、その言葉には、かつて彼が抱いていたであろう理想が、今、無残に砕け散る音が聞こえるようだった。
その言葉と様子で、バジルは悟った。
学部長もまた、この理不尽な決定の犠牲者であり、彼なりに抵抗しようとしたのかもしれない、と。
だが、それでも納得できるはずがなかった。
生活がかかっている。何より、愛する母校と未来ある教え子たちへの責任があるのだ。
つい先日まで、彼の研究室には熱心な学生たちが集い、マジカルコンテンツの新しい表現方法や、古代魔道具の解析に目を輝かせていたばかりだというのに。
あの活気ある日々がこんな形で終わりを告げるというのだろうか。
「ですが学部長!それではあまりにも…!理由をお聞かせください!僕の授業に何か問題があったとでもおっしゃるのですか?」
食い下がろうとするバジルの言葉を遮るように、学部長はさらに深く頭を垂れた。
その姿は、バジルがこれまで見たこともないほど小さく、そして哀れに見えた。
「…学生からの評判が、芳しくない、と……。授業が、その…自己満足的でわかりにくい、という声が、学長や事務局長にまで届いている、と……」
歯切れの悪い、明らかに何かを隠しているような口ぶり。バジルは、そんな馬鹿な、と反論しかけたが、学部長の次の言葉に絶句した。
「そして…バジル先生の、その…学生を射るような目が怖い、と…そういう意見も、あるそうだ…本当に、申し訳ない…。私には、これを覆すだけの力が…」
学部長は、まるで懺悔するようにそう呟き、最後には顔を両手で覆ってしまった。
その指の間から、嗚咽のようなものが漏れたのを、バジルは確かに聞いた。
(目が、怖い…?そんな…馬鹿な…)
それは、もはや教育内容とは何の関係もない、人格否定に近い言い掛かりだった。
バジルは言葉を失った。
基本的に人を凝視することはしないようにしている。特に相手が女性ならばなおさらだ。ただ、魔導具制作に関しては熱中してしまい、つい学生の手元を凝視してしまう癖がある。
だが、それは学生たちへの指導に影響するようなものではなかったはずだ。
むしろ、学生一人ひとりの才能を見抜き、それを伸ばす手助けをすることに、彼は誇りを持っていた。
そして、学部長もそれを認めてくれていたはずではなかったか。
重苦しい沈黙が、部屋を支配する。学部長の肩が微かに震えている。
バジルは、もはや抵抗する気力さえも削がれていくのを感じた。これは決定事項なのだ。
覆すことはできない。
学部長のこの痛ましい姿が、それを何よりも雄弁に物語っていた。
ここ数ヶ月、学内で妙な噂が流れていたのをバジルは思い出していた。
新しく赴任してきたアンブロシアという名の、妙に
彼女の専門は「古代魔法薬学」とのことだったが、それ以上に『人心掌握術』に長けているという評判だった。
まさか、今回の件に彼女が絡んでいるのだろうか。
そこまでは考えたくなかったが、疑念は霧のように立ち込めてくる。
「…わかりました」
長い沈黙の後、バジルはかろうじてそれだけを口にした。
声は自分でも驚くほど乾いていた。学部長は、顔を覆ったまま動かない。
ただ、その肩の震えが、そして彼の無意識の癖である右手の古傷をさする動作も、無念さを物語っているようだった。
(ディル先生にも、本当に、どうしようもなかったのかもしれないな…)
そう思うと、怒りの矛先をどこへ向けて良いのか、バジルにはわからなくなった。
学部長室を出たバジルの足は、しかし、すぐには自分の研究室へとは向かわなかった。
怒りと絶望が渦巻く中で、一つの考えが彼の脳裏をよぎる。
(本当に、これで終わりなのか?学部長が板挟みだというのなら、その元凶である学長に直接話を聞くべきではないのか?)
微かな、本当に微かな望みを胸に、バジルは踵を返し、重厚な扉が並ぶ廊下の奥、学長室へと向かった。
学生時代から数えれば十数年以上この大学に関わってきたが、学長室に自ら赴くのは初めてのことだった。
ノックをして入室を告げると、革張りの椅子にふんぞり返った学長が、値踏みするような目でバジルを一瞥した。
その隣には、いつものように無表情な事務局長が控えている。
そして、部屋の隅には…学内で噂になっている妖艶な女性講師、アンブロシアが、まるで主のように悠然とティーカップを傾けていた。
その存在が、この部屋の異様な空気をさらに濃くしているようにバジルには感じられた。
「…バジル・アークライトです。先ほど学部長から…今期で契約が解除されると聞きました。一体どういうことなのか、学長から直接ご説明いただきたく参上いたしました」
緊張で震えそうになる声を抑え、バジルはできるだけ冷静にしかし強い意志を込めて問いかけた。
学長は、バジルの言葉を鼻で笑うかのように一蹴した。
「ああ、君か。学部長から話は聞いているだろう?大学の方針だよ。君の授業は学生からの評判も芳しくないようだし、もっと効率的な人材配置が必要でね。何か不満かね?」
その言葉は学部長のそれとは違い、何の配慮も葛藤も感じられない、ただただ冷酷で高圧的なものだった。
「評判が芳しくないとは、具体的にどのような点でしょうか?私の知る限り、学生たちは熱心に授業に取り組んでくれていましたし、先日のアンケートでも…」
「アンケートなんて、いくらでも操作できるものよぉ、バジルせんせぇ?」
学長の言葉を遮ったのは、女性講師アンブロシアだった。
彼女は蠱惑的な笑みを浮かべ、ゆっくりとバジルに視線を移す。
「それに、あなたのその…学生さんたちをにらみつけるような『目』、あれはよろしくありませんわ。若い方は萎縮してしまいますものぉ」
その声は蜜のように甘ったるいが、込められた悪意はバジルの肌を刺すように感じられた。
(やはり、この女が…!)
バジルは確信に近いものを感じたが、それを口に出すことはできなかった。
学長も事務局長も、完全にアンブロシアの言いなりになっているように見えた。
これ以上何を言っても無駄だという絶望感が、今度こそバジルの全身を覆い尽くす。
「…失礼、いたしました」
それだけを絞り出し、バジルは深々と頭を下げて学長室を後にした。
背後でアンブロシアの含み笑いが聞こえたような気がしたが、振り返る気力もなかった。
覚束ない足取りで、今度こそ自分の研究室へ向かう。
ドアを開けると、そこには昨日までと変わらない、膨大な蔵書と作りかけの魔導具、そして学生たちの熱気が残っているかのような空気があった。
しかし、それがもうすぐ自分の手から離れていくのだと思うと、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
窓の外には、夕焼けがルーンヴァルトの街並みを茜色に染め上げている。
それはあまりにも美しく、そしてあまりにも残酷な光景だった。
(これから、どうすればいいのだろう…)
バジルは、使い込まれた机に手をつき、深い深いため息を吐き出した。
その溜息は誰にも届くことなく夕闇に溶けていくようだった。
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