第5話 すれ違うそれぞれの道

すぐ側まで翔について行き、匠は静水香というミシュランの星付き日本料理屋さんに来ていた。奥から現れた舞妓さんがお酒を酌してくれ他愛ない話で盛り上がった。



匠は少し火照った頬を手で仰ぎながら、杯を受け取った。


「参ったなぁ……完全に舞妓さんに遊ばれてるな、俺」


「ええ声でんなぁ、長山はん。恥ずかしがらんでも、ようお似合いでっせ」


舞妓の笑顔に照れながらも、匠は杯を一気にあおる。

ふと視線を横にやると、翔が静かに杯を傾けながら、どこか遠くを見ていた。


「……なあ翔さん、今日なんで俺をここに?」


「……お前、音楽も女も、全部諦めようとしてただろ。俺には、そう見えた」


翔はそう言って、懐からスマホを取り出し、画面を匠に向けた。

そこには、SNSで話題になっていた「ミーティアライトのラストライブ動画」――コメント欄には再結成を望む声が数え切れないほど並んでいた。


「お前が信じてないだけだよ。あの声も、ドラムのタッチも、ちゃんと届いてんだ」


「……俺、大雅に……ちゃんと謝れてねぇ。優輝ちゃんのことも、ごちゃごちゃのままだし」


「だからこそ、今、動くんだよ。『もう遅い』って言うのは、動かないヤツの言い訳だ」


その言葉に、匠の胸がじわりと熱くなった。

静水香の中庭に吊るされた提灯の灯りが、静かに揺れる。


「お二人とも、よう酔うてきましたなぁ。ほな、最後にもう一勝負いかがどす?」


「……よっしゃ。次は負けへんで」


匠はそう言って、舞妓の誘いに再び応じる。



とらとらというじゃんけんゲームをして匠と翔は舞妓さんと遊んだのだが、舞妓さんに匠はまた負けてしまいお酒をなみなみ注がれる。だがその心の奥では、大雅、そして優輝の顔が静かに浮かんでいた。


その頃大雅はDVDショップで気になっていた映画を何作か選らんでいた。



「あっ大雅君だ!さっきすれ違った?てか髪切ったんだ。似合ってますね。ププ━ッッ!!!眼鏡曲がってますよ私バイト終わってDVD借りに来たの!こんなとこで会うなんて奇遇だね!ニックネームとかある?なんてよんだらいい?」


記憶に新しい見覚えのある顔で緑のTシャツに黄色のタオル地の上着を着て短いジーンズ姿の彼女は後ろから声をかけてきた。


「普通に大雅でいいっすよ、美緒さんですよね。明日から宜しくっす。あっホントだ、普段はコンタクトなんだけど近場だと面倒くさくて眼鏡かけてるんだ。こんな格好で恥ずかしいです。僕はDVD返しに来たんですけど延滞しちゃってたみたいで笑笑」


大雅は黒いTシャツにダメージジーンズとサンダルだった。フレームの少し曲がった鈍いアンティークゴールド色の丸眼鏡をくいっとなおすと世間は狭いなと思いながら、世間話をする。


