第35話 死を呼ぶ赤い涙

 瞬間、急に体のバランスが崩れた。というか、力が抜けた。無意識に使っていた力が、急にゼロになった。


 オレはコンクリートの道路に、思い切り頭をぶつけた。立ち上がろうとして、そして――オレは、体の異常に気付いた。


 痛い。


 痛い痛い痛い痛い!!


 尋常じゃない痛みだった。転んだ程度の痛みじゃない。それも、痛みはオレの腹から生じていた。


「ぐうっ……」

 頭の中で、バイオコップの声がする。宿主であるオレがダメージを受けると、バイオコップにも同じダメージが入るのだ。


 右手で左脇腹に触れる。妙な感覚。いつも通り服に触れるのとは、何かが違う。


 横向きに倒れながら、右手を手に持ってくる。腹がメチャクチャに痛む。


 右手が視界に入る寸前、オレはやっと気付いた。オレの右手が、濡れている。


 オレの右手は、赤かった。血で濡れていた。


 瞬間。


「初めまして、巻田ソウジュ君」


 後ろから、声が聞こえた。


 倒れたまま、振り返る。そこには女の子が立っていた。


 奇妙な格好をした少女だった。見た目は中学生くらい。髪や瞳の色といった、身体的特徴は一般的な10代女性の範囲内だった。しかし彼女の服はかなり派手だった。袖なしの上着に、半ズボンのジーンズ。左腕には雪の結晶のタトゥーが彫られている。


 しかし、本当に奇妙なのはそこじゃない。


 彼女の右手には、拳銃が握られていた。銃口がこっちを向いていて、しかも煙が立っていた。


「これが地球の武器っすか。初見で使うの、結構難しいっすね」


 少女が肩をすくめた。銃口を下げる。


 そこでやっと、状況が何となくつかめた。黒幕の手足となっていた、地球人達はすでに逮捕されている。つまり、こいつは。というか、その姿は。


「まさか……」


 バイオコップが、呟いた。


 オレにも分かった。左腕に掘られた、雪の結晶のタトゥー。バイオコップの記憶で見た、ジャルカン星人のものだった。


「どうも、巻田ソウジュ君。はじめまして。そして、先に謝っておくっす。君にはこれから、大変申し訳ない事をするっす」


 ジャルカン星人はそう言いながら、静かに拳銃を地面に置く。


「君に恨みはないっす。本来、君ははただの一般市民なんすから。でも……お前にはある」


 ジャルカン星人の口調が変わった。


 いや、雰囲気はもっと変わった。今までのどんな不明体からも、感じた事がないプレッシャー。


 怪我を抜きにしても、その場から動けなかった。見開かれた目が、こっちに刺すような視線を送っている。


 構えなんて全然取ってないのに、全くスキがなかった。わずかな身じろぎ1つさえ、見抜かれてしまうような気がした。


 動けなかった。頭が全力で危険信号を発している。なのに体が全然ついてこない。


「これまでわたしは、地球人の命を散々奪ってきたっす……。

 巻田ソウジュ君。うまくいけば、君が最後の犠牲者っす」


 ジャルカン星人の目が、赤く染まった。


 彼女の目から、赤い涙のような液体が流れ出す。まるで血のような、鮮やかな赤だった。


 その液体が、ジャルカン星人の体全体を覆った。繭のような形状を作る。ジャルカン星人の姿が、繭で完全に隠れている。


 そして。


 繭が、破裂した。


 そこにいた存在は、バイオコップみたいに見えた。少なくとも、シルエットはバイオコップのそれだった。


 頭にはエボシカメレオンのそれのような突起。目竜のそれのような口には、鋭い牙が整然と並ぶ。下あごには鋭いトゲが並んでいる。


 体つきはまさに筋骨隆々。服の代わりに、アーマーのようなもので胸元や下半身全体、肩が守られていた。両手には格闘家のそれのようなファイトグローブが取り付けられている。


 だが、バイオコップじゃない。緑色のバイオコップとは違い、体の色が真っ黒だった。そして、目の色はバイオコップと同じ赤。だが、こっちの方が若干色濃く見えた。


 ジャルカン星人がこっちに、ゆっくり歩いてきた。バイオコップの装甲がそのまま黒くなったような、不気味な姿。


「ソウジュ!!」


 バイオコップの声で、やっと我に返った。敵がこっちに近付いてきているのに、オレは一歩も動いていなかった。


 いや、動けなかったのだ。ジャルカン星人の放つ、異様なプレッシャー。


 ヘビに睨まれたカエル、という経験を、生まれて初めてしたかもしれない。今までの不明体とはわけが違う。このジャルカン星人、絶対に強い。バイオコップがいなかったら、棒立ちのまま殺されてた。


 バイオコップの場合、オレと逆の事が起こっていたのだろう。彼はさっきまで、過去のトラウマでまともに動けなくなっていた。そんなトラウマを吹っ飛ばして動かざるを得なくなるほど、ジャルカン星人のプレッシャーは強烈だった。


