第6話 ホストクラブ

 アロンが店に入ると、ソファーに二人座っていた。

 一人がアロンに挨拶した。

「店長の小鳥遊です。こちらの席へどうぞ」

 アロンは腰掛けた。


「高野梨沙さんからの紹介で、アロン……何さんでしたっけ」

「ドラクレシュティです。ドラクルと呼んでください」

「ドラクルさんは、こちらで働きたいということですが、経験は?」

「ありません」

「お酒は?」

「飲めます」

「女性のお客様を楽しませるのが仕事ですが、いかがですか?」

「……自信はありませんが、挑戦してみます」


 店長の隣にいた副店長が口をはさんだ。

「君のルックスなら十分通用すると思うよ」

「恐縮です」


「源氏名は……」

「あ、源氏名は知り合いに考えていただきましたので。《黒咲 ユウ》でお願いします」

「そうか……わかった」

「ユウ、明日から宜しくな。今日から働いてみる?」

 店長が親指を立てて、店を指差した。

 

「はい。今日からお願いします」

 意を決したようにアロンが言った。

 

「おう!じゃあ、やりますか!」

 副店長が手を叩いた。

 

「俺、店長の《小鳥遊 ルイ》、宜しくな」

 

 ◇


 ――夜。

 一通りホストマナーの基礎を教わり、先輩ホストをつけてもらい、アロンは卓に座った。

 女性客を挟んで、奥に先輩、手前にアロンだ。

 女性客は年配で、少し派手なスーツを着ている。

「こちら新人の《黒咲 ユウ》ね、宜しく」

 先輩が紹介した。

「ユウです。宜しくお願いします」

「お酒作ってあげて」


 アロンはグラスを手に取り、左手でグラスの口を覆いながら氷を落とす。ぎこちない手つきながらも、水割りを作り終えると、女性客は目を細めて微笑んだ。

「ユウは、どちらのご出身?」

「ルーマニアです」

「まあ、日本語お上手ね。日本は長いの?」

「ゴ……。十年ほどになります」

「十年は長いわねえ」


 彼女がタバコを口にすると、アロンはすかさずライターを差し出した。その自然な動作に、先輩ホストは内心舌を巻いていた。

(教えたの一度だけなのに、完璧じゃないか)


「私は昔ハンガリーとブルガリアに行ったことあるわ。ルーマニアはないけれど」

「そうですか! 観光ででしょうか?」

「仕事で行ったわ。輸入品を取り扱ってるものだから、現地視察に行ったのよ」


 いつしか話が弾んでいた。先輩ホストが、

「指名入ったんで」

 といい、席を外した。


「今度来たときは、またヘルプ指名させてもらうわ」

「ありがとうございます」

 

 結局、その日は二卓ほどヘルプでつき、次回ヘルプ指名の予約を受けていた。


 店長は、アロンが気に入ったらしく、大いに褒めていた。

「初日でヘルプ指名予約なんてすごいな!! また明日も頼む」

「ありがとうございます。また、宜しくお願いします」

 アロンもにこやかにしていた。


 ◇


 あたしはその日、占いの仕事は二件したところで、アロンのことが気になって仕方がなかった。

 面接が終わったら梨沙ママのお店に行くと言っていたし、行ってみよう。


 梨沙ママのお店は、月末に近いせいなのか今日は混んでいた。

「あら。ゴンちゃん、来てないわよ。そのまま働いてたりして?」

「そうなのかな? アトリエ見てくるかな」

「じゃ、ママまたね」

「気をつけてね」


 (スマホ持たせないと、めんどくさいな……)

 とあたしは思った。

 アトリエに着いたが、彼はまだ帰っていなかった。

 あたしもアトリエの合鍵を借りていたので、中に入って待つことにした。


 壁には絵の書いてあるキャンバスがいくつも立てかけられている。奥の南側の部屋にはイーゼルがあり、作業場のようだ。

「すごいなぁ」

 何十もの絵があり、あたしは感嘆していた。


 ソファーに座り一息ついた。

 (テレビも何もないなあ)

