第7話 夏の残響 湯気の向こう

「おい、上条、どこ行くんだよ」

魁斗が腕を引かれながら声を上げる。


「腹減ったろ。飯、食おうぜ」

「……は? なんでお前と」

「理由? オマエ、顔が死んでんぞ」


店内は薄暗く、湯気がもうもうと立つ。上条は予約していたらしく、角の席へと案内されると、メニューも見ずに笑った。


「バイト代入ったから、しゃぶしゃぶ奢ってやる」

「えっ、検定前なのにバイトかよ」

「まあな。労働はスコアになるし、金は自分で稼ぐもんだ」


上条は箸を取りながら、ふと真面目な顔で魁斗を見た。「おまえは推薦で決まってるんじゃねえの?」

「……さあな」


咄嗟に視線をそらすと、上条はくすりと笑って鍋に肉をくぐらせる。湯気に紛れて、その輪郭が柔らかく見えた。


「結構食うんだな」

「運動してるし」

「じゃあ遠慮すんなよ。こっちの肉、うまいぞ」


「何だよ、食え」

咳払いして小皿を出すと、肉の香りが鼻をくすぐる。出汁の澄んだ旨味。こないだのラーメンとは違う満足が広がった。


「……うまいな」

「だろ?」上条は満足げに目を細める。


湯気の向こうで、不意に言った。

「アオイのことだけど」


魁斗の箸が止まる。

「……アイツは、ブルーホライゾン送りになった友人を助けるために行ったんだ」

「助ける? 冗談だろ。ヒーローじゃん……いや、ヒロインか。アイツは才能あるからな」


「梅は、そんなにいいところじゃねえ。あそこに行ったら、誰もまともに帰ってこねぇ」

「……更生されて帰ってくるんじゃ」


上条は視線を真っすぐにぶつけてきた。

「本気でそう思ってるのか?」


魁斗は息を呑む。

「違うのかよ」


「俺の知り合いに、賢太郎って走り屋がいた。梅送りになって、トポロジーを受けることになった」

「トポロジー?」

「脳を矯正するやつさ。強制的に記憶を書き換えられる。もうそいつじゃなくなる」


「……まさか」

「だが、そいつはトポロジーを受けずに戻ってきた。そんな例は初めてだ」


魁斗は声を失う。

「……」


上条は肉を口に運び、何気なく言った。

「で、お前はどうなんだ? 本当に今のままでいいのか?」


胸の奥を突かれるような感覚。里桜のメッセージ、父親の圧、セレスティアの光景——すべてが曖昧に混ざり合う。


「わからない」

魁斗の声は小さく震えていた。


上条は肩をすくめて笑った。だが、その奥に挑発とも案内ともつかない何かが潜んでいる。魁斗は頬が熱くなるのを感じた。


「まあ、今日は食おう」

そう言って、上条はもう一枚の肉を差し出した。


湯気の間で距離が縮まる。

外の世界の騒ぎも、里桜との約束も、アオイの剣閃も、すべてが霞んでいく。


確かなのは——鍋の熱と、隣の手先だけだった。


魁斗は気づいた。

自然に笑えるのは、こいつといるときだけだ。

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