異能vs魔法 頂上決戦
――――思い返せば、【
ミルクで濡れたものを動かす『
村を覆う大火すら消し去るミルクの大洪水『
ミルクと一緒にどんなものでもポットへ吸い込んでしまう『
他人の傷を癒す『
畑や井戸水を浄化した『
専ら移動のために使われた龍を作る技『
人を助けるため、人を治すため、人を立ち直らせるため。あらゆる奇跡をメルは駆使してきた。
だから。
「っ――――『
魔王ともあろう者が、青い肌を更に蒼褪めさせて杖を振るい。
黒炎の渦を作り出して燃やし尽くす――――そうせざるを得ないほどに凶悪な使い方を見たのは、実を言えば初めてだった。
前後左右あらゆる方位から、突き伸ばされたミルクの棘は。
蒸発の音をけたたましく立てながら、黒炎に呑まれていく――――「チィっ!!」と、隣でメルが激しく舌打ちしたのが聞こえてきた。
「炎の魔法……厄介だけど、相性なら――――『|敬虔を選別せし《《Noahs》――」
「詠唱破棄っ!!『
話し合いは無益という結論に、彼女も至ったのだろう。残念だが仕方がない。こうなればいよいよ、腹を括るしかなかった。
気は進まないが、気に喰わないが、癪だが、癇に障るが。
乗ってやるしかない――――何故なら――
「っ、『
「一歩下がれっ!! メルっ!!」
――咄嗟に、メルが展開したミルクの壁。きっとこの城ぐらいは強度があるだろうそれを、しかし。
魔王マーティアの放った魔法、巨大な雷の槍の穂先は。
易々と貫き、ぶち壊してきて――――反射的に、槍とメルとの間に俺は割り込んだ。
「っ、――――ぁああぁっ!!」
「ひぅっ!」
槍の形を成すまでに固められた雷。触れれば痺れるのは道理だが、それでも横合いから殴りつけることはできた。
だが、直撃を避けるよう、軌道を逸らすのが精一杯だ。
問答の間に、強化の効力は薄れてしまっている。今俺が常人離れしているのは、辛うじて残っている水煙の成果だ。それももう、すぐ切れる。感覚で分かる。
「――――メルっ!! 悪ぃが俺に――――うわっ!?」
「『
思わず手で防ごうとしてしまったが――――それには及ばなかった。メルがポットからぶちまけてきたミルクは、俺の身体に触れることはなく、しかし肢体の輪郭に沿うように纏わりついてきた。
それこそ、まるで鎧みたいに。
「使って。……今のは、ごめん。危ない目に遭わせた。……それで、少しは大丈夫なはず」
「っ、あ、ありがたいが、でもおまえは――」
「大丈夫――――『
残ったミルクを宙に舞わせ、メルは2匹の龍を創り出し、その片方へと腰を預けた。
ふわり、宙に浮いた彼女が、ギラリと凶悪な笑みを浮かべてくる。
「自分の身は、自分でどうにかするから。――――あいつさえ斃せば、帰れるんだから。だから……っ、……思い切り、ぶちかましちゃってっ!! センちゃんっ!!」
「……そうしてぇのは山々だがよぉ――」
それができれば苦労はしない。溜息を吐く暇すら惜しくて、俺は魔王の方へと向き直る。
肌は青い。白眼が赤い。額に3つめの眼がある。
いくら人外じみた姿をしていても……あれは、魔王に乗っ取られた人間なんだ。メルを受け容れてくれたあの村の、誰からも想われている少女の身体なんだ。
そんな肉体を、この怪力で直接殴るのは気が引けた――――だが。
「『
「――あぁもうったくよぉっ!!」
頭の回転が遅いことが、ほとほと嫌になる。ろくすっぽ考える猶予もなくて、俺はとにかく腕のミルクを啜り、ぶつぶつと詠うマーティアへと吶喊していった。
さっき、雷の槍を撃つ直前、奴は『詠唱破棄』と叫んでいた。ならば、今唱えている意味不明な文字列がその『詠唱』だろう。
冗談じゃない。
メルの異能すら力尽くで突破するレベルの魔法、バカスカ撃たれちゃ堪らねぇっ!!
