9.コーヒー飴と黒化女神
「あの、汝、どうして表情が突然真面目になったの?」
「え?あ……いや、何でもない」
さっきの男、あの紫髪の男……
クラークだ。間違いない。
あの日、冒険者ギルドで見た。暴動寸前の屈強な冒険者たちが、あの男が現れた瞬間、全員黙り込んだ。
さっき、彼が呟いた言葉。
面白い?何が面白いんだ?
俺たちの頭サーカス?
いや、考えるな。
あんな化物に目をつけられたら、人生終わりだ。
「そうか……」
デュランが小さく呟いた。なんか、気まずい空気になってしまった。
「おーい、但馬さん!デュランさん!そこにいたのか!」
俺とデュランは顔を上げた。
エルスとペルフィが、こちらに向かって歩いてくる。
そして——
エルスの手には、パンパンに膨れた金袋が握られていた。
「ふふふ〜♪見てください見てください!」
エルスが金袋を掲げた。まるで、戦利品を自慢する勇者みたいに。
「この金額!銀貨じゃなくて、金貨ですよ金貨!しかも——」
ジャラジャラと音を立てる。
重そうだ。
かなり重そうだ。
「さすが私ですね!人心掌握術というものを心得ているというか、まあ、女神ですから当然なんですけど!」
お前、さっき「集団潜在意識」とか「マンデラ効果」とか、滅茶苦茶なこと言ってただろうが。
「これで当分の間、お金の心配はありませんね!」
そう言いながら、エルスは口をもぐもぐ動かしている。
何か食べてる。
一方、ペルフィは——
顔を真っ赤にして、俺の方を見ようとしない。
横を向いて、髪をいじっている。
なんだこの反応。
さっき、俺の頭を蹴り飛ばしたくせに。
「はぁ……エルス、お前、またゴールデンアップルパイ食べてるだろ」
「え?」
「いや、だって口動いてるじゃん。しかも、お前、金が入った瞬間に真っ先にゴールデンアップルパイ買いに行くタイプだろ?それに、おまえはその、一ヶ月分の給料を一瞬で使い果たすタイプだな!」
「でも但馬さんだって!私のへそくりと、レオンさんからもらったお金、全部使ったじゃないですか!」
「ああ、それは……まあ、そうだけど。別に、俺は自分が『一ヶ月で給料を使い果たすタイプじゃない』なんて言ってないし」
「じゃあ一緒じゃないですか!」
「そうだな、一緒だな」
なんだこの不毛な会話。
「でも、話を戻すと。お前、今ゴールデンアップルパイ食べてるだろ?口動いてるし」
「違いますよ」
「え?」
「ゴールデンアップルパイじゃありません」
「は?」
待て待て。
お前、食事しないんじゃなかったのか?
ゴールデンアップルパイしか食べないんじゃなかったのか?
「だから、何度も言ってますけど!食事する必要がないだけで、食べられないわけじゃないんです!」
「いや、でも実質同じだろ」
だって、お前、今まで一度もゴールデンアップルパイ以外食べてるの見たことないぞ。
「違います!全然違います!確かに、私はゴールデンアップルパイが一番好きですけど、他のものも食べますよ!」
「じゃあ、今何食べてるんだ?」
「これす」
エルスが手を開いた。
そこには——
小さな飴玉が一つ。
茶色い、丸い飴。
「……飴?」
「はい。『コーヒー飴』というらしいです」
「あ、コーヒー飴が、この世界にあるのか……」
「らしいですよ。最近、突然誰かが作り始めたみたいで、今大人気なんです」
突然?
……まさか、異世界転生者?
いや、でも、コーヒー飴を作るために異世界転生する奴なんているのか?
「新商品らしいですよ。この前まではなかったみたいです」
「へえ……コーヒー飴が新商品ね……」
まあ、異世界だしな。
こっちの世界にコーヒーがあるかどうかも分からないし。
「欲しいなら、銀貨10枚で売ってあげますよ」
「高っ!飴一個が銀貨10枚!?それ、もはやぼったくりだろ!」
「需要と供給です。それに、但馬さんだって私のお金使ったんですから、これくらい——」
「分かった分かった、もういい。でも、よくそんなに稼げたな。あのパフォーマンス、どう見ても異常だっただろ」
人の頭を蹴り飛ばして、火の輪くぐりさせるとか。
どう考えても、猟奇的だ。
ホラー映画の一場面じゃないか。
「……この世界の人たち、本当に心理カウンセリング必要なんじゃない?
「タンタンは心理カウンセラーでしょ」
「あ、そうか……」
あんなパフォーマンスを見て、「すごい!」「教えて!」って言う人たち。
普通じゃない。
絶対に普通じゃない。
日本なら、即通報されるレベルだ。
「まあ、それはそうとして。それで、具体的にどれくらい稼いだんだ?」
「えーと、金貨で15枚くらいですかね」
「15枚!?」
めちゃくちゃ多い!
