陰ながら守ってきた銀髪幼馴染が、最近やけに誘惑してくる。
沙悟寺 綾太郎
一章
第1話 相模原 太陽は不良である。
高校生ってのは、よく喋る。例えば、通学路だとか、教室の中だとか。
正直、別にどうだっていいのだが、流石にここ、電車の中では騒がしい。
「西高の──相模原って知ってるか?」
「いや、知らんけど……そいつがどうかしたの?」
そんな会話を発したのは、左斜め、吊り革に捕まって立っている二人組の高校生だった。
通勤ラッシュとは関係のない、朝の電車。八時少しの落ち着いた車内。
「……はあ。そんなに有名人なのか」
ぼんやりと俺は首をひねって、後ろに広がる車窓を見た。
変わり映えのしない住宅街と、古めかしさを感じさせる小さくもなく、大きくもない街。
一つ前の駅には乗り換えがあって、多くの生徒やサラリーマンが下りてゆく。だからか、いつもこの時間は、たいてい座ることが出来る。
「まじ? 知らねぇの? 有名なんだぜ?」
「ほー、なんで?」
本来ならば、別に視線を送ることもしなかっただろうが、話題が話題だ。どう頑張っても知らんぷりに徹しても、耳に入ってくる。
「有名なんだよ。かなりの不良で、しかも金髪なんだってさ」
「はあ? 西校といえば、県内でも相当な進学校だろ?」
「そうそう、あの西高」
「いやいや、んなとこに、そんな漫画みたいなやつがいるわけないじゃん。まあ、私学だし、金髪ってのはありえるけど」
「そーなんだよ、なんだけど、一人だけやばいのがいるんだとさ」
少し興奮した様子で、男子生徒は続ける。
「上級生とか他校の生徒とか関係なく、喧嘩しまくり、勝ちまくり。中学の時なんて教師を半殺しにしたらしいぜ?」
「はっ、絶対嘘だろそれ。そんなことしてタダで済むわけない」
「いや、それは……まあ、そうだけどさ。先週も何やら二人相手に、一人でボコボコにしたらしいし」
きぃと鉄の車輪が緩やかに停止するべく、ブレーキ音を上げる。そして、それが止むなり、『次は〜』とアナウンスが響いた。
そうして、駅に到着する。すると、人の入れ替わりが起こる。
数人の学生が、サラリーマンが降りて、その代わりにまた数名の学生とサラリーマンが乗り、そして。
「うわ、すっげぇ。美人」
「た、確かに」
乗ってきたのは、幻想的な銀色の長髪を揺らすブレザーの少女。瞳の色は、輝くような金色で、その顔立ちはテレビでもお目にかかれないくらいに美しい。
たったの一瞬でその場の空気を変えてしまうような美貌、そして、周囲の人を飲み込むような圧倒的な存在感。
その持ち主の名前を、俺は知っていた。
「おはよう、太陽。珍しく今日は遅刻してないのね。隣、いいかしら?」
「おはよう……い……天科。今日もあい変わらずだな」
「それ、どういう意味?」
「いつも通り美人だなってこと」
何故なら、彼女は幼馴染だから。幼稚園の頃から、ずっと一緒だったから。
天科 いつか。その少女の名前だ。
「……今日の二限目の数学。小テストだそうよ」
「へぇ、そりゃ大変だな」
いつかはナイロンのスクールバッグからブックカバーに包まれた文庫本を取り出すなり、視線を落とした。
たったそれだけ、日常の一幕。けれど。
「き、綺麗だ……」「う、美しすぎる……」
周りの学生らからはため息が上がる。まるで、美しい絵画を目にした時のように。
しかし、その隣。彼女に引っ張られた視線が俺に気づくと。
「げっ、マジかよ。あの子の隣のやつ……」
「ん、なんだよ……って……あ、あれって」
先程の男子校生は、咄嗟に視線を外した。
「ぜ、絶対、目合わせんなよ」
「な、なあ、あの制服……西高だろ? しかも、金髪って……さっき言ってた」
「黙れって聞こえたらやばいだろ」
その一言が聞こえては何の意味もないだろうに。俺は無視して、スマホに視点を落とした。
あと二駅の辛抱だ。学校にさえ行ってしまえば、誰も俺の話をしなくなるのだから。
『次は、西川江高校前。西川江高校前です』
アナウンスが響くなり、いつかは立ち上がる。
