エピローグ

宴の始末は、穏当に

「はぁ、疲れた……やっぱあたし、ダメだ。ああいう場所……しんどい……」



「だろうな。居心地悪かっただろ。……おつかれ、メル」




 ――――時刻は夜。そろそろ日付を跨ぐ頃。



 だが、外の喧騒はとてもそんな雰囲気ではない。レイニエル村の教会は村の外れに位置しているはずなのに、復興真っ只中の村で焚かれた火が、その周りで踊る人の歓声が、酔っ払い共の笑声が、目の前にあるんじゃないかってくらいに感じられる。



 窓を閉め、カーテンを閉じてもなお、漏れ聞こえてくるそれへ。



 俺は背を向け、ベッドに腰かける。……何故だか同じベッドめがけて、メルが倒れ込んできたのだが、生憎、妹からの急襲に慣れている俺は容易くそれを横へと避けた。




「…………酷い」



「……心の準備くらいさせろ。……おまえ、今日はやけに積極的だよな。どうかしたか?」



「…………まぁ、ね……」




 ぐるりと向けてきた抗議の目を伏せて、メルはくぐもった声で応じた。……うつ伏せの姿勢で動かない。ベッドへ身体を沈み込ませた上、顔が見えない。……寝ちまったら気付かないんじゃなかろうか。特に……今日は、かなり疲れたしな。




 ――――あれから、魔王マーティアを結果的に打倒してから。



 目を醒ましたリナに事情を説明し、ひとまず彼女の故郷であるレイニエル村まで『武芸百般九紋竜Neun Drachentatoos』で帰ってきたのだ。彼女の証言で、俺たちが『魔王を斃した』って情報が広まると、村中がお祭り騒ぎになってしまった。俺とメルは村長に促されて担ぎ出され、割れんばかりの喝采を浴びせられた。食べ切れないほどの食事を押しつけられ、未成年なのに酒まで渡されてしまった。



