第3話

「一匹目」


 冷蔵庫から姿を現した胎界種の首元に刃を走らせる。

 がしかし、まさに想定外。胎界種は短刀軌道上に腕をそえ、防御の構えを取った。


 しかし、百舌鳥の前では骨の一本や二本分の障壁など無いも同然である。


 両腕もろとも胎界種を両断し、次の標的へ向かおうと―――


理解わかっているぞ」


 百舌鳥は一切振り向くことなく瞬時に屈み、背後の胎界種が振り抜いた巨大な獲物―――斧をスレスレでかわす。


「どこから持って来たんだか」


 そのまま足を払い、仰向けに倒された胎界種の顔面を踏みつけ、潰す。


「二匹目」


 グシャリという音を立てて頬に飛び散った肉片を気にも止めずに、リビングの開放された入り口から、とめどなく入ってくる胎界種に向かって、自身の短刀を投擲する。


 投擲……否、――射出というべきであろうか。


 人間の限界値を引き継いだ体躯によって撃ち出されたそれは、一度に4匹の脳天を貫いて壁にめり込んだ。


「三から六匹目」


 音すら置き去りにするその一投。故に、背後で短刀が壁にめり込む音しか拾えなかった胎界種は、唯一の音波の出所の方に顔を向けるしかない・ ・ ・ ・



 聴力の発達という――どうしようもない欠陥・ ・


「よう」


 胎界種の再び振り向いた先には、左手にいつぞやの鉄斧を握りしめた巨躯。

 その声を聴くまでに発せられた音は無かった。百舌鳥から胎界種までの距離は人3人分ほど。

 どうやってこちらへ来た?

 見上げた男、百舌鳥の足は地についていない。


 まさか―――ここまで跳んで―――…グチャリっ


 他の個体より少しばかり発達した知能も虚しく血飛沫に染められてその機能を失った。








「なんだ、思っていた以上に脆弱じゃないか」


 襲って来た胎界種共は、思っていた以上に脆かった。

 確かに数は多かった。総勢30匹くらいいただろうか。だが、面倒臭い。ただそれだけだ。


 これなら素手でも簡単に殲滅できたな。


 そんなことを考えるも、しかし今の状況で警戒心は最大限に持っておくべきだと自身を規律する。


「さて、これからどうしたものか」


 取り敢えず、胎界種の強さもわかったところで他の他の棟の殲滅も進めて……いや、まずは……服だな。奴らの体液が血生臭い上、気持ちが悪くて仕方ない。

 俺は服を探す事にした。






 ひとまず和風の羽織があるのを見つけたので、無地のTシャツの上からはおっておく。下の黒色のカーゴパンツは、動きやすくてお気に入りな上あまり汚れていなかったのでそのまま履いているつもりだ。


 個人的にはゆったりとしたシャツの方が好みだが、此処には俺に合う大きさの服がないようだ。そのせいで見ての通り、かなりタイトな見た目だが、この際気にしない。


「念の為、着替えも持っておくか」


 同じく本館で見つけた登山用であろうバックに着替えを詰め込んでいく。

 続けて、多機能ナイフ、ライター、タープ、ロープ、飲料水、カロリー補給食、懐中電灯、簡易バーナーといった、これから森を抜ける際にあると便利なものも詰める。


 〝あると便利〟なだけであって別に必要というわけではないのだが。


「それにしても、なんでもあるなこの館は。夫婦二人で住むにしては十分すぎる程だ」



 そうして1時間ほど本館を探索した後、百舌鳥は本館と橋で結ばれた別棟に向かう。


「別棟だけで、一般住宅の規模なのはこれ如何に」


 百舌鳥は、裏口と同じく鍵の開いた扉を開けて、


「………ゥ……ア…ァ」


「どけ」


 ―――ベッシャアアンッ


 吹き抜けの天井に設置されたシーリングファン。

 それに絡まるようにして潜んでいた胎界種がべちゃりという音と共に落ちてくるも、百舌鳥に蹴り飛ばされて壁のシミとなった。


「そう唸るな。負け犬の遠吠えにしか聞こえん」


 狩るものと狩られるものの立場がはっきりとした瞬間であった。



 ―――っ! いるな。後ろからこちらを見つめる何かが。




 流れるように百舌鳥は振り返る。




 背後のその存在は、目の前の光景を食い入るように見つめていた。


 おそらく胎界種。

 しかし、これまで倒してきた雑魚共とは異なり、病的なまでに綺麗な白い肌をした、目も鼻も口も耳もその役割を果たしたまま、ついている女だった。紅の着物を着込んで、長く艶めかしい黒髪は重力に逆らう意思など微塵も見せない。


 胎界種とはゾンビみたいな薄汚い存在かと勝手に思っていたが、違うらしい。


「それで? 誰だお前」


「随分と図体のデカい人間種だな」


 女は百舌鳥の問いかけに答えることもなく、小さくも妙に響き渡る凛とした声で、見上げた様子でそう呟いた。

 子供ほどの大きさの女が発したとは思えない重厚な口調であった。


「しかし困った」


「何がだ女」


 女は形の整った眉をほんのわずかに寄せ、困惑の色を僅かに浮かべた。

 それでも瞳は揺れず、まっすぐこちらを見据えている。

 女はため息を吐き、






「これでは首が疲れてしまうではないか。ああ、困った困った」






 ―――どろり。





「……あ?」


 ふと、力の抜けるような違和感を感じた。

 百舌鳥は違和感の元を探ろう目線を落として気づく。



 腹が割れていた。


 自身の黒い血液が本館と別棟をつなぐ橋を染め上げていく。

 わずかだが内臓まで切れ目が入っているのがわかる。


「おや、我の目線に合うような高さで切ったつもりだったが……背骨まで届いていないではないか。強靭な人間種なことよ」


 襲いかかる脱力感に思わず膝をつく。


(面倒だな。裂けた腹はともかく・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 、これ以上血液が体から抜けることは避けたい)