「……降りないの?」
「お先にどうぞ」
「そう」
人の流れに従って、いつかは先に電車を出て行った。俺は他の客がほとんど降りた後で、俺も開閉ドアを潜った。
梅雨の手前、天気は晴れ。真っ白な光が、滲んで瞼に引っかかる。
「……今日は暑くなりそうだな」
改札口は少し時間をずらしたこともあって、空いていた。落ち着いたとまではいかないが、それでもずっと楽だ。
定期を押し当てて、出た先。左手のコンビニに視線を送ると。その入り口の横には。
「まだ駅にいたのか」
天科いつかが立っていた。
「太陽。あなた、出席結構危ないでしょう? だから、こうして寄り道しないよう待っててあげたのよ」
「そりゃ、ありがたいこった」
「さ、行きましょう」
隣ではあるけれど、少し距離を空ける。近くて遠い、そんな風にして、俺といつかは学校へと向かう。
そして、見えてきたのは、白い校舎と植木に挟まれた校門だった。
私立西川江高校。地元でも屈指の進学校で、俺といつかの通う高校だ。
「あ、忘れ物したわ」
俺は校門より少し前で、立ち止まる。
「太陽?」
「二限始まる頃には間に合うと思うから、適当に先生に言っといてもらえるか?」
「え、ちょっと」
「んじゃ、また後で」
──駅からずっと付けられている。俺は踵を返したのだった
いつ終わるか、いつ学校に行けるのか、そんなの分からない。なのに。
「太陽。待っているから、早く来なさい」
確かに、いつかはそう言った。
***
「人のことつけ回して、なんか用か? あんたら」
住宅街から少し離れた商店街付近。駅から学校まで着いてきていた三人組。路地裏に入るなり、ようやく俺の目の前に姿を現した。
「お前だろ? 西高の相模原って。金髪だし」
とニット帽の小柄な男が言う。
「はっ、どう見てもただのガキじゃん」
続いて、モヒカンヘアのヒョロ長い男が笑う。
「お前さ、喧嘩めちゃくちゃ強いんだってな? 先週は俺の舎弟が世話になったって言うから、そのお礼」
そう言って来たのは、三人組の真ん中。革のジャンバーを着た、いかにも不良という風貌の男だった。……金髪の俺が言うのもなんだが。
「お礼ならいらない。もう帰っていいか? こう見えて、学校じゃ真面目で売ってるんだ」
「ほー、生意気だなぁ。ま、ならいいや、それより面白い話聞いたんだよ。西高の銀髪美女」
ぴくりと、無意識に指先が動いた。
「うちの舎弟がナンパしたら、君にボコられたって話しててさ。さっき一緒にいた子だろ? ありゃ可愛かったなぁ、君に邪魔されなかったら俺たちみんなで楽しめてただろうになー」
けたけたと笑う、不快な声。黒板に爪を立てて引っ掻くような耳障りで、神経を逆撫でするような声だ。心底、呆れる。
「そりゃいいっすね、絶対脱がせたらエロいでしょ。あの子、絶対巨乳っすよ」
「流石、独り占めしないなんて流石、平坂さん」
取り巻きが気色の悪い笑みを浮かべ、こちらを挑発するように続けた。
「はあ、そういうことね」
どうやら、ただ俺に喧嘩を吹っかけているわけでもないらしい。
俺は鞄を壁の方に放り投げて、ネクタイに指をかけた。
「あ? やる気か? こう見えて俺、アマチュアボクシングで日本五位だったんだぜ?」
「つまり喧嘩自慢なんだろ? なら、なんつべこべ言わずに来いよ。今なら、飽きるまで殴らせてやるからさ」
と言っても、この平坂とかいう男が殴り飽きるより先に、俺が殴られ飽きる方が可能性としては高そうだが。
「舐めやがって。後悔すんなよ! クソガキ!」
「──あんたらこそ、後悔はするなよ」
***
天科 いつかは完全無欠だそうだ。勉学ではいつだって学年一位。
運動の方も女子の中ではかなりの上位。
人当たりこそ、少し冷たく見られがちだけれど、高校において落伍者同然の俺に、ああやって構ってくれる、底抜けのお人好しなのだ。
だからこそ。
「ば、化けもんかよ……こいつ……」
喧嘩における勝つと言うことは、つまりお互いのどちらかが拳を握れなくなるということ。または、立っていられなくなること。
