第16話 今日の放課後に、元カノが――

 夏の気配が漂う月曜日の朝。蒼真は妹の凛音りんねと一緒にバスに乗り、学校の昇降口まで共に行動する。


 新しい週が始まり、最近の千葉蒼真ちば/そうまは胸の内で不思議な高揚感を感じていた。

 高校生活が、なんだか少しずつ色づいてきた気がする。特に、新しく関わる事になった仲間との時間が、蒼真の心を少しだけ軽くしていたのだ。


 教室では、いつものようにクラスメイトらと授業をこなし。昼食を挟み、午後の授業。そして、本日最後の授業が終わるとチャイムが響く。

 放課後のHRを終え、担任教師が教室を後にした頃、同じクラスの大橋紅葉おおはし/くれはが近づいてきた。


「蒼真くん! 今日もバドミントンの練習しない? 体育祭も近いでしょ」


 紅葉の声は、放課後という事も相まって明るく弾んでいた。

 蒼真は一瞬、彼女の笑顔に心を奪われそうになりながら、すぐに平静を取り戻した。


「いいね、俺も行くよ!」


 蒼真は席に座ったまま軽く笑って答えると、紅葉の隣にはいつもの仲間である奈波ななみ文香ふみかがやってきたのだ。

 この四人組でのバドミントン練習は、最近の定番となっていた。

 体育祭が水曜日に迫り、クラスの代表として準備に追われる中、こうした時間が蒼真の心のオアシスになっていたのだ。


 四人は通学用のバッグやリュックを背負い、教室を後に廊下を歩き出すのだった。


 学校には二つの体育館がある。一つは部活動生が中心となって使う本格的な体育館。もう一つは部活に所属しない生徒や気軽にスポーツを楽しみたい者たちが使う第二体育館だ。

 蒼真たち四人は、その第二体育館へと向かって廊下を歩いている最中だった。

 中庭を抜け、校舎の喧騒から少し離れた場所にあるその体育館にたどり着く。


「今日は空いてるかな?」


 奈波が扉をそっと開け、体育館の中を覗き込んだ。


「おっ、いい感じに空いてるねー」


 奈波の声には隠しきれない喜びが滲んでいた。

 数人ほど体育祭の練習として利用している人をちらほらと見かけるが、確かに、いつもより人が少なく、自由に使えそうな雰囲気が広がっていたのだ。


「よーし、さっそく始めよ!」


 文香は元気いっぱいに声を上げ、ラケットを手に持つ。

 文香が事前に用意したラケットとシャトルを手に、蒼真たちは第二体育館のコートに立つ。


 二人ずつに分かれ、蒼真は紅葉とペアを組む。


「じゃ、私から行くよ、蒼真くんー!」


 紅葉の声が響く。

 それからシャトルの軽快な音が体育館に響き、四人の笑い声や掛け声がその場をさらに賑やかに彩る。


 紅葉がシャトルを高く打ち上げると、蒼真は軽く跳び、力強いスマッシュで返す。

シャトルの軌跡が弧を描き、コートに弾ける。


「ナイスだよ、蒼真くん! 先週よりキレがいいね!」


 紅葉が満面の笑みで叫ぶ。

 一方、奈波と文香は少し離れたコートで軽いラリーを繰り返し、時折こちらを覗いては話しかけている。

 仲間たちとのこの時間は、蒼真にとって何よりも心地よかった。




 第二体育館に、シャトルの音が軽やかに響き続けていた。

 蒼真、紅葉、奈波、文香の四人は、体育祭に向けての練習に汗を流していたのだ。

 蒼真はラケットを握り、シャトルを打ち返すたび、自分の動きが少しずつ洗練されているのを感じていた。


 小学生の頃は毎日のようにバドミントンをしていたが、高校に入ってからはラケットを握る機会がほとんどなかった。

 それでも最近の練習で、かつての感覚が少しずつ戻ってきている。

 シャトルが弧を描いて飛んでくると、蒼真は自然と体が反応し、軽快なステップでコートを移動し、ラケットで的確に打ち返す。


「ねえ、蒼真くん、調子はどう? いい感じ?」


 紅葉がラリーの合間に笑顔で問いかけてくる。

 汗で額に張り付いた髪が、紅葉の活発な魅力を引き立てていた。


「ん、悪くないよ。だいぶ感覚が戻ってきたかな」


 蒼真は軽く笑って答え、ラケットを軽く振った。

 紅葉の明るい声に励まされ、蒼真は自分の上達を実感していた。


 最初はぎこちなかったフォームも、今では体が自然に動くようになっている。

 それでも、連続するラリーに少し息が上がっていた。

 普段スポーツをしない蒼真にとって、喉の渇きが少し気になり始めたのだ。


「大橋さん、ちょっと休憩してもいい? 俺、水飲んでくるよ」

「うん、ゆっくりでいいよ。じゃあ、ちょっとだけ休憩ね」


 紅葉が気軽に応じ、蒼真は体育館の出口へ向かった。


 蒼真は館外に設置された水道に足を運び、そこの蛇口をひねると冷たい水が勢いよく流れ出す。

 手をすくって水を飲み、ほっと息をつく。


 頭の中では、体育祭のことや仲間たちの笑顔が浮かぶ。それと同時に、なぜか最近の朔菜のことがちらついていた。

 ふと、背後に当たる視線に違和感を覚え、振り向くと、そこには黒沢朔菜くろさわ/さくなが立っていたのだ。


「さ、朔菜……⁉」


 一瞬、見間違いかと思ったが、確かに彼女だった。

 夕暮れの光が差し込む中、朔菜の瞳が一瞬揺れたように見えた。

 朔菜は蒼真の声にびくりと肩を震わせ、驚いたようにこちらを見た。


 蒼真と朔菜は、かつて恋人だった。

 別れてから数日が経ち、気まずさは薄れつつあったが、最近の朔菜の様子に、蒼真は何か引っかかるものがあった。

 朔菜の笑顔から、ぎこちなさを感じていたからである。


「ど、どうしたんだ……こんなとこで?」


 蒼真はできるだけ自然に声をかけようとしたが、心臓が少し速く鼓動しているのがわかった。

 朔菜は一瞬、言葉を探すように視線を彷徨わせる。

 元カノ相手なのに、悲惨な結末で別れてしまった為、上手く口から言葉が出てこなかった。


「う、ううん、ただ……ちょっと通りかかっただけ。体育祭の練習で、丁度いいところを探していただけだから……」


 朔菜の声は、普段の落ち着いた調子とは異なり、どこか不自然だった。

 朔菜から、かすかな動揺を感じる。

 蒼真の胸に、疑問が膨らむ。


「朔菜……なんかさ」


 蒼真は一歩踏み出し、彼女の目を見つめた。

 夕陽が彼女の髪を赤く染める。時間が止まったかのような静寂が二人を包んだ。


「もしかして……俺に何か隠してる?」


 その瞬間、朔菜の表情が凍りついた。

 朔菜の瞳に、驚きと何か複雑な感情が交錯する。

 蒼真は、その一瞬の変化を見逃さなかった。


「そ、そんなことないよ……」


 朔菜は目を逸らし、慌てたように答えた。が、その声には微かな震えがあったのだ。

 蒼真は、彼女の反応にますます確信を深めた。

 朔菜は何かを隠していると――

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