 まだ焦る段階ではない……この程度では。


「まあ、こうすればいいだけか」


 あくまでも冷静な口調で放たれた一言。眺めていた女は百舌鳥という生物を知らなかった。


 故に、百舌鳥の行動に目を見開いたまま固まってしまう。


 女は見た。目の前の男が自らの腹に指をかけたのを。


「…………」


 百舌鳥は、“裂けた肉同士を指で探る”ように触れ、

 中から伸びている腹直筋の断面を“握った”。


 次の瞬間――


 ―――ギィ……ッ、ミチチ……ッ!


 腹の筋肉が、まるで意思を持った蛇のように蠢き、

 断裂面同士が勝手に噛み合い、肉を“閉じ始める”。


 圧迫と同時に、指先で“筋層を巻き込んで縫う”ようにねじり込む。


 皮膚が裂けたままなのに、その内部が勝手に再配置されていく異様な光景。

 まるで、破れた機械の配線を手作業で繋ぎ直してるかのような……そんな光景に女ただ呆然として立ち尽くすしかなかった。


「ふぅ……5分持てば十分ってところか。余裕だな。この女を殺してからゆっくりと手当てするとしよう」


「お、お、お前…。本当に、に、人間種なのか…?」


「くはは、俺が怖いか? 安心しろ、俺も俺が少し怖い」


(特に、腹を切られた瞬間に『いつも通りの手法で塞ぐか。痛覚を遮断するまでの一瞬が痛いんだよな』とか自然に思ってしまったのが怖ぇ。ここに来る前の俺は何をしてたんだ一体。)


 閑話休題。


(さっきのコイツの一撃。全く反応できずに斬られたな。

 セーフティをかけたままじゃ流石に厳しそうだ。)


「二割ほど脳の機能を拡張しておこうか」


「ふ、ふはは! 怖い? 我ら胎界種が人類種を怖いと言ったか? 猿を怖がる虎がどこにいる? お前達のような―――!? ぅ゛っぐぅ!」


 一瞬で女の前に蹴り出し、女を殴りとばす。

 何やら長ったらしくなりそうな予感だったので、先手を仕掛けさせてもらった。


(悪いな女、悪役ムーブとかそういうの要らんのだわ。


 それにしても、やはり脳のセーフティは少し解除しただけでも絶大な効果を見せてくれる。)


 ―――ぴゅ〜


「おっと危ない。傷口が開いちまう」


 ………。

 ……。



 あらためて。

 百舌鳥という生物は超人である。


 50m走  4.65秒

 立ち幅跳び  6.2m

 垂直跳び  3.2m

 走り幅跳び 9.7m

 1500m走  2分36秒

 握力  220kg

 反応速度 0.04秒([参考までに]一般人男性:0・25秒。F1レーサー:0.10秒。まばたき:0.15秒)


 上記に記したのは、脳機能100%解放時の百舌鳥の体力測定の結果である。


 反応速度と動体視力が良すぎる故に、「見る。のち、動く」という受動反応ではなく、能動予測反応…すなわち相手が動く前にその動作を予測し、行動することが可能な男。

 厚さ1.2mの鉄筋コンクリートでできた壁を素手3分で容易に破壊する男。


 そして、この異次元な身体能力を司っている根幹だと思われている脳機能だが、それに依存しているのは反応速度だけであり、それ以外は常時発動可能であるという事実。

 つまり、上記の測定値のうち、反応速度の項目以外の身体能力は常に発揮する事ができるという事である。

 もちろん、その能力を扱おうとすれば、それに応じた反応速度が必要となる訳だが。


 それが百舌鳥という男なのだ。


 ………。


 ……。




「……っ、か、…かひゅっ…ぁ……!」


 その結果は冷酷なまでに明白であった。


 場所は先ほどの橋の上。しかし、戦闘前とは打って変わって周囲の松の木は折れ、池の水も汚泥や血で濁ってしまっている。


 そこには、女の首を掴んだ腕を掲げて佇む巨体。


 声にならない喘ぎが、喉の奥で掠れる。

 絞り出そうとした言葉は、空気と一緒に押し潰されて霧散するのみ。女の涙と汗、涎、もはや何かわからない液体が百舌鳥の腕に滴るが、当の本人は気に留める様子もない。


 ごぼっ、と喉が鳴った。

 苦しみに顔を歪めながら、肺が酸素を求めて暴れ出す。


「喉を締められて苦しむ、という事は体内の呼吸器官も俺たち〝人〟と同じというわけか。大概の脈も首を通っているようだな。実に有用な発見だ。殺し方のパターンが増えた」


「…ぅ……がっ………ぉ…」


「? ああ、すまない。〝人〟では無かったな。なんだっけ、そうそう人間種。……もとい〝猿〟だったか?」


「……ぉ……ご…ごめ゛…ぅ…」


「何を謝る必要がある。貴様が単に猿以下だった、それだけだろう?」


 メリメリと女の首から骨と軟骨の擦れる音が聞こえ始めた。


「………ぁ」


 あ。


 突如、女の体が脱力し、だらりと垂れる。


(もう気絶したのか)


「多少すばしっこいだけの愚物だな」

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