第8話公共施設
「先生が過去に診ていた大勢の患者さんの中で一人だけいたわ」
「いたんですか!?」
エミリーは静かに頷く。
「その患者さんと、大昔の運命の番を見つけた患者さんのカルテを確認したんだけど、共通する点は運命の番にうなじを噛んでもらうとヒートが起きる事が一切なくなります」
「えっ、ヒートがなくなる!?」
「それによって面倒な抑制剤を飲む事もなくなり、妊娠する体質を除けばベータと変わらなくなります。寿命も普通の人間と同じように平均寿命を全うできるようになるようです」
「へぇ~寿命まで普通になるのかぁ」
「たぶん、運命の番がいるという幸福感で満たされているためだとされています。だから不幸寄りなレアオメガも必ず幸せになれると言われているんですよ。もちろん、その患者さんは今も幸せそうでしたよ」
運命の番と巡り逢えたら、ヒートがこなくなる上に普通の平均寿命を全うできるなんてすごいバフ効果である。羨ましいな。
ゲーム設定にそんなものはなかったので、これは製作者の隠し要素で入れられたのかもしれない。しかし、普通の番とさえ番えなかった者はやはり悲惨だろう。
普通の番がいれば60代くらいまでは生きられるのに、それすらもいなければ20代前半でほぼ死亡フラグだ。
自分の性別、周りの目や差別、不定期にくるヒート、孤独、やがて生きる気力を失って死ぬのを待つだけになっていく。
まさに番がいないと絶望しかない性別がレアオメガ――――。
「パスカル君にも一応渡しておくわね」
エミリーが机を明けて何かを取り出そうとしている。
「それは……」
「もし、あなたが番を見つけず、抑制剤も効かず、病気になった時、もう自分一人では生きていくことが難しくてどうしようもなくなった時、この施設に入るのを検討してください。場所と詳細の施設の紙を渡しておきます」
公共施設の案内の紙をエミリーが差し出す。行き場を失ったレアオメガが、生涯ずっと隔離されるために入る緩和ケア施設だ。
レアオメガシェルター。
別名【死を待つ場所】とゲームで聞いたことがある。本編のゲームにはこの場所は訪れないが、名称と外観だけは登場していたのを思い出す。名前通り、レアオメガだけを集めた公共施設。
険しい山奥に存在するためにほとんど人が近寄らないため、その詳細な場所を知っている者はレアオメガの専属医だけと限られている。
「このシェルターに入らなくていいに越した事はありません。だけど、いつどうなるかわからないからこそ、全てのレアオメガの患者さんにこの施設の存在を知らせているのです」
「ほんと、いつどうなるかなんてわかりませんもんね……レアオメガって」
自分がいつかここに入るかもしれない。むしろ、入るしかないのだと思う。
番う相手もできないだろうし、ましてや運命の番なんていう夢物語は信じていない。
でも入りたくなんてない。だれが入りたいもんか。
こんな収容所のような施設で一生を終えるなんて。
だけど、レアオメガにのびのびと生きられる自由なんてない。
翌日の朝、両親に言われた通り店の手伝いをする事にした。レアオメガを雇ってくれる職場などありはしないと諦めて、パン作りに精を出すことにする。
前世では普通のオタリーマンだったが、今生では名無しのパン屋の少年というモブ。だからパン作りはお手の物だ。料理だって前世では飲食店の会社にいたのでそれなりにできる。
老い先短い人生だ。せいぜい楽しんで人生を全うしようと思う。
パン作りのチートをこれでもかと出してやる。
「何を作っているんだ?」
「揚げパンってのを作ろうと思って」
「アゲパン?」
父のトムがいつもの人気商品のクロワッサンを形にしている横で、パスカルは揚げパンのレシピを想像で考えてノートに記し、それを試しに作っている。前世で小学校の時の給食に出た時は大喜びしたあのレアなパンだ。
給食に揚げパンが出る日だけは風邪をひいても意地でも登校していた記憶が懐かしい。しかし、作り方はさすがに知らないので、自分のパン屋としての想像と腕で作る事になる。昨晩、寝る際になんとなく揚げパンの事を思い出して無性に作りたくなったのだ。
「ねえ、父さん。パンを揚げるって邪道かな」
「いや、そうは思わないが、揚げパンってその名の通りパンを揚げるのか?斬新だな」
「うん。きっと美味しいと思って。だけど油も砂糖も高いから隠れ商品にしようかなって思ってる」
余裕があれば幻の焼きそばパンとかも作りたいが、そんな余裕は今はないので揚げパンでしばらく様子を見て頑張ろう。
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