第19話 おでかけ日和2



 


「ホント偶然だな。1人……?」


 俺の決して悪意のない質問で機嫌を損ねてしまったのか、紺野さんは目を細めた。


「悪い?」


「いや、全然そんなことはないけど……」


「そう言う黒崎くんは?」


「俺はさっきまで萌と一緒だったんだけど、すぐそこでカットモデルにスカウトされちゃって、待ちぼうけくらってる最中……」


 原作でも休日の紺野さんが描かれることは少なかったから、少し珍しい紺野さんの私服姿に、俺はついつい見惚れてしまう。


「さっきからジッと見てるけど、なに?」


 更に鋭くなった目つきは、切れ味を増した。


「ご、ごめん。私服姿初めて見たし、似合ってるなぁっと思って……!」


「あっそ」


 鋭かった瞳が丸みを帯びたかと思うと、素っ気ない返事と共に顔を背ける紺野さん。


「ってか今日本屋に来たってことはもしかして、忍者の漫画の新巻買いにきたとか?」


「な、なんで分かったの……!?」


 またすぐにこちらを向いた紺野さんの表情は驚きに満ちていた。


「昨日が発売日だったし俺も買おうと思ってたから……まぁ、その予算はさっき萌に食い潰されたんだけど……」


「じゃあわたしこれ買うから、一緒に読む?」


「えっ、いいの!?」


「元々買うつもりだったし。それに黒崎くん家の漫画いつも見せて貰ってるから」


「ありがとう! 諦めかけてたから助かるよ!」


「じゃ、レジ通してくるから待ってて」



 会計を終えた紺野さんは書店の片隅にある読書スペースへスタスタと歩き出し椅子に腰掛ける。すると突っ立っていた俺に視線だけで「こっちへ来い」と合図をした。


 さっきは流れで軽々しくあんなことを言ってしまったが、形容し難い緊張を纏いながら、俺はゆっくりと彼女の隣に腰を下ろした。


 忍者のヒロインが描かれた表紙を見つめニヤリと顔を歪めた紺野さんは透明なフィルムを丁寧に剥がし、ペラリと1ページ目を捲った。


 俺は緊張から、息が詰まりそうだった。


 とてもじゃないが集中して漫画を読めるようなコンディションではない。


「あ、あの……ここからじゃ見え辛いからやっぱり紺野さんが読み終わってから、日を改めて借りてもいいかな?」


「なんで? 早く続き見たくないの?」


 こちらが緊張しているのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、紺野さんは何も感じていない様子だった。


「み、見たいけど……」


「じゃあもっと近くにくれば?」


 ――な、なんですとっ……?


 普通に考えて、ただのモブの俺が彼女に男として意識されていなくても当然なのだが、こっちはそうはいかない。


「で、でも……」

 

「わたしに近付きたくないとか?」


「そ、そういう訳では……」


 憧れのヒロインと2人で同じ本を読むだなんてカップルみたいなことを平然とやってのけるような経験値は、たとえ人生2周目であろうと持ち合わせていないのだ。


「あぁもうめんどくさいなぁ」


 早く漫画が読みたかったのか、苛立った声を上げた紺野さんは、自らの椅子を座ったまま持ち上げて俺との距離をグイッと詰めた。


 ――その瞬間、フワッと舞ったいい匂い。


 柔軟剤なのか、シャンプーなのか、なんともフローラルな香りだった。


「これで見える?」


「う、うん……」


「じゃあわたしのペースでページ捲るから、まだの時はまだって言って?」

 

「分かった……」


 そらから紺野さんと一冊の本を一緒に読み始めたものの、袖が触れ合う程に近かった彼女との距離に呼吸すらままならなかった俺は、最後のページが捲られるまでずっと上の空だったことは言うまでもない。


 更には時折魔が差してしまい、隙をみて紺野さんの横顔を覗き見していたことがバレていないか心配だった。

 


「え、嘘……? これで終わり……?」


 紺野さんは本編最後のページをペラペラと行ったり来たりを繰り返し、現実を受け止めきれないといった様子だった。


「……みたいだな」


 一方俺は、常に息苦しい酸欠状態が終わった解放感と、名残惜しさを同時に味わっていた。


「こんなにいいとこで終わるなら読まなきゃよかった……続きが気になって寝れない……」


 ぐたぁーっと机に突っ伏した紺野さんの口から魂が抜けていくのが見える気さえする。


「まぁまた楽しみができたと思えばさ……!」


「次の単行本、出るのいつ?」


「これ出たばっかだし、大体2〜3ヶ月後くらいかな……」


「は……? そんなのムリ待てない。だったら黒崎くんが続き書いて」


「無理言わないでくれよ……」


「漫研のくせに」


「それは紺野さんも同じだろ!?」


「一族秘伝の奥義って何!? どんな技なのか気になって夜しか眠れそうにない……」


「夜寝れたら十分なんじゃ……」


「お昼寝できないと死んじゃう」


「ナマケモノの血でも流れてるの?」


「そうかも……」


「確かに今の紺野さん、ちょっとナマケモノっぽいかも」

 

「このまま寝て起きたら2ヶ月後になってないかな……」


「あ、結局寝るんだ……」


 俺がポロッと溢したツッコミに、机に突っ伏したままの紺野さんは静かに笑った。


「ぷはは……何この会話」


「紺野さんこそ」


「あーあ、なんで黒崎くんとは気を遣わないで話せるんだろ。ホント不思議……」

 

「紺野さんが前に言ってたけど、俺が鳥みたいだからかな?」


「どーゆう意味?」


「ナマケモノも鳥も、同じ木の上に住んでるから」


「そっか……だからか……」


 どこか腑に落ちたのか、落ち着いた声色で返す紺野さん。


「ちょ、本気にしないでくれよ、冗談だったのに」



 おもむろに体を起こした紺野さんは頬杖をつき、遠くの本棚を見つめて呟いた。


「鳥といえば白鳥くん、今頃何してるのかなぁ……」


 ――やってしまった。


 もっと考えて発言すべきだった。


 焦った俺はなんとか話題を変えようと、考えるよりも先に口が動いていた。


「げ、元気にやってるといいな……そんなことより紺野さん、この後予定ある!?」


「ないけど……」


「俺もまだ萌から連絡ないし、どこかへ行かないか!?」


「別にいいけど……どこ行くの?」


「そ、それは……と、その前にトイレ行ってくるからちょっと待っててくれ!」


 やっぱり俺なんかが行き当たりばったりで行動してはダメだ。


 一旦トイレに逃げ込んだ俺は、藁にもすがる思いでキラリに電話をかけた。

 


 


 

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