肉体を傷つけずに無力化する方法は、なんとかバトルの最中に考えないと――
「『
「っ――」
余裕綽々の笑みを浮かべ――――その顔もすぐに見えなくなるほどに、眩しく巨大な雷の槍を、マーティアは放ってきた。
さっきの、あれだけ分厚いミルクの壁でも防げなかった、貫通してきた魔法の、完全詠唱版。眼前に迫るだけでも、全身が痙攣のように痺れる気分だ。
けど――――通せるか。通す訳にいくものか。
軌道を逸らすだけじゃダメだ。絶対に、メルに当たることのない対処だけが正解だ!
「――うぉらぁっ!!」
拳を振り上げ、槍の穂先めがけて打ち下ろす。
――――重力すら、拳の周りでねじ曲がったのが分かった。圧倒的な速度、類を見ない剛力。ふたつが合わさったそれはさながら隕石の如く、雷の槍を足場たる城めがけて墜落させた。
「っ、な、ぁっ!?」
屋上の大穴。響く破砕音。稲妻の音が遥か足下から響くという不可思議な感覚に酔う暇はなく、続けて拳を引き絞った。
今の俺なら。異能でバカみたいに強化された俺なら。
シャドーボクシングみたいに腕を振るうだけで、凄まじい風圧を発生させられるはず!
「
「っ!? ――――っ」
ぶんっ、という音さえ置き去りにした拳のひと振り。遠くで尖塔に亀裂が入り、バキバキと崩れていくのがよく見えた。
魔王は。
マーティアは、城の外へと跳んでいた。地上数十m、落ちれば確実に命がないだろう虚空に身体を投げ出して。
彼女は。
「ふぅ、ふぅ……厄介、ですね、貴様……!」
ふわふわと、身体を宙に浮かせて。
口を塞ぎながら俺を睨みつけ――――すぐに、視線の標的をメルへと移した。
「っ――――おい糞牛っ!! あんなんありかっ!? なんで空飛んでんだよあの魔王っ!?」
「ぶはっ!? ぉごっ、ご、ごぢどら常時溺れでんだぞオマエぇ……っ、と、飛ぶくらい普通だろうがっ!! 全身から魔力を放出して浮力にしてんだっ! 消耗はデカいが、別にこの世界じゃ空飛ぶくらい――」
「先に言っとけ糞役立たずがっ!!」
不味い、不味い不味い、こんなの聞いてないっ!
言うて直線状のフィールドじゃあ、俺がいる限りメルは安全だと思ってた。マーティアとメルの間には、必ず俺が割り込んでいるのだから。
けど、空を飛べるんだったら話が違う!
