第38話 不明体は誰れのために
まるで涙のように、黄色い物質が俺の体を包む。その物質が繭のような形を作る。俺の体は完全に覆われる。
やがて。
俺は――いや、俺達は、繭を突き破った。
俺の姿は、変わっていた。緑色の装甲に、体が覆われている。
これが俺の、初めての変身だった。
もう1度、五甲山を振り返る。俺を育ててくれた山。今は傷付き、哀れな姿。それでもちゃんと、この地に立っている。
――ここを選んだのは、もしもの事があっても被害が少ないからだ。
だが、もしもの事など起こさせない。この場所だって、守ってみせる。
「積極的に攻めに行くぞ。待っていたら、向こうに主導権を握られる。そしたらこっちはもう持たない」
頭の中に直接、バイオコップの声がする。テレパシーだった。
「……分かった」
俺は走り出した。マオとの距離が近付く。
その時。
「危ない!」
バイオコップの声。俺の首が、勝手に動く。
バイオコップの言う通りだった。危なかった。
俺の顔のすぐ横を、何かがすごいスピードで通り過ぎていった。目視出来なかった。風を切る音で、やっと存在を認知できた。
多分、バイオコップが使っているあの銛だ。バイオコップが避けてくれなかったら、頭を串刺しにされていた。
本当にノーモーションだった。ただ立っているようにしか見えなかった。俺1人なら、避けるなんて確実に無理だった。
そして。
避ける時に、俺は一瞬止まった。そのスキを、マオは見逃さなかった。
マオが一気に距離を詰めてきた。ルトゥムのマッシブな装甲からは、信じられないほどの速さだった。
今度は見えた。マオの左足が、俺達の側頭部を狙っている。
俺達は右腕を伸ばした。顔の横で壁を作る。
間に合った。マオのキックは、直撃しなかった。
だが。
「ぐあ……!!」
俺達はバランスを崩した。頭に鈍い痛み。
そのまま地面に倒れ込んだ。痛みで体の動きが止まる。立つ事が出来ない。
ガードはした。しかしマオの力の前には、ほとんど意味をなさなかった。
まるでガードが間に合わず、キックが直撃したように感じられた。やはり、強かった。
「避けろ!」
バイオコップの大声。
目の前にルトゥムの足。俺達の顔面を踏み潰そうとしている。
慌てて後ろに転がった。さっきまで俺達の顔があった場所から、ドン、と鈍い音。空気の揺れがハッキリと感じられた。
俺達は立ち上がった。マオを見ながら、構え直す。
ハッキリ言って勝負にならない。このままいけば、そのうち俺は殺される。絶望的な戦力差があった。
この戦力差を埋める方法は、ただ1つ……。
須崎ソウタの変身から少し、時を遡る。
おれ=千堂シュンジは、面会室にいた。
向かい合う長椅子と、その間の仕切り。特撮とかで見る、面会室そのものだった。
マオの手紙は読んだ。彼女がルトゥムに変身して、バイオコップを1度は破った事も知っている。
本来であれば、おれはルトゥムの自爆から逃れるために避難するはずだった。しかしこのタイミングで、おれに面会を求めてきた人がいる。
この状況で面会なんか出来るわけない、と思っていた。その時居合わせていた刑事さん達も、同じ事を言っていた。
それが、面会出来る事になったのだ。警察側もバタバタしているし、詳しい状況は聞けていない。よほどの事があったのだろう、とは思うが。
で、その人が来る間、おれはここで待っているわけだ。
誰だろうか、と考える。兄貴か、それともマオか?いや、普通に考えて、兄貴は今頃避難しているだろう。マオにもこの状況で、おれに会いに来る理由がない。
だったら、後は誰だろう……両親とか?いや、それはない。1度面会には来たが、口論になって、それっきりだ。お香の効能が切れていなかったのもあるが、あの時は本当にキレ散らかした。
じゃあ、誰だ?他に誰がいる?