というか、あの短時間で15枚!?
「でも、実は——かなりの部分は……その……教えて欲しいっていう人たちから、前払いで……」
「前払い?」
「はい。一ヶ月後に講座を開くって言ったら、みんな『今すぐ予約したい』って……」
ああ、なるほど。
詐欺の手口じゃないか。
「それで、一人当たり金貨1枚で、15人から——」
「ちょっと待て!お前、本当に教えるつもりあるのか?」
「え?もちろんですよ?但馬さんとデュランさんに、また頭を外してもらって——」
「却下」
「でも——」
「却下だ!!!」
これ以上、頭を外すとか、絶対に嫌だ。
あんな恐怖体験、二度とごめんだ。
その時——
「あ、あの……タンタン……その……」
ペルフィが恐る恐る口を開いた。
顔が真っ赤だ。もじもじしている。
何だよ、急に。
「な、なんていうか……あの……さっきは、その……ごめん」
謝った。
珍しい。
こいつ、あんまり素直に謝らないのに。
「蹴っちゃって……その……本当に、ごめん……」
「ああ、別にいいよ。結果的に、うまくいったし」
「で、でも……その……お願いがあるんだけど……」
嫌な予感がする。
めちゃくちゃ嫌な予感がする。
「今度から……その……もうちょっと……頭を外してくれない……?」
……
……
は?
「20人くらい、『絶対に習いたい』って言ってて……その……私、断れなくて……」
……
「……エルス」
「はい?」
「ここから逃げ出すとして、一ヶ月あれば間に合うか?」
「え?なんで急にそんなこと聞くんですか?」
「いや、だってお前、一ヶ月後に講座開くって言ったんだろ?」
「はい」
「でも、俺は絶対に頭外さないぞ」
「え?でも——」
「絶対に外さない」
「困りますよ!お金もらっちゃったんですから!」
「知るかぁ!!!!お前が勝手に約束しただけだろ!!!?俺は何も同意してない!!!!」
「で、でも!」
「でもじゃない!大体、あんなパフォーマンス、二度とやりたくない!頭蹴られるとか、トラウマだぞ!」
というか、頭蹴られて空中飛ぶとか、もはや人権侵害のレベルだろう!
「そ、そんなこと言われても……もう約束しちゃったし……」
「じゃあ取り消せ!」
「無理です!」
「なんで!?」
「だって、もうお金もらっちゃったし、しかも一部使っちゃったし……」
エルスがコーヒー飴を見せた。
「お前……」
「コーヒー飴、美味しかったんです……つい……」
つい、で済む問題じゃないだろ!
「それに!タンタンだって、レオンからもらったお金、全部使ったじゃない!私のペンダントに!」
「う……」
「だから、お互い様でしょ?」
「……」
だめだ、この話はもう続けられない
その時、俺はふと気づいた。
「……そういえば」
「何ですか?」
「さっきから、デュランが何も喋ってないんだけど」
確かに。
俺たちがずっと言い合ってる間、デュランは一言も発していない。
いつもなら、「す、すみません……」とか、「あの……」とか、何か言ってくるはずなのに。
振り返ると——
デュランは、完全に硬直していた。
まるで、本物の騎士像みたいに。
そして——
エルスの手が、デュランのヘルメットに添えられている。
「……エルス」
「はい?」
「お前、さっきから何してるんだ?」
「何って……別に何も?」
エルスがにっこり笑った。
でも、その笑顔——
怖い。
めちゃくちゃ怖い。
「なんでずっとデュランの頭に手を添えてるんだ?」
「え?これですか?いや、デュランさん、コミュ障だから、私たちの会話に入ってこないだけだと思ってたんですけど——」
「違う。お前の手、光ってるだろ」
確かに、微かに光っている。
神聖な光だ。
「デュラン、もしかして——」
「……」
デュランは何も答えない。
答えられないのか!?
「おい、エルス!お前、まさか浄化してるんじゃないだろうな!?デュランはアンデッドなんだぞ!浄化したら消えるだろ!」
「消えませんよ?ちゃんと出力調整してますから」
「出力調整って……」
「でも——デュランさん、さっきから言いたいことがあるみたいですね」
エルスの表情が変わった。
さっきまでの優しい笑顔が消えて——
冷たい、冷たい笑顔になった。
「……」
「ゴールデンアップルパイ、教会から持ってこれなくなったって、いつ言うつもりだったんですか?」
……
……
は?
今、何て言った?
「え、ちょっと待って!どういうこと?」
「デュランさん、説明してください」
エルスが、デュランの頭をギュッと握った。
「ひぃっ……」
デュランから、小さな悲鳴が聞こえた。
「あ、あの……その……」
「早く」
「吾……吾、実は……教会を解雇されそうなんです…」
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