「そうなんだやっと名前覚えてくれたんだ。何かオススメのDVDとかある?何借りたの?」


「準新作の借りました。前からこれ観たかったんですよ面白そうじゃないですか?あっおすすめでしたね、コレなんてどうですか?」


どれがいいかあらすじを2人で読みながら新作コーナーの恋愛映画の中から1本を指差す。ふと顔が近い事に気が付きお互いドギマギしながら目を逸らす。


「新作かぁ!2泊3日だからなぁ!!お金もったいないしどうしようかな………笑

また対バンしたいねビー玉ガチャガチャで出たんだけどあげるよ」


「美緒さんっ!」


自動ドアが閉まりかけたところを滑り抜けて、少し息を切らしながら大雅は彼女の背中を追いかけた。


「わっ、びっくりした!どうしたの?」


「……あの、ビー玉ありがとう。なんか急に渡されてちゃんとお礼言えてなかった気がして」


「あはは、真面目か〜!でも、追いかけてまで言いに来てくれたのはちょっと嬉しいかも」


大雅はポケットからそのビー玉を取り出して、雨上がりの夕方の空にかざしてみる。ビー玉の中には、オレンジ色の光が逆さまに揺れていた。


「……これ、なんか景色が逆さまに見えるんですね。知ってました?」


「うん、知ってる。だから好きなんだ。逆さまに見ると、ちょっとだけ違う世界にいるみたいで」


そう言って、彼女は自分の手の中のビー玉と同じようなものをチラリと見せた。


「実は2個出たから、おそろいだよ。……なんて言ったら気持ち悪いかな?」


「……いや、ちょっと嬉しいかも」


鎧塚美緒はその言葉にふっと微笑んだ。


「じゃあ、またね。明日からバイト頑張ろうね!」


そう言って、夕暮れの通りを笑顔で手を振りながら歩いていく。

大雅はその後ろ姿を少しの間、見送った。


彼女が見えなくなってから、ポケットの中のビー玉をもう一度握りしめる。


「……また逆さまの世界か」


ふと空を見上げると、うっすらと星が瞬き始めていた。


「美緒さん、帰る方向一緒だから途中まで送るよビー玉ありがとう笑」


「家もう近いからここでいいよ、送ってくれてありがとね。」


「明日からバイトよろしくですいろいろ教えてね!」


「りょーかい!!でもすぐ覚えると思うよ馴れたら簡単だよ!!また明日ね!!」


そんなことを喋りながら曲がり角まで見送る。


空気の少し抜けた自転車の後輪を少し引きずりながら大雅も家に帰る。


汗をかいたTシャツをかごに入れ風呂に入っていると昨日、今日といろいろあったなとハイライトのように頭に浮かんでは恥ずかしくなり、湯船に頭まで潜る。


風呂から上がるとキッチンで携帯が鳴っていた。電子音が湿った空気に響き、湯気の残る脱衣所を抜けてキッチンまで急ぐ。タオルを肩にかけたまま、濡れた足で少し滑りそうになりながら携帯を手に取る。


「非通知着信」


「……ん?誰だ?」


一瞬ためらいながらも通話ボタンを押す。


「はい、もしもし?」


電話の向こうから、聞き覚えのある少しかすれた声が聞こえた。


「あ、あの……大雅、さん……?」


一瞬、時間が止まったように大雅は固まった。


「……優輝ちゃん?なんで、番号……?」


「匠くんが……渡してくれたの。急にごめんね、迷惑だったら切るけど……」


「いや、全然……びっくりしただけ。どうしたの?」


しばらく沈黙があった。


「声……聞きたかっただけ。……大雅くんに彼女できたって聞いて、なんか……やっぱりモヤモヤしてて」


「……彼女なんて、いないよ。誰から聞いたか知らないけど、ただの噂」


「……そっか。なんか、安心した。ごめん、変なこと言って。ほんとは、ずっと電話しようか迷ってて……でも、今日勇気出たから」


「……優輝ちゃん、ありがとう。かけてきてくれて」


風呂上がりの湿気と、まだ熱の残る心を冷ますように、大雅は台所の窓を少し開けた。

外では風鈴が、かすかに鳴っていた。


「ミーティアライト解散しちゃったね。なんで打ち上げ来なかったの?


私行ったよ!!私のことひとりの女の子として好きでいてくれたんだと思ってたよ。


…言ってる事2転3転するし、大雅君と話しててもつまらない!!髪も切ったのに気づかないしさ」


と優輝は笑っていた。


「優輝ちゃんのこと、ほんとに好きだったよ。ミーティアライト解散しちゃったのはいい時期だったのかなって思ってる。


メジャーに行けない落ち目のバンドとか思われるのが怖かったんだよ、挫折かな。


……匠はいいよ、就職決まったし俺も新しい道探さないと行けないなと思ってさ。俺これからフリーターだぜ……カッコつかないよ、


打ち上げなんてどの面下げて行くんだよ。」


「………………………」


沈黙の後、君はずるいねと彼女は言った。



その「ずるいね」が、どこか優しくて、どこか苦くて、胸の奥で鈍く響いた。


「……ごめん。実は好きな子できた。付き合ってはないけど。でもさ、優輝ちゃんの事、好きだったって気持ちは本当なんだ。髪、切ったのもちゃんと気づいてたよ。すごく綺麗だった。けど、声をかける資格ないかなって思って、言えなかった」


「……そういうとこだよ、大雅くん。ずるいの」


大雅は少し笑った。自嘲気味に。

その言葉が、今の自分のすべてを表しているような気がした。


「たぶん俺、優輝ちゃんみたいな子に出会ったの初めてだったんだと思う。ドキドキしたり、切なくなったり、嬉しくなったり、バカみたいに一喜一憂して。恋ってそういうもんなんだなって、ようやくわかった」


「……私はね、大雅くんがもう少しちゃんと私のこと見てくれてたら、たぶん……」


そこで彼女の声は途切れた。


「……なんでもない。今さらだもんね」


しばらく沈黙が続いた後、優輝の声がふっと柔らかくなった。


「でも、電話できてよかった。ちゃんと、気持ち聞けたから。ありがとう、大雅くん」


「うん、俺も……ありがとう」


そのあと何を話すわけでもなく、2人はしばらく無言のまま、携帯越しにお互いの呼吸だけを感じていた。


そして優輝が、少しだけ照れたように、けれどどこか寂しげに言った。


「……バンド、またやりなよ。大雅くんの歌、好きだったよ」


目をやった先の水槽では、ブラックゴーストの「TAIGA」がゆらりと泳いでいた。


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