――そこまで考えてから、ふと思った。
まさかこんな事になるとは。
マオに出会ってから今まで、長かった気もするし、短かった気もする。
最初は本当に恐怖しかなかった。平気そうにしている兄貴に、精神的にすがっているような状態だった。今思えば、あの頃の兄貴も本当に大丈夫だったのかどうか……。
そのうち、実体化する不明体を見て喜びを覚える自分に気付いた。
マオよりそっちの方が怖かった。まさか、自分がそんなヤツだったなんて。抑えようと思っても、その気持ちがムクムク膨れ上がってくる。
そんな折に、不明体を崇拝している連中の存在に気付いた。初めは意味が分からなかった。彼らは的外れな事を言いながら、不明体を神だ天使だと崇めていた。
おれがそれも嬉しがっている、と気付くのにはしばらくかかった。おれの怪獣や怪人には、人々の心すら征服する力がある……そう思った。
特に父の、SNSのアカウントを見つけたのはターニングポイントだったと思う。あれでおれと父の立場が逆転した。おれは自分の父親にとって、神に等しい存在になったのだ。口論の時、確か流れでアカウントの事も暴露した気もする……のだが、正直覚えていない。あの時はとにかくキレていた。
具体的にどのタイミングから、マオのお香が効力を発揮し始めたのかは分からない。だが、おれが自分の作品にどんどんのめり込んでいったのは確かだ。
不明体に暴れてほしかった。不明体にバイオコップを倒してほしかった。そうすれば、おれ自身の存在が確かなものになる気がした。
おれが単なる『薬のせいで暴れさせられた被害者』だとは思っていない。確かにあのお香は、おれに自制心を失わせた。つまり、自制していた欲望が、初めからおれにはあったのだ。
結局、おれの存在はバレて逮捕された。で、お香の効果も切れ、今はこの状態、というわけだ。
とんでもない事をしてしまった、という自覚はもちろんある。もちろん脅迫されていたのは確かだ。だが、おれは結局、積極的に加担していた。その動機も、確かにおれにはあった。
しかし、マオからのあの手紙も読んだ。マオだって、単なる凶悪犯じゃなかった。彼女もまた被害者だったのだ。
あの手紙の内容は、嘘じゃない……と思う。確証はないけど。
きっとマオにとって、地球は単なる『復讐の現場』みたいな、記号的なものではない。特撮も、昆虫も、食べ物や文化だって、マオにとってはオンリーワンだったはずだ。
だから、マオの故郷に起こった事も、おれは信じようと思う。バイオコップ殺しにかけるマオの執念は、凄まじいものがあった。手紙に書いてあったような悲惨な経験をしていれば、そこまでバイオコップを殺したくなるのも頷ける。
正直今のおれは、なんというか……途方に暮れている、というのが正確な気がする。狂乱から覚めて、マオや兄貴とは離れ離れになった。おれは1人で、自分の罪に向き合わなければならない。
なぜおれなのか、という気持ちもある。マオに選ばれなければ、おれはネットにオリジナル作品を投稿する日々を続けていたはずだ。少なくとも、これほどの大量殺人の片棒を担ぐことはなかった。自分の正体にも気付く事はなかった。
いや、本当にそうだろうか?おれは元々、学校でも家庭でも四面楚歌状態だった。何らかのトリガーさえあればいつでも、『今のおれ』になれる状態だったのではないだろうか?
おれがやらなくても、誰かがマオのために『不明体』を提供しなければならない。そうなれば、おれはオリジナル作品を自粛せざるを得なくなるだろう。学校や家庭の状況がよくなる事はない。さらに悪化するかもしれない。いずれにせよ、鬱屈した気分を、さらにため込む事になる。
そんな時に、『不明体』を信仰している連中の存在を知ったら?自分の父親までもが、信仰しているとしたら?
そんな事を考えていると、結局どこかのタイミングでこんな自分になっていたんじゃないか、という気がする。おれはどうすればよかったのか……なんてよく考えているけど、結局答えは出ない。
いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。そろそろおれに面会したい、という人が来る頃だ。
面会室のドアが、開いた。
おれは驚いた。
意外な顔だったから、ではない。いや、確かに意外な顔ではあった。だが驚いたポイントはそこじゃない。
その人は……巻田ソウジュさんは、ボロボロだった。ドアを開けるなり、床に倒れ込んだ。
「巻田さん!?」
驚いて、おれは思わず立ち上がった。しかしおれから巻田さんの方へは行けない。面会室には仕切りがある。
巻田さんの付き添いらしき刑事さんが、慌てて肩を貸した。彼と一緒に、巻田さんは立ち上がる。
ボロボロだった。とにかくボロボロ。体のあらゆるパーツに傷がついていた。服も破けているところばかりだった。血がにじんでいるところもある。
「やっぱおれの事、知ってるのか……」
巻田さんが声を絞り出した。そう、おれは彼の事を知っている。兄貴が調べていた。彼こそバイオコップの変身者だ。
巻田さんも同様に、おれの正体については頭に入っているだろう。
それにしても、巻田さんは息も絶え絶えだ。どう考えても面会どころじゃない。すぐにでも入院すべき状態だった。というか、どうやってここまで来れたんだ?
