山男と少女 ―辺境で生きる二人―
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山男と奴隷少女
第1話 雪山で拾った少女
―――十五年前、人間と魔族の間で大きな争いが起きた。
五年にわたる戦いの末、人間が勝利し、魔族たちはかつての領地である北部平原から追われ、さらに北の険しい山々に囲まれた森へと逃れた。
北部平原は、魔族討伐を主導した大国アズルナの領地となった。
北部平原の東に築かれていた討伐隊の補給基地は、やがて村となり、十年を経て「カストラム」という街に成長した。
カストラムは山の麓に位置し、その山々の向こうには魔族の住む森が広がっている。
魔族が山を越えて襲ってこないのは、山々があまりにも高く連なっているからだ。
標高が上がると、魔法の源である
この世界で最も魔法を操る魔族にとって、その高山は牢獄のような存在だった。
夕暮れ時、山を覆うように吹雪が訪れた。
唸るような風が遠くから響き、瞬く間に視界は白に閉ざされる。そうなれば、迷い込んだ者は方角を見失い、道を外し、やがて命を落とす。
ただでさえ魔法を使う獣やモンスターが徘徊する世界で、山を歩く者は稀だ。まして山に住むとなれば、ドワーフか、狂人くらいのもの。犯罪者や世捨て人ですら、棲家に選ぶのはもっと低い森の中だ。
その吹雪の中を進む男――エルディンは、世間から見れば狂人に分類されるだろう。
「はあっ……はあっ……」
食料調達に出かけた彼は、珍しく獲物を仕留めるのに手間取り、天候の荒れを承知の上で引き返さず、判断を誤ったのだ。
真っ白な世界の中、方向は合っているはずだと自分に言い聞かせながら歩く。立ち止まれば寒さに体力を奪われる。だから歩くしかない。
担いだ獲物の重みが足を鈍らせる。
(ここで荷を捨て、吹雪が収まってから取りに戻るか……)
そう考えかけた時、前方に薄い影――小屋の輪郭が浮かび上がった。
「助かった……!」
それは紛れもなく、自分の山小屋だった。
体力は限界に近く、気持ちは焦るが足はもつれる。必死に歩みを進め、扉がはっきり見える距離に近づいた時、異変に気づいた。
「……あ?」
扉の前に積もった雪が、不自然な形をしている。石にしては大きすぎ、岩にしては小屋が無傷すぎる。近寄り雪を払うと、それは――人の形だった。
「人……? おい、しっかりしろ!」
抱き起こした瞬間、エルディンは息を呑む。
黒に近い褐色の肌。銀の髪。ボロ布のような衣服。奴隷にしか見えないその姿。誰が見てもダークエルフだと分かる少女だった。
エルディンは慌てて扉を開き、少女を担ぎ入れる。獲物を放り出し、震える手で火打石を打ち、暖炉に火を灯した。濡れた衣服を脱がせ、ベッドに寝かせ、毛布をかける。暖炉の石を布に包み、毛布の上に置き、更に覆う。そして自らも服を脱ぎ、少女と同じベッドに潜り込んだ。
少女の身体は氷のように冷たく、指先は硬直していた。かすかに息はあるが、このまま助かるかは分からない。
痣だらけの体は、奴隷であったことを物語っていた。
(逃げ出し、運良く道もないこの小屋に辿り着いたのか……。ここで死なれたら寝覚めが悪いな)
吹雪は朝まで続く。奴隷商も、逃げた少女は死んだと考えるだろう。今できることは、ひたすら体を温めることだけだった。
少女が目を覚ましたのは、薄暗い山小屋のベッドの上。
薪の爆ぜる音。獣皮を敷いた寝台。鍋をかき混ぜる無骨な男の背中。
(ここは……?)
記憶が途切れ途切れに蘇る。馬車に乗せられ運ばれる途中、転倒し、放り出され、無我夢中で逃げて――。
暖炉のそばには、自分の濡れた衣服が紐に吊るされていた。
「山の上だ。お前は吹雪の中で死にかけていた」
突然の声に、少女の体がびくりと跳ねる。背を向けたまま、起きたのをどうして分かったのか。
「服は濡れていたので脱がせた」
はっとして手足を確認する。拘束も首輪もない。あったはずの鎖は、もうどこにもなかった。
「……逃げてきたのか。道もない山小屋に辿り着くとは、運がいい。凍傷も酷くなかった」
奴隷になったこと自体は運が悪かった。だが吹雪に巻かれながらも生き延びたのは、確かに運が良かった。
「吹雪が止んだら街まで送ってやる。それまで大人しくしていろ」
その言葉に心臓が跳ねる。街に戻れば、再び奴隷にされる。だが、帰る村も家族ももうない。私は、ひとり……。
「……お願い……します。ここに……置いてください……」
涙があふれた。
少女に残されたのは、この男の善意だけだった。
男――エルディンは、しばらく少女を見つめ、やがて口を開いた。
「……分かった。ただし働け。飯はタダじゃない」
少女は俯いたまま、小さくうなずいた。
「俺はエルディン。お前の名は?」
「……ゼルナ……です……」
エルディンは鍋からスープを器に注ぎ、ゼルナへ差し出した。
こうして、山に生きる男と少女の共同生活が始まった。
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