「あの装甲……ルトゥムだ」

「なんだ、それ!?」

「私達が使っているシステムのプロトタイプだ。だが、出力は私達のもの以上。

 それだけじゃない。ルトゥムは自爆機能がある……もし起動すれば、作和市そのものは軽く吹き飛ぶ」

「自爆って……」


 こいつが爆発したら、作和市そのものがなくなる。オレも含めた、たくさんの人々の生活基盤が。人的被害だってあるだろう。これはもう、逃げるわけにはいかない。


「さあ、バイオコップ……お前が殺した者達に、地獄で裁かれて来い」


 地の底から響くような声だった。ルトゥムの目が日光を反射して、赤く鈍い光を放つ。


 また金縛りにあうか、と思うほどの気迫だった。でも……やるしかない!!


 オレの目から、黄色い涙のようなものが出る。それがオレを覆って、繭のような形を作る。


 繭が破裂。オレはバイオコップの装甲を身にまとっていた。


「オオオオオオッ!!」


 オレ達は気合いの声をあげた。ルトゥムに向かって突撃する。


 最初もダッシュで距離を詰めた。だが、ルトゥムに少し近付いたところで、急に速度をあげる。敵のタイミングをずらすつもりだった。


 ルトゥムも動いているのは見えた。だが、オレ達に動きが追いついていない。


「セヤッ!」

 オレは思い切り、右拳をルトゥム目がけて振り抜いた。


 瞬間。

「ぐあ……!?」


 うめき声をあげたのは、オレ達だった。


 オレ達のパンチは空を切った。その代わり、オレ達の左わき腹――銃撃を食らった場所だ――に、重い衝撃が走っていた。


 カウンターを食らった、と気付くのに少しかかった。


 重い一撃だった。今までのどんな敵よりも、本当に重かった。


 ルトゥムがさらにパンチを放つ。反応出来なかった。気づいたらルトゥムのストレートが、オレ達の顔面に直撃していた。


 声にならないうめき声をあげ、オレは地面に倒れ込む。後頭部を強打した。バイオコップの装甲がなければ、確実に死んでいただろう。


 早くも意識が遠くなり初めていた。ルトゥムは、強い。今までのどんな不明体とも――1度はオレ達を破った不明体と比べても、レベルが違う。


 オレ達は何とか体勢を立て直した。その時にはすでに、ルトゥムはオレ達の側頭部目掛けて回し蹴りを放っていた。


 風を切る音からして、普段よりずっと重い。両腕を右側頭部に立て、ガードを作る。蹴りには間に合う。


 だが。


 脳に重い衝撃が走った。


 ガードしてるのかしてないのか、分からなくなるくらいだった。ルトゥムのキックは、あまりにも重過ぎた。


 再び地面に背中をぶつける。1発1発の威力。そこに込められた殺意。どれもこれも、今まで経験した事がない。


 このままやられっぱなしはマズい。オレもバイオコップも、反撃の必要性を感じていた。


 ルトゥムが再び近付いてくる――今だ!!


「セヤッ!」


 気合いの声と共に、オレ達は右足を振り上げた。回し蹴りを放つ。


 今度はルトゥムは、避けもしなかったしカウンターも打ってこなかった。その左側頭部に、オレ達のキックが直撃する。


 だが。


 オレの右足から、鈍い音が響いた。


「ぐあ……!?」


 硬かった。恐ろしい硬さだった。オレの右足が軋む。折れたんじゃないか、という考えが一瞬脳裏をよぎる。


 一方、ルトゥムは痛がる素振りすら見せなかった。あの頑丈な装甲に守られ、中のジャルカン星人にはほとんどダメージがないらしかった。


「クソッ!」

 オレ達は口を開く。その口から、猟天幻月槍を放った。巨大な銛が、ルトゥムに襲い掛かる。


 しかし、銛はアッサリと弾かれた。宙を舞って、地面に力なく落ちる。乾いた音が立って、それもすぐに消えた。


 正直、信じられない。あの銛で、今まで何度も不明体を串刺しにしてきた。


 物理攻撃がダメなら、それ以外だ。


 オレ達は体中に力をためた。そして。


「謳天涼月光!!」


 体中から電撃が放たれた。四方八方へ飛び散る電撃が、ルトゥムにも襲いかかる。


 当たった。確実にヒットした。閃光でルトゥムの姿が隠れる。


 しかし。


 閃光が消えた時、ルトゥムの体には傷1つついていなかった。こちらに向かって、ゆっくりと歩き続ける。


 この技のどちらも効かない相手は久し振りだ。しかしどうする?オレ達に反撃の手立てはあるのか?