 横になってスマホをいじっていたが、いつしか眠ってしまった。


 ――ふいに温もりを感じて目を覚ました。

 アロンがあたしの上に覆い被さってきていた。

 知らないうちに腕枕をしていたようだ。


「ちょ、近いってば……!」

 押し返すと、ドサッと音を立てて床に落ちた。


「イテテ……」と、下から声がする。

「何してんのよ」

 とあたしが言うと、起き上がりながらアロンが答えた。

「君がソファーから落ちないかと思って」

「あ……ごめん」


「面接のあと、そのまま働いたの?」

「ああ。店長に飲み込みが早いって褒められたよ」

「へぇ、素質あるんじゃない?」

 私がタバコを咥えると、アロンはすかさず火をつけた。私は思わず吹き出しそうになった。

 (もうホスト板についてるし)


 あたしが布団で寝て、アロンがソファーで寝ることになった。

 

「明日、スマホ買いに行きましょう」

「わかった。これで、優子とすぐ連絡取れるようになるね」

 

 (まてよ、あたしが買わないといけないのか。また出費がかさむ……最近収入減ってるのに)

 ぶつぶつ文句を言いながら、布団にくるまった。

 

 ◇


 何かいい匂いで目が覚めると、アロンがコンビニの弁当をレンジで温めていた。膝の上にはレシートと小さな袋。

「適当に買ってきたよ」

「お給料、もらったの?」

「うん。少し。スマホ代は僕が出すよ」

「一日でそんなにもらったの?」

 ホストって儲かるんだなあ、と半ば呆れて訊き返す。アロンは照れたように笑った。


 コンビニ袋の中から、サラダとサンドイッチをもらい、一緒に食べた。食べ終わって、タバコを吸い始めると、アロンがぽつりと言った。

 

「思ったんだけど――君がここに来るなら、一緒に住んでるのと変わらないんじゃないかって」


「あー。昨日は心配だったからね。一応。あたし、気にすると考えちゃうタイプなのよ。ていうか、何でそんなに一緒に住みたいの?」


「そりゃあ……」

 彼はためらいながら、私の隣に座り直した。空気が少し張る。

 私は身構えた。

「あたしと、前世のあなたの妻は違うよ。別人だから」

「まあ、確かにそうだね」

 彼の声が少しだけ寂しげに震えた。


「僕の呪いって、人間の子供が生まれると解けるらしいんだ。本当かはわからないけれど」

 アロンは遠くを見るような目で言った。何かを思い出しているようだった。


「子どもを産んでくれる人を探せばいいんじゃない? あたしはやることがあるから、子どもは考えてないけど」

「……」

 しばらくの沈黙の後、彼が訊いた。

「やることって何?」


 私は、自分が貯金して子どもたちのための施設を作りたいと話した。


「素敵だな」

 アロンは静かに言った。

「僕は何か力になりたい。それと、ずっと一緒にいたい」


 私は言ってしまった。

「……あたしには、アロンはあたしを通してセシルを見てるように見える時がある」


 視線が合い、彼はうつむいた。

「確かに、僕たちは出会ったばかりだね」

「うん」

「僕の――全てを知ってほしい。だから、全部見せるよ」


 彼はそう言うと立ち上がり、顔を上げて天井を見つめた。その顔が苦しげに歪む。次の瞬間、身体の表面で小さなうねりが走り、手足や顔に暗い毛が生え始めた。肌が黒ずみ、体が縮んでいく。


 みるみる小さくなり、床の上で三十センチほどのコウモリになった――羽をばたつかせ、天井近くをパタパタと飛ぶ。


 私は思わず声をあげた。呆然として、目を見開く。

「……キモ!」

 つい本音が出てしまう。


 しばらくしてコウモリはゆっくり床に舞い降り、身体がふくらんで人間の姿に戻った。戻った彼は四つん這いで固まっている。顔にはまだ驚きと恥ずかしさが残っていた。

「キモって言われた……」

「ごめん。初めて見たんだもん。ほんと、ごめん。ていうか、早く服を着て」

 私は慌てて言った。彼は力なく服を整える。


 その姿を見て、私は自分の言葉にハッとした。

(勇気出して変身したのに、ひどいこと言っちゃった……ほんまもんの吸血鬼やん)


 反省しつつ、私は思い切って口にした。

「一緒に住んでいいよ」


 彼の目がぱっと光った。

 

 ――あー。言っちゃった。

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