つまりは、過程には一切の価値はなく、結果のみが意味を持つ。
実際、俺が放ったのは、右のストレートに合わせた一振りのカウンター。
その間、顔に三発。腹に五発を受けた。けれど、その結果は過程とは真逆だった。
「……ふう」
俺は切れた口角から伝った血を手首で拭う。
一方で意識を完全に失い、コンクリートの上で伸びた男。取り巻きたちは、一歩引いた距離から顔を引き攣らせて見ていた。
「さて、と。次は? あんたか? それともそっちか?」
俺は問うた。もっともその二人にもはや戦意がないことは見え透いていたが。
「く、くそ! おい!」「あ、ああ!」
残った二人は倒れた男の肩を支えて、そのまま路地裏を出て行った。
「これに懲りたら、もう人様に迷惑かけるなよ」
この状況で仲間を捨てて逃げないあたり、最低限の人情はあったらしい。まあ、俺としても放置するわけにはいかないから、良かった。
「……流石に、疲れたな」
俺はそのまま壁を背もたれに、座り込む。
口の中は、鉄の味がした。右の拳は赤く腫れて、少し痺れた。
けれど、その代わりに喧嘩は終わった。
「やっぱ、平和が一番だ」
とりあえずスマホを取り出して、時刻を確認する。十時過ぎ。ちょうど一限目が終わった頃だ。
「しばらく、動けそうにはないな」
路地裏に降り注いだ日光はビルに遮られ、影を作る。
俺はとりあえず鞄から湿布を取り出して、じんじんと痛みを放つ頬に貼った。
休むにしても正直、大した怪我ではないし、出席日数も色々あって微妙だ。
「とはいえ、こんな身なりで行っても生徒指導室に呼ばれるだろうし」
そうなれば、放課後まで自習&反省文コースは避けられない。
けれど、あの言葉が頭から離れなかった。
『太陽。待っているから、早く来なさい』
きっと彼女にしては何気ない言葉なのだろう。けれど、俺にしてみれば、それは大事な約束で。
「……頑張るか」
それに引っ張られて、俺は立ち上がった。
***
『あいつ、何考えてるか分かんねえんだよ』
『ほんとそれな、怖いし』
昔から、俺はどうやら感情を表現することが不得手だったらしい。
自分では精一杯やっているつもりでも他人から見れば、手を抜いているように見えたり、生まれつき目つきが悪いせいで、反感を抱いているように見えるのだと。
とはいえ、大人からも、同年代からも掛けられる言葉。その全てが間違っているとは思わない。実際俺は、思うままを口にすることが苦手だったし、いちいち反論していても埒が明かないから。
けれど、それでも俺はおこがましくも、期待していた。こんな俺でも、いつの日かきっと誰かが見てくれるのだと。
そして、それは中学一年の夏。夕日の赤が染め上げた公園だった。
小学校が同じで、何度か一緒のクラスになったことのある幼馴染の少女。
仲が良かったかと言われば、別にそうでもなくて、友達と知り合いの中間くらいの間柄。
そもそも当時から、彼女は誰かと特別仲良くなるようなこともしなかった。
それに、誰にも弱みを見せなかったから、誰もが近寄りがたかったのだ。
けれど、その日。彼女は体育の授業で足首を痛めていた。けれど、強がって気丈に振る舞い続けた結果、酷く腫らして、帰り道の公園のベンチに一人座っていたのだ。
『足、痛むのか?』
『……だとしたら何?』
意固地で、無愛想で、猫のようだった。
どうしても俺はそんな彼女を放ってはおけなくて、背中を貸した。
『貸し一つ、作っとくのも悪くない。そう思っただけだ』
『そう。貴方は昔から、変わらないのね』
『どういう意味だ? それ』
『貴方は、ずっと──優しいから』
勝手に俺の心は救われた。たったそれだけで、泣いてしまいそうになった。
それだけで、俺はどんなことがあろうとも、立っていられる。彼女が俺を見てくれたから、頑張れる。
だから、せめてもの恩返しに、俺は──ただ彼女に幸せになって欲しいんだ。
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