じついも結婚小噺

考えたい

第1話 じつは散々振り回されまして……

 一人の男が街灯がポツポツ灯る暗い道をスタスタ歩いていた。

 男の足取りは重く、どんよりとしていた。やる事と言えば来る日も来る日もただひたすらにお偉いさんやら先方やらに頭を下げ続けミスがないように段取りを組み、担当先のご機嫌とスケジュール調整をする事であった。

 ところがその男の悩みはコレだけではない。もっとタチの悪い腹痛の種が、そしてその震源へと一歩一歩歩みを進めるこの日常にも胃がキリキリさせられる。

 するとスマホがピロリンとなった。取り出して見てみると担当タレントからだった。






「兄貴、月曜の予定だけど確か車移動長いよね。その間に『あなたのために』の台本を持ってきてくれたら嬉しいな。事務所に忘れちゃって。」

「了解。気をつけろよ。」





 この男が担当しているのは確かに担当タレントではあるが、それと同時に大切な義妹である。高二の夏にいきなり出来た大きな義妹である。最初のうちはあれこれと騒動があったが今ではまあまあいいコンビを組めているという自負は男にはあった。

 そうこうしてるうちに男は家に着いた。

 マンションのエントランスで鍵をかざし、エレベーターに乗って三階へ行き、隅の部屋の扉に鍵穴を差す。

 ガチャリという音と共に鍵を回し扉を開けると、そこには頭痛の種が待っていた。





「おっかえりなさぁ〜いあ・な・た♡(キャピ)」





 片目ウインクギャルピースで玄関に出迎えにきているこの如何にも五月蝿そうな女こそ、妻の真嶋(旧姓は西山)和紗である。

「ご飯にする?お風呂にする?それともか・ず・さ?うんうん、キャー♡全くすぐに和紗だなんて、もう、先輩のエッチ♡」

 まあ確かにこのセリフとシチュエーションは憧れる人も多いであろう。だがここで男————真嶋涼太はこう断言したい。風邪を引いた時以外毎日和紗がこうしているのは、たとえ夫婦の仲であっても涼太からすれば普通にウザいと。

「晩御飯にする。」

 涼太はそう言いながらすぐにジャケットをハンガーに掛け、台所に向かい涼太は自分の茶碗に米をよそう。ついでに和紗の分もよそう。

「あっ、ありがとう。」

 和紗の分の茶碗を差し出すと素直に感謝する。その素直さをもっと普段から出してくれと涼太はいつも思うのである。

 さて本日は金曜の晩、即ち華金である。と言っても芸能マネージャーを生業とする涼太は休みが不定期ではあるが、この日はキチンと翌日が休みという、珍しい世間に合った休みの入り方であった。とすれば大人のする事は一つ。





————酒を呑んだくれる晩酌である。





 大人になるとまあ世の中ビックリするほどストレスフル。満員列車やら自分のせいじゃないミスで頭を下げることやら同業他社様との面倒臭いしきたりやら。

 それらを全て忘れる事が出来るのが酒の強みである、強みでは確かにあるのだが……。

「ばぁ〜〜ろぉ〜〜。ヒック。呑まねえとやってらんねぇわぁ〜〜〜〜〜〜〜。」

 自分よりもこうも派手に酔われると正気に戻り酔っ払ってられないのである。

「専業主婦舐めんじゃねえぞ真嶋先ぱぁ〜い。お前もやってみるかぁ〜〜。」

 高校生時代演劇部で一回クリスマス会をやった事があるのだが、この時にも和紗はこんな酔い方をしていた、それも烏龍茶で。

 ところが今度はガチの酒。そして今一升瓶を鷲掴みにしてグビグビ芋焼酎を呑んでいる。

「なんれせんぱいはわたしとけっこんしたのれすかぁ〜〜?まあわたぁ〜しもいい女ですんで、ヒック、そりゃ旦那を捕まえるのもたやすぅ〜いのれすよ。」

 いよいよ呂律が回らなくなってきた。

「先輩は幸せ者なんれすよ。こぉ〜んな綺麗な嫁さんもらっちゃって、ヒック、もらっちゃって!本当にありがたくおもってるのれすか。そうなら形にしてしめしてくらさぁ〜い。」

 だが別に酒に酔っているのは和紗だけではない。涼太もまた缶チューハイを四本煽ったのでそれ相応には酔っ払っている。だからこそなのか。

「和紗。」

 そう言って涼太は立ち上がった。

「なんれすかぁ……って。」

 涼太は和紗の口を自分の口で塞いでいた。

「いい女を捕まえた男の特権だ。」

 そう吐き捨てるように涼太は言うと、両腕を和紗の膝と背中に回して、そのまま抱き上げだ。つまりお姫様抱っこである。若干茶色い、そしてまっすぐに伸びた長い髪がくすぐったい。和紗の体の節々の柔らかさを涼太は噛み締める。

「え、ちょ、ま、先輩。なにをしゅ、する気なんれすか?」

 焦るように和紗は言うが、涼太の歩みは止まらない。そのまま寝室へと入り、布団の上に和紗を優しく下ろし、そしてその上に一気に覆い被さった。

「ちょ、ま、今日は苺柄の子供っぽいやつなんで勘弁〜〜!」





————翌朝。

 涼太が薄目を開けようとすると後頭部がズキズキ痛む。二日酔いの症状である。それでも何とか起きあがり横を見ると和紗が眠っている。

 よくよくみると確かに綺麗なんだよなぁ、左手で優しく指で頬をなぞりながら心の中でそう呟くと、和紗も薄目を開ける。

「おは……ゥォオロロロロ!」

 何とおはようを言おうとした瞬間に涼太は胃の中のものを吐いてしまったのだ。

「あなた⁈うわぁ、ばっちい!!」

 和紗の身体に掛けるのはかろうじて避けたが、布団が吐瀉物に濡れている。

「何してるんですか!!!」

「ごめん!!!!」

 こうしてこの日も騒がしい真嶋家の朝がやってきたのであった。

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