 人間と魔族の、争いの歴史。そこにまた、人間の勝利が刻まれたことで。



 人々は浮足立っていた。狂喜に沸いていた。笑い合い抱き締め合い安堵の声を上げていた。




 ……そんな空間が、どうにも、居心地悪くて。



 俺もメルも、こっそり脱け出してきてしまった。……腹いっぱいになるまで食えたはいいが、胸がすいたとは言えない。




 だって――




「……センちゃんらしいな、とは思ったけどさ」




 ごろん、と俺の方へと転がって仰向けになりながら。


 メルは、わざとらしく盛大な溜息を吐きながら言ってきた。




「人間も魔族も、仲良く暮らせる世界、ね……前途遼遠だと思うけどなぁ、あたしは。……できると思うの? 人間同士ですら、無駄にいがみ合うのに」



「なんだ、メル。早速次の魔王への心配か? っはは、優しいな、おまえ」



「優しいのはセンちゃんの方。……けど、残酷な優しさだよ。叶いもしない夢を見せるのは――」



「分からねぇさ。叶うかどうかは、やってみなけりゃ分からねぇ。……なにより、できた方が素敵だと思わないか?」



「…………ロマンチストだよね、センちゃんって」


 女心には疎いくせに。




 ――――聞き捨てならないひと言を追加して、メルは再び転がって横を向いてしまった。



 俺が、女心に疎いだと? まったく失敬な。これでも一応、色々察してはいるつもりだぞ? 言うべきタイミングじゃないから、言わないだけで。




 ……いや、まぁ、でも。




「…………なぁ、メル――」




 村は魔王討伐に沸いてお祭り騒ぎ。俺たちがいないことにすら気付いていない。



 加えて、ここは教会の2階。誰かが訪ねてくる可能性は限りなく低い。



 そして、ふたりして身を預けているのは、ふかふかのベッド。




 …………喧騒がやや耳障りだけど、今はあの糞マスコットもいない。好機と言えば、好機なのかもしれない。




 だから、ゆっくりと。




 ……おずおずと、冷や汗を掻きながら。




 背を向けて寝転がるメルへ、俺は。





 声を――











 ――――トントントン、と控えめなノックが響き、心臓が口から飛び出るかと錯覚した。








「っ!? だっ、だだっ、だ、誰、が――」



「……いいよ、入ってきて」



「ちょ、お、おいメル――」




「…………失礼、します……」




 欠伸交じりに起き上がり、ベッド端に腰かけたメルの言に従ってか、ノックの主はおっかなびっくり、ドアを開けてきた。



 思わず立ち上がってしまっていた俺は。



 ……部屋と廊下の狭間で俯く少女を見て、いっそう、固まってしまう。




「……おまえ……こんなところにいていいのか? 祭の主役だろうに――」



「……おふたりと、おんなじです。……居心地、悪くって……すみません……」




 そう言って――――リナ・ボルタネスは軽く頭を下げてみせた。




 豪奢に着飾らされた彼女は、全身から香ばしい匂いを立ち上らせている。あの大仰に焚かれた火の傍で、嫌と言うほどもてなされたのだろう。



 それを、『居心地が悪い』と感じるのも、分かる。




 だって、彼女は――




「愚痴を吐きたかった訳じゃないでしょう? ……相談事は簡潔に」



「お、おいメル。リナだって1ヶ月も魔王やらされて大変だった――」



「……そこです。その、本当……メルヒェンさんの、言う通りなんです……」




 言って。


 リナは静かに前へと歩み、ゆっくりと、扉を閉めた。



 まるで、誰かに聞かれることを恐れているかのように。




「……リナ……?」



「……おふたりは、『人間と魔族の共存』を、考えているんです、よね……? ……はい、凄く、素敵だと思い、ます……。、も……きっと、そう思ったんだと、思います」



「…………」



「センリ神父の、言う通り、です……わたし、は……1ヶ月、マーティアさんに、身体を乗っ取られて……魔王を、していました。……正直、こうしてまた、わたしの身体をわたしの意思で、動かせるなんて、思ってなかった……マーティアさんは、やろうと思えば、わたしの自我自体、消し去れるはず、だったんです……」


 けど……あの人、は、それをしなかった……。




 ――――手前のベッドの更に手前で、歩みを止めたリナの口は、訥々と思いの丈を吐き出してくる。



 ……ね。



 その呼び方自体がひとつの希望だって……この少女はまだ、気付いてねぇんだろうなぁ。




「あの人は……マーティアさんは、いつでも、魔族の幸せを、未来を考えて、いまし、た……。に、人間からすれば、恐ろしい想像図、でしたけど……でも、わたし……あの人が、外道な悪党には、思えません、でした。や、やってることは、非道でしたよ? でも……もしあの人が、魔王じゃなかったら……もしかしたら――」



「……リナ、あのさ――」









「――だから、こそ……お願い、します。わたしを……告発、してください……!」







 90度、神仏へ参るように腰を曲げて。


 リナは、絞り出すように声を出してきた。




「っ……!? な、なに言って――」



「だっ、だって! ……1ヶ月、魔王として非道の限りを尽くした、のは……わたし、です。わたしが……わたしが、魔王になってしまったばっかりに、あの方は……アイル様は、大事な仲間をふたりも、手にかけてしまった! わたし自身だって、アイル様を危うく殺めるところでした! ……人類の歴史上、類を見ない醜聞です……わたしも、アイル様も、……人間と魔族が、友誼を結ぶ時、必ず、邪魔になる……!」




 っ……そう、か、そういう思考が働くか。クソっ、想定外だった。



 市井の人間の認識じゃあ、『魔王にやられた勇者が錯乱して仲間を殺した』ってことになってる。大筋じゃあ間違っていないが、人間側の視点に立った時、そもそも勇者が狂う原因になった魔王へとヘイトが向かってしまう訳か。



 勇者個人への責任追及は薄れ、魔族への敵意に油を注ぐだけ。



 チッ……無駄に作り込みやがって、あの糞アロハ……! ――――かといって、じゃあその責を『1ヶ月魔王をやらされていた』この少女ひとりが取れば、それで丸く収まるのか? 悪い魔王はいなくなって、目出度し目出度しになるのか?



 それこそ、出来の悪いテンプレ糞プロット――




「っ……ほ、本当は、自分から名乗り出るべきだって、分かってるん、です……魔王に、囚われていたんじゃ、なくて……魔王に、なっていたんだって……でも、でも……恐いん、です、どうしても――――あ、あは、はは……な、情けない、ですよね……すみません、すみませんすみません、すみません、すみません……で、も……――――っ、おふたりと、それに、マーティアさんの理想を叶えるためには、わたしが一番邪魔――」










