第25話 夏の残響—監視される日常


当たり前の学生生活に戻った。


教室の窓から秋の光が差し込み、ざわめく声が廊下まで響いていた。魁斗は机に肘をつきながら、ぼんやりと黒板を眺めていた。


「魁斗、ノートまとめておいた。」

前の席から振り返った里桜が、いつもの笑顔を見せる。昨日までの重苦しい空気が嘘のように、彼女の声は柔らかく軽やかだ。


「……ああ」



廊下を駆け抜ける運動部の掛け声。窓の外ではバスケ部の後輩たちが試合の話で盛り上がっている。

——いつも通りの学校。


けれど、魁斗の手首に光るブレスレットは、その「いつも」を壊す異物だった。ジャージの袖で隠しても、触れるたびに冷たさが蘇る。


「魁斗、放課後一緒に帰ろ?」

昼休みに里桜が声を弾ませて言った。

「いいけど」

「じゃあコンビニ寄ろうよ。新作のアイス食べたいの」


彼女は嬉しそうに笑った。その笑顔を見ると罪悪感が胸を刺した。——あの夜の熱が、まだ皮膚の裏に焼きついて離れないのに。



里桜と校門を出ると、誰かに見られている気がした。…気のせいか


コンビニに行くと、アイスを食べながらガラスのカウンター越しに周りを見渡す。


「どうしたの?なんか真顔だよ」

「気のせいか、誰かに見られてる気が」

「やだ、うちのパパみたいな話しないでよ」

魁斗は軽く微笑み里桜の顔をみた。


…そうか! もう俺は尾行されているんだ。


——とたんに緊張が走る。

しかし、里桜のいる前で流石におかしなことはしないだろう。ドローンの監視には慣れているが、人間につけられた経験は初めてだ。ブレスレットをいじった途端に証拠を押さえられる。


「ねぇ、体観型シアターのアミューズメントパーク、リニュアルしたんだって!行かない?」

「ああいいよ」

「やったね!じゃあ、今チケット取るね。なんか、「検定」終わったら気が楽になったね!あとは、大学受験まで少し時間あるからね」


そうだ。本当はこれから高校生らしい、自由な一時が始まるはずだったんだ。


しかし、そんなこと言っている場合じゃない。



里桜がアイスを頬張る横で、魁斗は手首のブレスレットに指先をそっと滑らせた。


——システム起動。

微弱なパルスが伝わり、監視システム側の信号が映る。


画像の地図に青い点が散らばり、店内の人間の位置と心拍が表示された。どこだ。客、店員、配送ドライバー……?


店外、斜め向かいの灰色のワゴン車。アイドリング状態のまま、視線の向きだけが一定で固定されている。地図上に赤く光る。警察用の通信電波発信源だ。


「……あれか」

魁斗は視線を落とし表情一つ変えない。


「どうしたの?アイス、溶けちゃうよ」

里桜が覗き込む。


「いや、ちょっとスマホ見てただけ」

軽く笑って返すが、心臓の奥では別の熱が走っていた。


——これで、尾行の“位置”と“人数”は把握できた。一人だけだ。ただ、行動に出るのは早すぎる。今は知らないふりをして動きを見極めるしかない。


魁斗はアイスを口に運んだ。冷たさがほんの一瞬、鼓動を落ち着かせてくれた。だが窓の向こうの灰色のワゴン車の存在は消えない。


——これはただの尾行じゃない。

動けば、即座に絡め取られる“網”だ。


「……魁斗?本当に大丈夫?」

里桜の声が柔らかく響く。


「大丈夫だよ」

そう答えながら、魁斗は心の奥で決意した。


——このままでは終われない。




ワゴンの中、無線が小さくノイズを走らせる。


「今、対象者を尾行中。今のところ不審な様子はありません」

「そうか」


葛城が少し言い淀んでから続けた。

「あの……対象者と一緒にいるのって、警視総監のお嬢さんですよね? 里桜ちゃん。金矢魁斗って、彼氏なんですか?」

「ああ、そうだ」

「えっ……まさか、彼女が心配で尾行を?」

「阿呆か! そんなことでお前に頼むか」


「じゃあ何が……?」

藤崎の声が低くなる。

「こないだのブルーホライゾン戦士誘拐未遂。あれがどうも引っかかる」

「でも犯人は検挙されましたよね」

「“内々に解決済み”とサイバー省から通達が来ただけだ。警視庁には事後報告だった」

「……確かにそれは変ですね」


沈黙の後、藤崎がぽつりと言った。

「最近入ったあの女のアバター」

「セレスティアのことですか? プレイヤーは男です。如月アオイ17歳」

「ああ。あの件に関わっているのはみんな17から19の若者ばかりだ。しかも如月アオイも出身校は明成学園。この学区の隣の高校だ」


「まさか、学生が……?」

「最近の学生は、お前らより賢いぞ」

「いやぁ……まあ一理ありますね」


その時、モニターに動きが走った。

「あっ、対象者が動きます。また連絡します」


無線が切れ、ワゴンの中に再びエンジン音だけが響いた。


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