風の花嫁《アル=メリク譚・序章》
四葩(よひら)
1-1 風はまだ静か(前)
ルヴェルク王国東部、海に面したリュメール伯爵領。
その領都であり、国内随一の港を抱えるトゥレーナの町は、一年で最も活気あふれる時期を迎えようとしていた。
というのも、年に一度行われる祭――ティア・ディルーナの開催が三日後に迫っているのだ。
ティア・ディルーナとは、創世の九柱の一柱である水の御柱・ディルーナ様に感謝を捧げる祭のこと。
この一年の恵みに礼を述べ、次の一年の海の恵みと安寧を祈る。
海に生きる者にとって欠かすことのできない大切な行事だ。
本来は宗教的な儀式であるのだが、いつの頃からか儀式にあわせて祭が開かれるようになった。
祭は年月を経るごとに賑やかになり、今ではリュメール領と言えばティア・ディルーナと言われるほどの大規模な祭に発展した。
人々の活気は土地に力を宿し、宿った力は世界を巡る。
そうであるならば、私――サフィラ・リュメールはこのティア・ディルーナの期間を皆が楽しく過ごせるように全力を注がなければならない。
祭を目前に控えたトゥレーナの町は、ティア・ディルーナのための飾り付けで彩り豊かに華やいでいた。
風に揺れるカラフルなガーランドは軒先を結び、トゥレーナの工芸品である海鳴り硝子のサンキャッチャーは初夏の陽光を反射して地面に水面のようなゆらめきを映し出す。
サンキャッチャーが揺れる度に硝子が重なり合い、澄んだ鈴音が町中にこぼれていた。
(まるで浅瀬を歩いているみたい)
町一番の大通り《セイルロード》を、侍女のシェラと護衛のハーゲンさんと一緒に歩く私の足取りは軽い。
響く硝子の音がきらめきを奏でているようで、魔法にかけられたみたいに胸が高鳴っていく。
「おはようございます、サフィラお嬢様! 港の方じゃ今朝も大漁ですよ! これから食堂に魚を届けるんですけど、今から腹が鳴りそうです!」
「朝早くからお疲れさま! ディルーナ様の恵みに感謝ですね!」
「お嬢様、おはようございます! 今日はザイラ経由でカヴェリス産の珈琲豆が手に入りましたよ。タリア産に比べると花の香りが強いのが特徴らしいです。後でリュメール商会にもお届けしておきますか?」
「ぜひ、そうしてほしいわ! シェラ、今日のティータイムはカヴェリス産の珈琲にしてくれる?」
「かしこまりました」
「あ! サフィラお嬢様だ〜!」
「サフィラお嬢様、おはよー」
「おはよう。みんなで海に行ってきたの?」
「そう! 店に飾るから海睡蓮摘んでこいって父ちゃんに言われたんだあ!」
「私も! お母さんが花輪つくるから摘んできてって!」
「みんなお手伝いして偉いわね。でも、海に行く時は気をつけるのよ」
「はーい!」
私達の姿を見つけた領民が、祭の準備に精を出す傍らで次々に声をかけてくれる。
漁師のおじさん、町の商人、子どもたち――。
領主の娘に気軽に声をかけるなんて、他の領地ではありえないことらしい。
けれど、このトゥレーナの町では当たり前のこと。
我が領は魔導技術と水運、それから交易と商業で栄えてきた。
物価の動き、他領や他国の動向、治安が保たれているか等々。
領民の声には、この町を動かすための宝物――商いに欠かせない情報が詰まっている。
最前線で働く彼らこそもっとも多くを見て、聞いて、知っている。
だから、領民の声をよく聴きなさい――リュメール家に生まれた子どもはそうやって育てられるのだ。
例にもれず、私も幼い頃から領民に見守られ、彼らに沢山のことを教えてもらって育ってきた。
私にとってトゥレーナの領民の多くは、遠い親戚みたいな感覚だ。
まあ……こんなことを思ってるなんて知られたら、“真っ当な貴族令嬢に育てたい”お母様に大目玉を食うんだろうけど。
「サフィラお嬢様! よかったら味見していきませんか?」
溌剌とした声に呼ばれて振り向くと、食堂を営む女将さんが手招きをしていた。
「ちょうど祭用の特別なお菓子をつくってたんです。シェラもハーゲンも一緒にどうぞ」
女将さん――ラナさんに促されるまま店に入ると、カウンターには大量のナッツやドライフルーツが並んでいた。
その見慣れない光景に、思わず目を見張る。
店内にひろがる甘い……けれど、どこかスパイシーな香りは、ここが海辺の港町だということを忘れさせるようだ。
「ラナさん、これ、何つくってるの?」
「これはですね、ドライフルーツとナッツのキャラメリゼです。砂糖に香辛料を混ぜてあるんですよ。この間ザイラ王国の商船が大量に香辛料を持ってきたのでついつい買い込んじゃって。せっかくなので香辛料を使った特別商品をつくったってわけです」
ザイラ王国は、ルヴェルク王国がある東大陸とは海を挟んだ反対側、西大陸に位置している。
大陸間の交易が定期的に行われるようになったのはここ何十年の出来事だ。
きっかけは魔導技術の発展により長距離航海を叶える魔導船が登場したこと。
それ以前は大陸間の交易というのはほとんどなかったらしい。
「この小さいのはサリカ葡萄だよね。あと、フィグと……これはオレンツかな? こっちの赤いのはなんだろう? シェラ、知ってる?」
「いえ。私も初めて見ます」
見慣れない赤い小さな果実。
乾燥した姿でも燃えるような赤色がよく分かる。
ハーゲンさんにもこの赤い実の正体について尋ねてみるが、彼は無言で首を横に振った。
どうやら私たちの中にはこれが何であるか分かる者はいないみたい。
三人で首を傾げてしまう。
「ラナさん、この赤い実は何の実?」
私たちの疑問に、ラナさんは待ってましたと言わんばかりに答えてくれる。
「それはフレアベリーっていうらしいですよ。香辛料と一緒に売ってたので試しに買ってみました」
「へぇ。初めて聞いた。せっかくだから頂いてもいい?」
「もちろんです」
フレアベリーと呼ばれた赤い果実を、おそるおそる口に入れてみる。
口の中にぎゅっと濃縮された甘みが広がって、噛んでいるうちに舌がじんわりと温かくなってくる。
「ザイラ商人の話では、フレアベリーには身体を温めて疲労をやわらげる効果があるそうですよ」
「確かに、口の中がぽかぽかしてきた気がする」
「お気に召したなら、少し持っていってください」
「いいの?」
「その代わり、しっかり宣伝お願いしますね」
「ちゃっかりしてるなあ、もう。任せて!」
ラナさんはキッチンから瓶を持ってくるとフルーツとナッツをバランスよく詰めていく。
ティア・ディルーナを訪れる人にとって、ここでしか出会えない物ほど心惹かれる物はないはず。
トゥレーナは国内のどこよりも早く異国の物を目に、手にすることができる町。
今年のティア・ディルーナでは、まだ知らない世界とどんな出会いが待っているんだろう。
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