「バッッッッッッッッッッッッカじゃないの? あんた」








 溜めて、溜めて、溜めて溜めて溜めて溜めて。




 その末に罵倒を吐き出して、メルは、ナイフのように鋭い目でリナを睨んだ。




「ひっ……え、ぁ……」



「あんたは、単なる被害者だ。事情がどうであれ、どれだけ崇高な理念を持った輩であれ――――危害を加えたなら、そいつは加害者で、悪者だ。……勇者に至っては考慮する価値すらない。あんたはなんにも関係ない。あのバカが勝手に罪を犯しただけ。違う?」




 違う、と、リナは言いたいだろう。



 自分が魔王に乗っ取られなければ――――そんな仮定の話を持ち出したがるだろう。




 だが、メルはかつかつとリナへ近づいて、反論を封じる。……侮蔑に晒されなければ、彼女の対応は常にクレバーだ。俺も腰を下ろして、安心して見ていられる。




 誰より辛い目に遭ってきた笛吹メルヒェンは。



 誰より辛い目に遭ってきた人間に、適切に寄り添える奴だから。




「もう一度言う。あんたは被害者だ。だから――――



「っ……勝手、に……?」



「そう。他人ひとの罪はそいつの罪。あんたのものじゃない。勝手に取り上げるのは泥棒の仕業。……受けなくていい罰まで、望むものじゃない。罪悪感に折り合いをつけたいだけの、それは、ただの自己満足だ。どうしても償いたいなら、あんたが本当にするべき償いだけを掲げなさい。自分を無駄にすり減らしても、加害者がほくそ笑むだけだから」



「…………っ」




 あぁ、大分……言葉を選んで、優しく諭してやっている。



 ――――俺はその辺、下手くそだったな。嫌な形に開き直って、『全部あたしが悪いんだ!』とスレてしまったメルに対して、えらく酷い言葉をかけてしまったものだ。




 ――『悪いこと全部が自分の所為だなんて』


 ――『おまえ、そんなたいそうな人間じゃないだろ。自意識過剰だぞ』




 ……殴り合いの大喧嘩に発展して、途中から妹ふたりが『『兄ちゃんが全部悪い!』』と参戦してぼこぼこにされたっけ。……やっぱりメルは、頭がいい。俺の下手くそな矯正を、しっかり正しく受け取ってくれた。




 被害者に責任があると、被害者自身が思うだなんて。




 そんなの、加害者に都合がよくて――――被害者が余計、辛いだけだ。




「……で、でも……わたしの、するべき償い、なんて……っ、に、人間と、魔族が、手を取り合うなら……やっぱり、わたしの罪は――」



「マーティアは言ってたな。人間と魔族の争いは、5000年も続いてるって」




 ……まぁ、頑ななのはどうしようもない。そんなリナがまるで鏡みたいで、メルがイラついてしまうのも理解できる。



 助け舟くらいは出すさ。言葉選びには一日の長がある。



 被害者が加害妄想から抜け出すには――――被害そのものに、意味を持たせるのがいい。




「5000年も戦い続けている歴史の中で、リナ、おまえはきっと、唯一、だ。その経験は、絶対に武器になる」



「武器……? なん、の……」



。彼女の思想を、行動を、つぶさに観察できる立場にいた。……次にマーティアが生まれ変わるのが、いつかはまだ分からない。けれどいざ、『人間と仲良くしたい』魔王が現れた時――――そいつの気持ちを一番分かってあげられる人間は、間違いなくおまえだ」


 だから、逃げるな。恥じるな。誇れ。胸を張れ。


 おまえの経験は、誰にも真似できない唯一無二だ。




 ――――そんな見方、したこともなかったのだろう。眼を剥いて俺を見つめるリナは、ぽろぽろと、堰を切ったように涙を流し始めた。




「……それ、が……わたしに、しか、できない……償いこと……?」



「あぁ。きっとマーティアも、そう信じてる。……おまえにしかできない、大事な役目償いだよ。だから、忘れないでやってくれ」




 あぁ――――確かにメルの言う通り、俺の優しさは残酷かもしれない。



 けど、ごめんな。俺には彼女が傷つくのも、彼女が報われないのも、我慢ならなかったんだ。気に喰わなかったんだ。



 自罰思考を捨て去るのは、難しい。分かってる。痛感している。



 けどそれを押し殺してでも、彼女の望みに応えてほしい。



 贖いという名の自傷よりずっと、意味も価値もあるはずだから。




「っ……は、い……はい、はい……! 必ず……必ず……!」




 そう、繰り返して泣き崩れる少女に。



 メルがそっと寄り添ってあげていたのが……どうにも、意外を通り越して違和感だった。

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