ジーロ
綿野 明
人魚が打ち上げられていた
貝を拾いに来ていた。
運が良ければ、海流にさらわれた深海のセル貝がこの海岸に流れ着くはずなのである。
青く透き通った貝殻は真珠光沢を帯びて、光に当てればえもいわれぬ煌めきを放つ。
いや、ともかく、実に研究しがいのある神秘的な貝なのである。
だから僕はつまり、ひとりうつむきながら海岸を徘徊している陰気な人間ではない。
その長すぎる前髪のせいで余計陰気に見えるのだと言う不躾なやつもいるが、ひとの髪型を見て陰気だなんだと悪口を言っている奴の方がよほど陰気ではないか。そんなやつらの好みに合わせてわざわざ髪を切ってやるなんてとんでもない。僕は決して陰気ではないが、人と目を合わせるのが何より嫌いなのだ。前髪がなくなったら困る。
そんなわけで、僕はいっしんに砂の間に目を凝らしながら海岸を歩いていた。前方には分厚い前髪のカーテンがぶら下がっていたため、かなり接近するまでその存在に気づかなかった。
「──うわっ」
イルカか?
足元に横たわる海獣めいた大きな影に、僕ははじめそう思った。夜の間に打ち上げられてしまったのだろうか。僕はそのイルカらしきものが生きているかどうか確かめるため、前髪の隙間から目を細めてそれの全身に視線をめぐらせた。そこで、そいつがイルカではないことに気づいた。
人魚……?
大きな尾を上にたどってゆくと、そこには境目なく人間の上半身がつながっていた。わけがわからない。だがその胸元が上下していて、その肌が乾燥し始めているのを見て、僕はとにもかくにも海に向かって駆け出し、バケツに水を汲んでそいつの上にぶっかけた。
「ヅァッ!!」
すると人魚は変な叫び声をあげ、ものすごく驚いた様子で跳ね起きた。銀色の長い髪を振り乱し、こちらを振り返って言う。
「アーリッングァィギゥタ!」
ものすごく迷惑そうな顔だった。人魚は吐き出されたナマコの内臓でも見るような顔をして「アーリイィングァイギゥタァ!」と繰り返した。
「ええと、大丈夫か」
「あ?」
すごくはっきり「あ?」って言った。岩に張り付いて干からびた海藻を見る目で。僕は怯んだ。
「その……人魚?って、陸で息できるのか? ちょっと乾燥してたけど、どうもないか?」
「は?」
今度は「は?」って言った。食べようと思って拾った貝が腐っていたみたいな目をしていた。僕は心が折れた。
「いや……すいませんでした」
そう言って立ち去ろうと背を向けたとき、その背に声がかけられた。
「人魚ではナい、ジーロ」
「ジーロ?」
僕は振り返った。人魚は「いかニも、ジーロ」と重々しくうなずいた。顔立ちや声の感じは人間ならば十代半ばくらいの少女に見えたが、あくまでもそれは人間基準なので、実際のところはわからない。
「……そうなんだ」
「そゥ。おマえ、バカ」
彼女はそう言って絵に描いたような嘲笑をこちらに向け、フンと鼻で笑った。
真っ二つに折れていた僕の心が四等分になった。
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