第21話 SNS

 アロンが橋本をソファに運び、そこらにあったノートで橋本の顔を扇いでいると、橋本は目を覚ました。

「ばっ、化け物!」

 橋本は、ソファの背もたれにしがみつき、逃げようとする。

 あたしは慌ててアロンと橋本の間に立った。

「化け物かもしれないけど、中身は優しい青年です!」

 

 橋本はあたしとアロンを何度も交互に見た。

 乱れた前髪をかき上げ、咳払いをしてからこう言った。

「……失礼しました。どこまで話しましたっけ?」

「被害届を出す話ですね」

 あたしは落ち着いて答える。


「そうでした。まずは被害届を出しましょう」

 橋本は自制を保とうと必死な様子だった。


「警察や相手方との交渉は、すべて私が行います。何かあれば必ず私を通してください」

 橋本は真っ直ぐにあたしの目を見つめながら言った。


「わかりました。よろしくお願いします」

 あたしとアロンは同時に頭を下げた。


「今日はこのくらいにしましょう。必要書類は後ほど事務員に届けさせます。わからないことがあれば、いつでも連絡を」

 橋本はにこやかにあたしたちを見送ってくれた。



 帰り道アロンは謝った。

「すまない。つい……」


「まあ、どっちみち言わなきゃいけないことだったし」

 あたしが微笑むと、アロンは少しホッとしたように息をついた。


「アロン。今日デートしない?」

 あたしはアロンの腕にくっついた。

「いいね」

 アロンはニコッと笑った。

 

「アロンの服、買いたいと思ってさ。ついでにあたしのも」

「ありがとう」


 アロンは無駄なお金を使わない。でも、ご飯の材料代だけは出してくれていた。

 たぶん、前に勤めたホストクラブで稼いだお金の残りだろう。もう、そんなに残っていないはずだ。


 試着をいくつかさせてみると、まるでリアル着せ替え人形のようで面白かった。

 何を着せても、絵になる。


「モデルの仕事とか、あればいいのにねえ」

「人前でポーズ作るのは恥ずかしいよ」

 アロンが苦笑する。


 あたしは思わず、羽を生やしたアロンがボディビルダーみたいなポーズを取る姿を想像して笑ってしまった。


「……変な想像したでしょ」

 アロンがチラリと横目で見てくる。

「また読んでるー」

「だから入ってくるんだって」

 アロンは笑いながら紙袋を振り回した。


「荷物多いから、一旦帰ってママんとこ寄ろう」

「いいよ」


 二人の後ろで、女子高生たちがひそひそと何かを囁き合っていた。

 

 ◇

 

『クラブ ローズ』


 カラン、カラン──。

 扉を開けると、梨沙ママがカウンターから顔を上げた。


「いらっしゃい」

 あたしの顔を見るなり、ママは小声で近寄ってきた。


「さっき別のお客さんから聞いたんだけど……SNSに、拡散されてるらしいのよ。背景がこの店じゃないかって」

 

 そう言ってママはスマホを見せる。

 画面には、羽を生やしたアロンが映っていた。


「誉がやったとしか思えない……。ごめんなさい」

「ママはなんも悪くないよ」

 あたしはママの背中に手を回した。


「捨てアカウントっぽいね」

 あたしはスマホで投稿主を調べた。


 《三人もの人を殺した化け物》というコメントに、『拡散希望』の文字。


「削除できないかしら?」

 ママが心配そうに尋ねる。


「削除しても、また上げられると思う。とりあえず、弁護士に相談するよ」

「弁護士に? もう依頼したの?」

「さすがに、弁護士なしじゃ無理!」

 あたしはお手上げポーズをしてみせた。


 ママは真剣な表情で言った。

「なんかあったら、すぐ連絡ちょうだいね。あたしも、何かあれば連絡するから」

 あたしは静かに頷いた。

 

 隣のカウンターに座っているサラリーマン風の男性が

「ママ、おかわり!」

 と言った。

「はーい!」

 ママはカウンターの中に戻って行く。

 

「ママー!また来るね」

 あたしが手を振るとママも手を振る。


「ママに迷惑かかりそうだね」

 あたしが残念そうに言う。


「動画上げたのは大和組の奴だな」

 アロンの口調が少し強くなる。

「だよねえ」

 あたしはため息をついた。


 家の近くのスーパーで買い物をすることにした。

 するとアロンの電話に見知らぬ番号から電話がかかる。


「出なくていいよ。ほっとこう」

 あたしは買い物に集中した。


 会計をしているとアロンの電話にまた別の番号からかかる。

 荷物をアロンに持たせて、あたしはアロンのスマホの設定をいじった。

「これで登録したところしかかかってこない。メッセージの設定もしといた」

 アロンにスマホを渡す。

「ありがとう」


 あたしは何か嫌な予感がしたが気にせず帰宅する。


 アロンがご飯を作ってくれている間にパソコンでSNSの削除依頼をする。思っていたよりかなり面倒だった。


「削除依頼したけど、削除してもらえるかわかんない」

 あたしはサンドイッチを食べながら答えた。


 今日の夕飯は、ローストビーフのサンドイッチとポトフだ。アロンは日に日に料理が上手くなっている気がする。

 