実際、マーティアはフィールドの外から杖を翳し、俺じゃなくてメルを狙っていた。
「っ……!」
「どうやら貴様の能力が肝要な様子……消すならまず、勇者からかっ! 詠唱破棄っ!!『
「――――させ、るかぁっ!!」
その一撃は、俺にしては随分焦って、殺意を抑え切れていなかったのだろう。
「っ!?」
マーティアは再び、手で口を覆って横合いへと避けた。仰け反った。攻撃の軌道も範囲も見えなくても、そうしなくてはと思ったのだろう。
俺が繰り出した、拳の一撃は。
――――何百m先に至るまでの森を薙ぎ倒し、ついでとばかりに、メルを狙っていた炎の槍たちを掻き消した。
「くっ、なんて出鱈目な出力――――っ、っ!? ど、こへ――――っ、『
「物騒な
振り抜く直前になって、影で俺の存在に気付いたマーティアは、咄嗟にだろう、闇色のドームで全身を覆った。
それでも今更、俺は止まらない。メルを狙われた怒りが、不甲斐なさが、苛立ちが、血が滲むほどに拳を固く握らせていた。
浮いているマーティアの、その頭上までジャンプして。
叩きつけるように、拳を振り下ろす――――屋上全体にまで罅を入れた一撃を、闇色のバリアは亀裂が入る程度の損傷で防ぎ切っていた。
ばいんばいんと、ゴム毬のように転がっていって――――風圧の反動で軽く吹っ飛んだ俺はメルのすぐ近くに着地して、位置関係は最初のそれへと戻ってしまった。
だが、戦況は大分変わった。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ……っ!!」
バリアを解いたマーティアは、やはり口を覆ったまま、苦しげに呼吸をしている。明らかに大技だろう魔法を2発、その上『消耗がデカい』と創造神直々に言わせるような飛行にまで魔力を割いたのだ。異能で体力まで増強されている俺と比べて、劣勢なのは明らかだった。
だから――
「ありがと、助かったよセンちゃん! それに……このままいけば、確実に勝てる……!」
「…………あぁ、確かにな……」
――龍の1匹を鎧へと溶け込ませてくれたメルに、俺は甘いそれを啜りながら頷いた。
勝てる。魔王マーティアを、戦闘不能になるレベルまで追いつめられる。
……ただ、どうにも引っ掛かる。
さっきから片手を犠牲にしてまで、口を塞いでいるのは何故だ?
今だって、上からの一撃にあんな大仰な防御魔法を使ったのは何故だ? 飛行で避ければいいだけじゃないか。わざわざ息が切れるほどに魔力を消費してまで、どうしてあの魔法で防御した?
それが、それさえ分かれば、できる気がする。
魔王マーティアが乗っ取った、リナ・ボルタネスの身体を取り返すことが――
「っ――――『
「っ! メルっ、そこから動くなよっ!?」
「うっ、うんっ! 気を付けてっ! センちゃんっ!!」
声援を背中に受け、俺は一気に跳んだ。
さっき聞いたのと同じ詠唱。ならば繰り出す攻撃も、同様の雷の槍だろう。威力と速度、両面から考えて、俺よりメルを優先するがための選択なのは容易に察せた。
だから、今度はより近くで叩き落とす。
なんなら城の崩壊に巻き込んで、気を失わせるくらいのつもりで――
「
と。
あと数mまで迫ったところで――――冷静な、凍るような呟きが聞こえた。
じゃあ、まさかこれは。
俺を接近させるための、
「詠唱破棄っ!!『
「っ――」
城塞すら貫通し破壊しかねない、巨大な雷の槍の、その代わりに。
目の前に現れたのは――――黒い黒い黒い黒い、熱い熱い熱い熱い炎だった。
「――ぅわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!?!??!!!!?!?!?!?!!!?!!」
悲鳴。悲鳴。絶叫する度に喉が焼けるが、それでも声を出さずにいられなかった。
熱い。熱い。熱い熱い熱い熱いっ!!
