第19話 夏の残響―仕掛けられた網


市民権を捨てた人々は、やがて居住禁止地区へと流れ着く。そこは——通称「闇市」


———


警視庁 サイバー対策本部


分厚いカーテンで外を遮断した小さな会議室。壁際には機密情報を抱えた若い分析官が一人、スクリーンに映像を映していた。


梅施設システム責任者、真部は低い声で切り出す。


「3ヶ月前、梅施設の極秘データがハッキングされ盗まれた事件、数日前起こったブルーホライゾン選手誘拐未遂事件。


どちらも内々に解決しましたが、この二つの事件には繋がりがある。……十年前の“梅施設脱走事件”。あの時の残党が、再び動き出した可能性があります」


スクリーンに切り替わる監視カメラの静止画。新宿の雑踏に紛れる青年の姿が赤枠で囲まれた。


「久住賢太郎。9ヶ月前に梅施設から社会復帰し、自宅に戻っている……その兄弟の久住睦月が内部データを入手した。交渉後、施設から条件付きで退出を認められ、現在監視対象になっている。


その背後に“レジスタンス”ハクト”の残党がいるかもしれん」


室内の空気が凍りつく。

警察内でわずか数人の幹部だけが知る秘密。


——この情報が外に漏れた瞬間全てが揺らぐ。



警視庁・個室会議室。

壁際に立つ部下が入室。


藤崎里桜の父、藤崎衛ふじさきまもるは久住賢太郎の捜査を命じられていた。


机上に置かれた報告書には、浅草の自宅、通学、わずかな買い物履歴が並んでいる。——どこを切り取っても「普通」だ。


「特に異常はありません」

部下の声に衛は短く頷く。


だが、スクリーンに映し出された監視映像の一枚に視線が止まった。


新宿・雑踏を歩く久住賢太郎の姿。


「……なぜあんな場所に」

思わず漏れた独り言に部下が首をかしげる。


「目的地は確認できませんでした。直後に自宅に戻った記録が残っています」

「……とんぼ返りか」


衛は報告書を閉じしばし沈黙する。


——“未遂”とされたブルーホライゾン事件。

——偶然とされた久住の行動。


二つが表向きは無関係とされていることにどうしても納得がいかなかった。窓の外に広がる夜景を見やりながら、衛は低く呟いた。


「……茶番で済む話じゃないな」


梅送りから戻ったばかりの青年が、

わざわざ新宿闇市に立ち寄る……合理性がない。

行動記録直後に自宅に帰宅したことになっている。これはシステムを誤魔化した可能性がある。


「おい!2075年1月23日の久住賢太郎のカメラのデータを持ってこい」


「……不審物の持ち出しはなし。カバンも確認済みだ。だが映像を見る限り身軽すぎるな。ポケットに収まる程度の小型装置か……それなら目立たずに行動ログを誤魔化すこともできる」


真壁は資料に目を落とし、ペン先で青年の写真を軽く叩いた。


「本人の意思かあるいは誰かに渡されたか……」


資料の束を閉じると部下に視線を向けた。


「新宿界隈を洗い直せ。記録に残らない情報も含めてだ。小さな噂でもいい」


「……了解しました」

公安課の刑事が深く一礼し、静かに部屋を出ていった。



夜の新宿・裏通り。

刑事は人気のない路地で足を止めた。そこには古びた自販機の明かりに照らされ、フードを深くかぶった男が立っていた。


「お前ら、またか……俺は商売人だぞ」

「情報には金を払う。見たままを言え」


煙草に火をつけた情報屋は、わざとらしく周囲を見回した後、口を開いた。

「正月の後だな、確か一月後半。お前らの探してる久住って若造見たぜ。……あのビルに入っていった」


刑事の眉がわずかに動く。

「ビル?」

「ああ、あそこは今じゃ飲み屋ばっかだが、奥は怪しい連中のたまり場だ」



「久住賢太郎らしき人物を、新宿三丁目の雑居ビルで目撃したという証言を得ました」


刑事が報告書を差し出す。藤崎衛は無言で資料を読み込んだ。

「……やはり、闇市か」


数秒の沈黙。


公式には、梅施設ハッキング事件とブルーホライゾン未遂は「別件」とされ、彼に与えられた指揮権も「久住賢太郎の監視」に限られている。だが、衛の胸にはどうしても拭えぬ疑念が残っていた。


——本当に、ただの“未遂”だったのか。

この青年は偶然そこにいたのか。まさかな。



「——令状をとれ。理由は何でもいい。麻薬でも風営でも構わん。とにかくあのビルに踏み込め」


刑事たちが一斉に立ち上がる。

「了解しました!」


蛍光灯に照らされた衛の横顔には、父親としての柔らかさは消え、冷徹な国家の番人の影だけが浮かんでいた。

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