夏の残響 『僕は、美しいものを見た』

アタヲカオ

第1話 第一話 夏の残響―僕は、初めて美しいものを見た―

僕は、生まれて初めて――

「美しい」という言葉の意味を知った。



2075年、日本。

世界一“幸福”と称されるこの国では、すべてがスコアで管理されていた。十七歳になると受ける「検定」が、その後の人生を決める。松はすべてに優遇され、竹は安定が保証され、梅は“再調整”の名の下に矯正施設へ送られる。


恋愛に性別の壁はなくなった。だが、交際は「事前登録制」誰と誰が付き合うのかは、データベースに入力され、承認されなければ“無効”とされる。


俺には、公認の彼女がいる。誰もが知っていて、

当たり前に「二人は将来結婚する」と思われていた。俺自身も、そう信じて疑わなかった。


けれど――。


俺のスコアは、まだ未確定だ。秋の検定を前に、揺れる夏を過ごしている。


体育館や街角の監視カメラは、今日も赤い光を点滅させていた。誰も気にしない。生まれた時からずっと、視線に見張られているのが当たり前だからだ。


――とにかく、まずは明日の試合だ。



茹だるような暑さは殺人的で、外に出れば命に関わる。金矢魁斗かなやかいとは、バスケ部での練習後、ジムに向かい、黙々とボルダリングの壁を登っていた。ストイックな食事制限、オイルで磨き上げた身体。


すべては「検定」前、最後の夏のために。



高校バスケ部、地区大会


8月24日。明成学園体育館。

エアコンが効いても、体育館の熱気は沸騰していた。魁斗は鍛えた体を駆使し、無心でコートを走り抜ける。だが、明成学園エース、上条晃かみじょうあきらには一歩届かない。


スリーポイントを決められ、会場が沸騰する。黄色い声援はすべて上条に向かい、魁斗の耳には悔しさだけが突き刺さった。


ベンチタイムに入る。


——そのとき。


「あれは……?」

体育館の空気がふっと静まった。


細身の少年が観客席から現れた。端正な顔立ち、乱れのない白いシャツ、汗ひとつかいていない額。光を受けて、その輪郭は透き通るように見えた。


ざわめきが広がる。

「ちょっと、あれって誰?」

「え、止めなくていいの?」

「うそ!うちの学校の男子だよね」


けれど彼は迷わなかった。人の視線をすべて無視するように、まっすぐ上条へと歩んでいく。


立ち止まると、ためらいなく腕を絡め、澄んだ瞳のまま、唇を重ねた。


時間が凍った。


歓声は遠のき、

ボールが床に転がる音だけが響いた。


普段はクールな上条が――驚きながらも、どこか安らいだような表情で、その接触を受け入れていた。


魁斗の胸が熱くなる。

喉が詰まり、呼吸が乱れる。



「コラ!試合中に何を――」


スピーカーが割れた。〈異常行為を検知。規定違反〉赤いランプが一斉に点滅し、体育館全体がスキャンされる。


「えっ……」「やばい」「捕まる……」

悲鳴が走り、人々が後ずさった。


——この世界では、秩序を乱せば、全ての日常が終わる。なのに、アオイはただ笑っていた。

その笑顔を見た瞬間、魁斗の胸を焼いたのは恐怖ではなかった。


喉を塞ぐ衝撃。

息が苦しくなるほどの昂ぶり。


魁斗は立ち尽くしたまま、心臓が破裂しそうなほど早鐘を打つのを感じていた。


——美しい。


気づけば、その言葉しか、頭に浮かばなかった。

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