第30話 平穏な日常が訪れる先に
木曜日の朝。
昨日までの体育祭の熱気がまだ体に残っていて、心地よい疲労感が蒼真を包んでいる。そんな蒼真の隣を、妹の
凛音のポニーテイルが歩く度に揺れ、いつもの通学路を彩る。
二人は学校近くのバス停で降りると、澄んだ朝の心地よい空気を吸い込みながら校門へと向かっていた。
「お兄さん。昨日の試合は惜しかったね。でも、バドミントンでベスト4って凄いね」
凛音が少々明るめな声のトーンで言った。
普段は冷静な妹がこんなテンションになるのは珍しい。
蒼真は肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
「まあ、一応賞状はもらえたけど、優勝してたら食堂のご飯が一ヶ月半額になるチケットが手に入ったんだけどね」
「それは残念でしたね。私はベスト4どころかかすりもしなかったですけど。私、ドッジボールのチーム戦で頑張ったんだけど、全然ダメだったんだよね……」
凛音の声が少しトーンダウンした。
妹のチームは一回戦で奇跡的に勝ち進んだものの、二回戦で運に見放され、ボロボロの結果に終わっていた。
「チーム戦はさ、個人の力だけじゃどうにもならないし、しょうがないよ」
蒼真が慰めるように言うと、凛音は唇を尖らせた。
「うん、ホントそれ。練習はバッチリだったんだけど、相手が強すぎたんだよね。まぁ、来年リベンジだね!」
凛音はすぐに気持ちを切り替えたようで笑顔を取り戻した。
蒼真はそんな妹の様子に小さく笑い、校門が見えてくると二人は自然と足を緩める。
二人は昇降口で別れ、それぞれの教室へと向かうのだった。
今、新しい一日が始まろうとしていた。
教室に着いた蒼真は、窓際の定位置に腰を下ろした。
体育祭の喧騒から解放された今日の教室内は、殺伐とした空気感ではなく、温厚な空気感に包まれている。
教室ではクラスメイトたちがグループごとに集まって楽しく会話し、朝のHRを待っていた。
蒼真は朝のHRが始まるまで、いつも読んでいるライトノベルを読む事にしたのである。
チャイムが鳴る直前、教室のドアが勢いよく開き、
紅葉は蒼真に一瞥もくれず、自身の席に滑り込む。
肩まで伸びた茶髪が少し乱れていて、慌ただしい朝を物語っていた。
その直後、担任の先生が教室に入ってきて、朝のHRが始まる。
「まずは出席確認をするから、ちゃんと席に着いてね」
女性の担任教師の声が響き、教室内が一気に静まる。
クラスメイトらは名前を呼ばれるたびに声を出し、ルーティンな朝の儀式をこなしていく。
出席確認が終わると、担任教師は少し改まった口調で話し始めた。
「昨日の体育祭はお疲れ様でした。今日から通常授業に戻るから、気持ちを切り替えてくださいね。それと、重要な連絡があります。副生徒会長の内山櫂だが、昨日をもってその役職を退くことになりました。後任については、急遽選挙を行う予定です」
教室が一瞬、ざわついた。
クラスメイト間で囁きが広がる。
「内山が? 急に辞めるって何⁉」
「何かやらかしたとか?」
蒼真は周囲の声を聞きながら、内心で頷いた。
今までは理事長とのコネで守られてきた彼だったが、ついにその地位を失ったのだ。
若干教室が騒がしくなる中、担任が話を続ける。
「後任の副生徒会長は二年生から選出する予定で、来週から予選が始まります。最終的に上位二人から一人が選ばれます。投票箱は月曜から昇降口前に設置されるので協力お願いしますね。一枚の紙に複数名を書いた紙は無効になるので気を付けてください。投票用紙は明日のHRの時に渡すので、考えて投票してくださいね」
朝のHRが終わると、教室は再び騒がしくなる。
「ねえ、誰を推す? なんか面白そうな人いない?」
「んー、誰がいいだろ」
教室のとある場所では、選挙について話し始める。
「というか、内山の話とかマジで気になるんだけど」
「なんか、退学って噂もあるらしいよ」
「え? ほんと?」
別の方では、内山についての噂をするグループもあった。
そういった会話があちこちで飛び交う中、蒼真は教科書を準備していたのだ。
その時だった――
「おはよ、蒼真くん!」
突然、明るい声が耳に飛び込んできた。
顔を上げると、大橋紅葉が満面の笑みで立っていたのだ。
朝陽に照らされた彼女の茶髪がキラキラと輝き、ヒロインのようなオーラを放っている。
「お、おはよう、大橋さん」
蒼真は少し照れながら答えた。
紅葉のこの明るさには、いつも心が軽くなる。
「昨日の体育祭楽しかったね! 蒼真くんがバドミントンをプレイしてる姿とかカッコよかったよ!」
紅葉がウインクしながら言うと、蒼真は思わず頬が熱くなった。
「そ、そうかな? まぁ、ベスト4で終わっちゃったけどね」
「えー、でも十分すごいよ! 私なんて、一回戦敗退なんだからね」
二人はしばらく体育祭の話題で盛り上がったが、紅葉がふと声を潜め、蒼真の耳元で囁いた。
「ね、蒼真くん。今週の休日とか予定ってどう?」
「休日? うーん、特に何もないかな」
蒼真が首を傾げると、紅葉の目がキラリと光った。
「じゃあさ、一緒に出かけない? 体育祭でバタバタだったし、ちょっと息抜きしたいなって。デートってことで、どう?」
「で、デート⁉」
突然の言葉に、蒼真の心臓がドキンと跳ねた。
紅葉の柔らかな笑顔と甘い声に、顔がカッと熱くなる。
「う、うん、いいね、いいと思うよ。今週の休日は一緒に過ごそうか」
蒼真は少しぎこちなく笑いながら同意するように頷いた。
紅葉の提案は、蒼真の心に小さな火花を散らしたのだ。
紅葉との会話は時間が溶けるようにあっという間に過ぎていく。だが、授業開始のチャイムが鳴ると、楽しい時間は一旦お預けになった。
紅葉は軽く手を振って自分の席に戻り、蒼真も教科書を開いた。
「よし、授業始めるぞ。教科書出せよ、今日はちゃんと使うからな」
国語担当の男性教師が教壇に立つと、クラスメイトたちが一斉に教科書を取り出す。
体育祭明けの授業が始まる中、蒼真は窓の外に広がる校庭を眺めた。
ふと、体育祭のあの瞬間が脳裏に蘇る。
彼女が昨日、蒼真に打ち明けた本心。
真剣な瞳で語った朔菜の言葉が、胸の奥にまだ刺さっている。
朔菜、今はどう思ってるんだろう。
時間があったら、ちゃんと話したいな。
内山の騒動も落ち着き、体育祭も終わった今、蒼真の心は少しずつ前を向いていた。
蒼真は教科書のページをめくり、軽く深呼吸すると、真剣な表情で授業に集中し始めるのだった。
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