「大丈夫ですか……?」
おれは話しかける。言いながら内心、絶対大丈夫じゃないと思っているのだ。ある意味奇妙ではあった。
「オレの事はいい」
と、巻田さん。
「すぐに本題に入ろう」
今バイオコップがルトゥムの元に向かってる、と言われて、ちょっと驚いた。バイオコップに変身出来る人間は巻田さんのはずだ。
その事を、巻田さんに聞いてみた。
「バイオコップは宿主を変える事が出来るんだ。もっとも変身するとなると適性があって、誰でもいい、というわけにはいかない」
巻田さんはひと呼吸置く。
「その適性があるんだよ、須崎ソウタ君にはな」
おれの目が、大きく見開かれた。
今バイオコップに変身しているのは兄貴だ。つまり、今マオと戦っているのも、兄貴。
すぐに頭によぎる考えがあった。
「勝てないですよね?普通に考えて」
兄貴に戦闘の経験はない。一方マオは玄人だ。身体能力もマオの方が遥かに上回っている。勝負にならない。
それは巻田さんも織り込み済みらしかった。
「須崎君を死なせないためにも、協力してほしい事がある」
気づいたら、おれは体を少し前に乗り出していた。
頭の中にたくさんの「?」が浮かんでいた。あの慎重な兄貴が。そんな無謀な事を、なぜ。
巻田さんの目が、真っすぐおれを見据えている。
「須崎君は作戦立案やスパイ行為担当。で、不明体のデザインは君の担当。そうだな?」
おれは頷いた。そうとしか言いようがなかった。
「それに使われたと思しき機械も、まだアパートに残っている」
と、巻田さん。プロジェクターの事か。そういえば、そんな話を耳に挟んだ気もする。
そして。
ひと呼吸置いてから、巻田さんはこう言った。
「君に、最後の不明体を実体化させて欲しい。須崎君を……バイオコップを、助けてほしいんだ」
不明体の召喚に必要なものは、プロジェクターとメダルだ。プロジェクターはアジトのアパートにそのまま置いてある、と巻田さん。家に帰れば、予備のメダルもある。
1体。1体なら、不明体を出せる。最後の不明体だ。
「すでにバイオコップが、警察と話もつけてある。君がその気にさえなれば、すぐにでも――」
「行きます!」
巻田さんの話を遮ってしまった。一瞬、巻田さんが意外そうな顔をするのが分かった。
自分でも意外なくらい、即答出来た。言い終わった時には、すでに立ち上がっていた。
やはり、兄貴が関わっているからだろう。兄貴は今、絶対的に不利な戦いに臨んでいる。早く手を打たなければ、殺されかねない。
しかし、本当にそれだけだろうか?
おれの中に、少しの疑問があった。おれは兄貴に死んでほしくないのだろうか、それともマオに殺してほしくないのだろうか?