それ以外にない。痛みも痺れも全部後付けだ。『熱い』だけが唯一感知できる苦痛であり、熱波に押し出されて吹き飛んだことにすら、全部全部後から気付いた。
ミルクの鎧が、炎熱を防いでくれてはいたが、文字通り焼け石に水で。
むしろ沸騰した乳白色が法衣をズタズタに焼き焦がしていって――――
「――――うあぁっ!! ぐっ、ぅぅ……せ、センちゃんっ……センちゃんっ!!」
べしゃっ、という緩やかな落下音と、彼女の声。
それだけが辛うじて、俺の意識を繋ぎ止めていた――――それが、なかったら。
今なお全身を焼き焦がすような熱の奔流で、俺は、今にも気を失ってしまいそうだった。
「センちゃんっ! センちゃぁんっ!! しっかり、しっかりしてっ!! っ……あぁもうっ!! なんでこういう時に限って全然――」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ふ、ふはは、ははっははははははぁ……さすが、しぶとい」
もう、眼もロクに見えない。皮膚の感覚すら朧気だ。辛うじて、自分が仰向けに倒れているのと、上半身が小さく持ち上げられているのは分かる。
耳は、どうにか聞こえていた。血管を沸騰した血が焼く音がうるさいけれど。
だから……魔王が、マーティアが、随分近くまで来ていることは、察せられた。
「っ……あんた……赦さない……センちゃんを……よくもセンちゃんをぉっ!!」
「……仲睦まじいようで、なによりですねぇ。――――これでも、敬意を表してはいるのですよ? 異世界、でしたか? そんな場所より遠路遥々、怠惰な神の都合で連れてこられて……えぇ、少なからず同情いたします。元より甚振る趣味はありませんが――――『
角膜か網膜か、或いは視神経か――――どれが焼けていようが関係なく。
それはいやに、明瞭に見えた。
雷を縒って集めた、神々しさすら感じさせる光の剣。
ぼやけて巨大な柱にすら見えるそれを掲げながら、マーティアは続ける。
「せめて、諸共に一瞬で、同時に葬って差し上げましょう。……異邦からの客人に無体を働くのは本意ではありませんが、これも詮無き事……貴様らをこの世界に喚び寄せ、責務を植えつけた怠惰な神をこそ、どうぞお怨みくださいませ――――では」
さようなら。
――――その言葉を合図に、光の柱が動いた。巨大さに見合わぬ速度で、迫ってくるのが分かった。
多分、1秒もかからない。俺とメルは一緒に裂けて、消し炭になって死ぬのだろう。
「っ――――」
……やけに、甘い匂いが鼻を衝いた。
メルが、俺を抱き締めたんだと分かった。いくら触覚のほとんどが死に絶えたからって、大事な幼馴染みを、大好きな人を、間違えるなんてあり得ない。
温かい。柔らかい。甘い。そして――
「――」
……嫌われるかな、さすがにこれは。
ただ、まぁ、最期かもしれないんだ。賭けることくらいは許してくれ。
後でいくらでも謝る。土下座する。詫びろと言うならなんだってするさ。
だから――――ごめんな、メル。
これくらいしか、思いつかないんだ。
――――この窮地から一発逆転できる手段はさ。
「っ――――ひあぁっ!?」
「――――――――っ!!」
メルの上擦った悲鳴をBGMに、俺は跳ねるように立ち上がった。
そして、拳を思い切り、振り下ろされる雷の剣に向かって。
打ち上げる――――盛大な雷鳴が轟いて、剣と化していた雷は霧散する。
「な……はぁっ!? きっ、貴様、どうして――――だって、だって今っ!! 貴様は私の魔法に焼かれて、息も絶え絶えで――」
「――――」
悪いが、応えることはできない。パニックは察して余りあるし、咄嗟に跳び退いて後ろへ逃げてしまうのも理解できる。
だが、遅い。全てが遅い。
あの甘い甘い、柔らかな匂いの源――――メルの胸から、乳房から、直接母乳を吸った俺の前じゃあ。
【
「っ、『
今度こそ確実に仕留めるためだろう。マーティアは早口で詠唱を奏でていたが、それでも。
俺が、彼女の両腕を捕まえて。
組み伏すように罅割れた屋上へ押し倒す方が、よっぽど速かった。
――――よかった。間に合った。俺ももう、限界だったんだ。
「ぐっ、く、ぉ、の――――『せっ、
「――――んっ、く、ん……!」
「っ――――ふ、ぇ……!?」
ずっと後ろの方で、メルが困惑するような声が聞こえる。
それ以前に、至近距離からマーティアが、喉を反射で鳴らしてしまう音が聞こえてきて――――ただ俺は、にやりとニヒルに笑うことはできなかった。
何故なら、今俺は。
飲まずに口に溜めておいたメルの母乳を、魔王相手に口移しで飲ませていたのだから。
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