「通常攻撃は通じない。凝天残月掌なら、何とか……」


 凝天残月掌。エネルギーをまとった裏拳を放つ。バイオコップの技で、1番威力が高い。


 しかし、ルトゥムは相当の手練だ。避けてくるかもしれない。ひと工夫して、確実に当てるようにしないと。


「……よし」


 オレは頭の中で考えをまとめた。その考えがバイオコップにも伝わる。


「それで行こう」


 ルトゥム目がけて、オレ達は走り出した。オレ達の体にエネルギーが貯まる。


 ルトゥムにかなり近付いたところで、オレ達は叫んだ。


「謳天涼月光!!」


 閃光と、電撃が走る。


 ルトゥムにダメージを与えたいわけじゃない。さっき通用しなかったばかりだ。それに、今回は威力も抑え目にしてある。


 しかし、その閃光はかなり激しかった。しかも至近距離から食らったのだ。


 一瞬だが、ルトゥムが少しグラつくのが見えた。閃光が効いたのだ。


 すかさずオレ達は、右拳にエネルギーを貯める。


「凝天残月掌!!」


 いつもの裏拳ではなく、右ストレート。オレ達の拳が、ルトゥムの顔面を捉えた。


 右腕にものすごい衝撃。爆発がオレ達の視界を覆う。


 手応えはあった。さっきまでルトゥムに当てた攻撃とは、段違いの威力だ。


 煙が晴れる。正面にルトゥムの輪郭が現れる。


 ルトゥムは立ったまま、動かなかった。目の赤い光も消えている。今どういう状態なのか、すぐには分からなかった。


 その時。


「しまっ――!!」


 バイオコップの、テレパシーにならないテレパシー。


 オレもやっと気付いた。ルトゥムの口が開いた。中から砲門のようなものが覗く。


 エネルギーが貯まるのは、一瞬だった。


 気付いたら、オレ達は建物に思い切り地面を打ちすえていた。いや、それどころじゃない。後ろの建物すら破壊された。オレ達の体はさらに吹っ飛ばされる。


 しばらく、自分達がどんな状態にあるのかすら分からなかった。ただ全身を走る激痛に耐えていた。


 気付いたら、オレ達は地面に大の字になっていた。地面が熱くなっている。そこかしこから、焦げたような匂いがする。


「電撃だ……」


 バイオコップの声が、頭の中で聞こえた。


 電撃光線、といった方が正確かもしれない。オレ達の謳天涼月光とは違う。エネルギーを集中させて、ビームのようにしていた。


 しかも、強い。ものすごく強かった。今までの相手とは比べ物にならない威力だった。


 体中が痛む。体のあらゆるパーツが、今すぐにでも分離しそうに感じた。ぶっちゃけ、動けそうにない。


 しかし。


「立て!」


 バイオコップが叫んだ。

「次が来るぞ!」


 ルトゥムの周りに、急に銛が浮かび上がる。オレ達が口から吐くのと、同じ形の銛だった。


 違うのは、数だ。ルトゥムの後ろで分厚い半円を描くように、大量の銛が並べられる。何十本どころじゃない。恐らく3ケタはある。


 そして。


 銛の先端は全て、こちらを向いていた。


 一瞬で悟った。これを全部避けるのは無理だ。


 オレ達目がけて、銛が一斉に発射された。


 まるで雨だった。大量の銛が隙間なく敷き詰められ、オレ達に向かって猛スピードで飛んでくる。


 オレ達はすかさず、体中に力をためた。


「謳天涼月光!!」


 体中から電撃を放つ。大量の銛が、電撃に弾かれる。


 正直まともに打てる手はこれしかない。避けられないなら、まとめて撃ち落すまでだ。


 効果はあった。銛はことごとく、電撃で撃ち落された。オレ達に命中した銛は、1本もなかった。


 しかし。


 謳天涼月光を使い終わってすぐ、技を解いた瞬間。


 急に視界が暗くなった。


 そのわけはすぐに分かった――しかし、オレ達が反応するには、気付くのがあまりにも遅かった。


 ルトゥムが、正面にいた。


 オレ達の顔面に、重い衝撃が走った。


 今度こそ、倒れたまま立てなかった。体に力が入らない。顔面から体中に痛みが回る。


 そのオレ達に、ルトゥムは容赦なく拳を振り下ろす。顔面に何発も衝撃が走る。意識が遠くなる。


 ルトゥムが右手を伸ばし、オレ達の首を掴んだ。そのまま持ち上げる。オレ達の足が、地面から離れた。


 息が完全に止まった。口からも鼻からも、空気が入ってこない。


 最後の力を振り絞って、オレ達は暴れた。といっても、大した事が出来たわけじゃない。弱々しいキックが当たったところで、ルトゥムはビクともしなかった。


 そして。


 ルトゥムの右手が、赤く光り始めた。


 瞬間、オレ達が感じたものは『熱』だった。熱い!!首が、すごく!!


 しばらく経って、光の正体に気付く。熱だ。熱で発光しているのだ。


 首元から嫌な音がする。感覚で分かる。装甲の首の部分に、ヒビが入っている。


 まさか、このまま首を折る――いや、破壊するつもりなのか。


 背筋が一気に寒くなった。もはやまともに打てる手がない。オレ達の首にかかる力は、どんどん強くなっていた。


 息が出来ない、どころじゃない。これ以上は、オレの骨格が耐えられない!!

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