警察所を出る前に、警察からおれの家の鍵をもらった。というか、返してもらった。おれが逮捕される時に、警察に押収された所持品の1つだ。
最初渡された時は意外に思ったが、思えば当たり前の話だ。鍵がなきゃ、家に入れない。
それから、アパートの鍵ももらった。おれらが使っていた、あのアパートのものだ。本来使われていた鍵はマオが持ち出しており、管理人からスペアをもらっていたそうだ。
まさに『現場の判断』らしい。本来ならありえない対応だそうだ。
目的地には、パトカーか何かに乗せてもらうと思っていた――それだけに、警察署の駐車場に停めてあった物体にはビックリした。
3、4メートルはある巨大な物体だった。見た目を一言で言うと、車輪の上に乗った魚。
魚の部分はフグに近い体型をしていた。後ろに尾ひれのような部分がある。バランスを取るためのものだろう。全体がブリキのような銀色。正面には2つのライトが、目のような形で取り付けられている。眉間の部分には小さな砲門があった。
コード14、だそうだ。元々は遥か昔、宇宙で使われていた兵器。今は巻田さんやバイオコップの練習相手として使われていたのだという。
コード14の口が開いた。ハッチの役割も果たすらしい。中に椅子らしきものが見えた。
「乗ってくれ。これから行くべき場所が2つある」
と、巻田さん。おれが聞く前に、その現場の場所を教えてくれた。
「まずは君の家。それから、君らがアジトに使っていたアパートに行く……そこから不明体を、五甲山に送り込む。そこでバイオコップと、須崎君が戦ってる」
五甲山。兄貴にとって……いやおれにとっても、特別な山だった。
ハッチが閉まる。内部には照明がついていた。鉄色の壁。正面にモニターがあり、そこから外の様子が見える。
おれも巻田さんも座っているだけなのに、コード14がひとりでに動き出した。そのまま道路を進んでいく。全自動自動車ってこんな感じなのだろうか。
「千堂君」
急に、巻田さんが話しかけてきた。
「これは作戦には関係ない。1人のネットユーザーとして……いや、1人の人間として、話したい事がある」
妙な話の切り出し方だ。
巻田さんが、自分のスマホを見せてきた。
「これって……」
おれがいつもイラストを投稿しているサイトの、アカウントだった。
しかも、ユーザーネームはプレスティッシモ。知ってる名前だった。
いつもおれのイラストを、見に来てくれる人だった。彼自身もイラストを描いていて、たまに見に行く事もある。まさかこのアカウントが、巻田さんだったとは。
「オレ、君のフォロワーの中では結構古株だろ?」
巻田さんの言葉に、おれは頷いた。投稿に初めてしばらく経ったくらいの時期に、フォローしてくれたのを覚えている。
「警察署での君の供述は、ひと通り目を通した。不明体を使って有名になれると思った、ネットでカルト集団みたいなのに称賛されているのが嬉しかった……そうだな?」
おれは頷いた。そういえば、そんな事をポロッと話した気もする。
「薬物も盛られてたっていうし、どこまで本心なのか分からないけど……。有名になりたいとか、内容はともかく人から称賛されたいとか、オレは普通の事だと思う。
でも、最初からそんな事を考えていたわけじゃない。最初は違う動機を持っていた……端的に言えば、オレのためだよな?」
「へ?」
巻田さんはいたずらっぽく笑った。
「より正確には、オレらのため、だな。
最初にイラスト描いてた時は、まさか自分の描いたキャラが実体化するなんて思ってなかったわけでしょ?カルトだって存在してすらいなかったし。
その時は、全然違うモチベーションで描いてたわけだよな?」
確かにそうだ……というか、当たり前の話だ。今までなぜ思いつかなかったのか、自分でも不思議なくらいだった。
あの頃を思い出す。フォロワーのリクエストに応えて怪人を作ったり、好きな仮面ダイバーの◯周年を祝ったり、怪獣のオリジナル強化版を作ったり……。巻田さん=フォルティッシモさんのリクエストに応えた事もある。
それから、兄貴。彼に見せたくてオリジナルキャラを作っている時は、いつもより気合いを入れていた。
今頃になって、やっと思い出した。不明体が現実で暴れる姿とか、カルトの崇拝とか、それは本来おれが求めていたものじゃない。
「あの、今のうちに聞いておきたいんですけど」
おれは巻田さんに話しかける。
「具体的にどういう能力を持った不明体がいい、とかありますか?」
巻田さんは少し考えてから、小さく呟いた。
「背中を狙えるヤツ」
「背中ですか?」
「ルトゥムは――ジャルカン星人は、強い。だが、ルトゥムの装甲は、背中が弱点なんだ。そこに主要機能の動力源が集中しているらしい。
何とかして、背中を狙う手段を持ってるヤツがいい」
背中を狙う手段……か。例えば、透明になって後ろから不意打ち出来る、とかそんな感じだろうか。
候補はいくつか思いついた。様々な能力を持った、怪獣や怪人達。しかしどれもしっくりこない。
そして。
1体、思いついた怪獣がいた。
もう他のヤツは思いつかなかった。ピッタリだ。こいつでいこう。
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