 アロンはあっという間に平らげる。


 あたしは重い口を開けた。

「相談なんだけど……。しばらく仕事は無理よね?」

 

 アロンは飲もうとしたマグカップから口を離した。

「奴らどんな手を使ってくるかわからないから、僕は隣にいないと危ないね」


「やっぱ、そうよね……」

 占いはお客さんのプライベートな話をしないといけないので、周りに他の人がいると占えなくなってしまう。

 

「隣で占い師のフリしようか?」

 アロンが提案した。

 

「いやー、無理かな。ちょっと離れてればいいけど……」

「段ボールに隠れてるとか……」

「それ、お笑いの仕込みだから」

 

 あたしはしばらく考え込んだ。

「まあ、なんか考えとく。このままだと貯金がなくなっちゃうー」

「僕も考えとくよ」

 

 今日はあたしも食器を洗うのを手伝った。

 

「アロン」

「ん?」

「一つお願いがあるんだけど……」

 あたしは少し躊躇して話した。

 

「アロンは子供欲しいよね?」

「ん……まあ」

「人間になれるかもしれないんだよね?」

「わからないけど、可能性はあるね」

 あたしは同じ食器をずっと拭いていた。


「あたし……まだそのときじゃないと思ってるから、アレつけて欲しいんだよね」

「あー。わかった。言わせてごめん」

「嫌ってわけじゃないんだけど……」


 アロンはあたしを抱きしめた。

「じゃあ、買ってくる!」

 あたしは苦笑した。


 アロンが戻る間、タバコを吸いながらノートパソコンでSNSを検索していた。

 他のSNSにも、アロンの顔が隠してあるものもあるが、はっきり出しているのもあった。

「もうこんなに広まってんの?」

 

「ただいま!」

「アロン、これ見て」

 アロンは真剣な表情になる。

 

 あたしはアロンの顔を見ながらこう言った。

「明日、橋本さんのとこ行こう」

 

「そうだね……。黙っておこうかと思ったんだけど。コンビニで中学生に少し絡まれたよ」

「マジで? 何されたの?」

「羽出してみろと言うから、人差し指で胸ぐらを持ち上げたら、下ろした途端逃げていった」

「あちゃ……」

 (指一本で持ち上げられたら逃げるなそりゃ)


「橋本さんにも逃げられたらどうしよう……」

「あーね。それは困る」

 アロンはそう言ってキスをした。

 (あたしスイッチ入れちゃったのかな? なんか熱い……)


 アロンはあたしを抱いてベッドに連れて行く。

 ――愛し合った後、あたしはそのまま眠っていた。


 ◇


 誰かがあたしを呼ぶ声で目が覚めた。なかなか目が開かない。

「優子。起きて」

 アロンがあたしを揺すっていた。

 

「火事だ」


 その一言で、全身の血が一気に引いた。

 寝ぼけていた頭が、一瞬で覚める。


「……え?」


 何かが焼ける臭いが鼻をつく。

 煙が、部屋の隅を這うように広がっていた。


「一階が燃えてる。玄関の方から火の手が上がっていた」

 アロンの声が急いでいる。けれど、落ち着こうとしているのがわかった。


「ちょっと待って」

 あたしは慌ててバッグだけをつかむ。

 そのとき、床の下から『ボン』という音がした。


 アロンがあたしを抱き上げた。

「行くよ!」


 二階の窓を開けると、夜気が流れ込み、煙の熱を一瞬だけ押しのけた。

 次の瞬間、体がふわりと宙に浮いた。

 息を飲む間もなく、アロンはあたしを抱いたまま飛び降りた。


 着地の衝撃と同時に、背後でガラスが砕ける音がした。

 炎の明かりが、夜の闇を赤く染めている。


 アロンがスマホで消防に電話をしている間、あたしは何もできなかった。

 立っているだけで、膝が震える。

 隣に住む年配の女性が駆け寄ってきた。

「大丈夫?!」

「……だ、大丈夫です」

 声がうまく出ない。喉が乾いて、うまく息もできない。

 すると、アロンが肩を抱いてくれた。でもまだ震えは止まらない。

 火の手はますます上がり、二階も燃えていた。

 消防車が何台も到着する。消防士が何人も必死に火を消そうと動いていた。

「早くして!」

 怒号が飛ぶ。沢山水をかけてもなかなか火の手はおさまらない。


 そのうち野次馬がどんどん増えてくる。警察官も駆けつけた。

 警察官の一人と喋っていた男の人がアロンの方へ歩いてくる。

「アロン・ドラクレシュティさんですよね?」

「はい」

 アロンは困惑したように答えた。

 

 警察手帳を出して、その人はこう言った。

 

「ちょっと署までご同行願えますか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る