第22話 夏の残響— 消えたブレスレット
警視庁・特別押収品管理室。
無機質な蛍光灯の下、金属棚に段ボールが幾列も積まれている。〈闇市ガサ入れ 証拠物件〉の箱が、乾いた室温に浮いた。
「どうだ。それらしいものはあったか」
「……いえ、今のところは」
「貸せ」
藤崎衛・警視総監は押収品データを自ら検証していく。薬物、偽造通貨、改造デバイス……どれも“狙い”ではない。
「――何かが足りない」
低い呟きが、紙の擦れる音に沈んだ。何千点を鑑識に回しても、肝心の“それ”が見当たらない。
……ガラクタの山か。
どんな物でシステムを掻い潜っているんだ。
――いったい、どんな“形”をしている。
◇
藤崎邸・書斎前。
妻が湯上がりの水を持ってくると、藤崎は肩の凝りを揉みほぐしながらグラスを一気に空けた。
「お疲れみたいね。肩でも揉みましょうか」
「何時間も押収品資料を見ていたからな」
「若くないんですから、部下に任せれば?」
「……自分でやらんと気が済まない」
冷えたビールが注がれる。
妻の声が続いた。
「ねえ、こないだの文化祭。里桜、ベストカップル賞に選ばれたでしょ。あなたに画像送ったって。見た?」
「忙しくてな」
「見てあげて。もっと娘なんだから、応援してあげてね」
画面に娘の笑顔。隣には——金矢魁斗。その手首に光るブレスレット。
藤崎の指が止まる。……見た。今日あれを。同じ“輪”だ。
写真を拡大する。魁斗の手首のブレスレット。
照合——〈適合率 98.89%〉
「藤崎だ。押収品の中にブレスレットがある。メーカーを洗え」
「はい、今すぐ調べます」
「製造元は?」
「……腕時計ならありますが、ブレスレットは見当たりません」
「ちゃんと観ろ!細部まで全部だ!」
「データ検索を完了しましたが……やはり、そのような物はありません」
「……っ!」
使えない奴らだ!
通話を切り、藤崎はもう一度、写真の“輪”を睨んだ。――娘の隣で光っていた小さな円環だ。
だが、次の瞬間。画像からそれは“消えて”いた。
藤崎は机に両手をつき、思わず立ち上がった。
「……消えた……? 俺の目が狂ったとでも言うのか!」
刑事時代から鍛えた勘が叫んでいる。確かに存在していた。だが記録も写真すらも残っていない。
「誰かが……痕跡ごと世界から消したのか……」
心臓が冷たい鉄で締め付けられるように脈打つ。
妻の声が背後で震えた。
「あなた……大丈夫? そんなに怖い顔して」
藤崎は娘の画像をもう一度見直したが、そこに写っていた“はず”の光輪は、もうどこにもなかった。
高校生などがイタズラではできない、組織的なハッキングか......
藤崎は写真を見つめたまましばし沈黙した。だが、ドアを開けて入ってきた娘の顔に気づき、すぐに表情を整える。
「パパ、コーヒー持ってきたよ」
「……ああ、ありがとう」
湯気の向こうで微笑む里桜に、藤崎は意を決したように口を開いた。
「あの魁斗くんか。ベストカップル賞の祝いに、明日の夜……すき焼きでも、みんなで食べるか」
「え!ほんと?パパ!」里桜の瞳が一気に輝く。
「嬉しい。今すぐ魁斗に連絡するね!」
スマホを手に駆け出していく娘の背を見送りながら、藤崎はグラスを握る手に力を込めた。
——祝いの席など、ただの口実だ。
家族の食卓に座る少年の手首に、もう一度“輪”が光るのか。それとも、今度は最初から存在しないのか。
藤崎は、己の目を信じるしかなかった。
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