ある日突然、付き合っていた彼女にフラれた俺が、恋愛経験豊富な美少女と付き合う事になったのだが…?

譲羽唯月

第1話 その別れと出会いは突然に――

 春の終わりの放課後、教室は夕陽に染まっていた。

 オレンジ色の光が机や床に長い影を刻み、静寂があたりを包む。

 そんな中、高校二年生の千葉蒼真ちば/そうまは、恋人の黒沢朔菜くろさわ/さくなから放たれた言葉に硬直した。


「蒼真……ごめん。今日で別れたいの」


 その一言は鋭い刃のように蒼真の心を切り裂いた。

 頭の中が真っ白になり、思考が停止する。


「え……どういうこと……?」


 掠れた声が口をついて出た。

 教室の空気が一瞬で重くなり、時間が凍りついたかのようだった。


「な、なんで……急に?」


 必死に言葉を紡ぐ蒼真の声は、抑えきれずに震えていた。

 黒髪ロングヘアを触る朔菜は視線を落とし、唇をぎゅっと噛んだ。


「私……他の人に心が動いたの。ごめんなさい……」

「他の人? そんな、いきなり?」


 混乱と焦りが蒼真の胸を締め付ける。

 朔菜がそんなことを言うなんて、夢にも思わなかったからだ。

 すると、教室の引き戸が勢いよく開き、ひとりの男子生徒が現れた。


 副生徒会長の内山櫂うちやま/かい

 整った顔立ちに、自信に満ちた笑みを浮かべる彼は、学園中の女子が憧れる存在だ。


「悪いな、千葉。単刀直入に言うと、俺が朔菜と付き合うことになった」


 櫂の声は軽快だったが、その瞳は本気を物語っていたのだ。

 蒼真は言葉を失い、ただ立ち尽くすしかなかった。


「実はさ、朔菜の方から俺に告白してきたんだ。まぁ、俺に非はないよな?」


 櫂はそう言い、朔菜の肩に軽く手を置いた。

 朔菜は小さく頷くだけで、言葉を発しない。

 蒼真の視界が揺らぎ、胸の奥で何かが砕ける音がした。


「そんな……どうして……?」


 力ない声が空気を震わせる。頭の中は混乱の渦で悪夢のようだった。


「ま、こういうことだ。じゃあな」


 櫂はそう言い残し、朔菜の手を引いて教室を去った。

 朔菜は一瞬だけ振り返ったが、すぐに目を逸らし、櫂の背中に従った。


 取り残された蒼真は、呆然と立ち尽くす。

 恋人を奪われた無力感が、胸を締め付ける。


 櫂のような完璧な男子に、平凡な自分は何もできない。その悔しさと情けなさが、蒼真の心を重く圧迫した。


「くそっ……!」


 誰もいなくなった教室内で握り潰した拳が、空しく震えた。

 春が終わり、初夏の気配が漂う頃、蒼真の日常は一瞬で崩れ去ったのだ。


 朔菜とは中学時代からの付き合いで、正式に恋人になったのは高校に入ってからだ。

 漫画という共通の趣味で関わるようになった二人。友達の少ない蒼真にとってかけがえのない存在だった。

 だからこそ、朔菜の裏切り――まるで浮気のような行動は、蒼真の心に深い傷を残したのだ。


「どうして、こんな事に……」


 その問いは、頭の中で何度も反響する。だが、答えは見つからず、ただ虚無感だけが広がった。


 放課後、誰もいなくなった校舎を蒼真は重い足取りで歩く。

 外からは部活の元気な声が響き、窓の隙間から春の終わりを思わせる柔らかな風が流れ込む。

 だが、蒼真の心は鉛のように重く、胸の奥で疼く痛みが消えなかった。


 ふと漏れたため息が口から零れた。

 朔菜の笑顔が脳裏に浮かび、すぐに裏切りの記憶がフラッシュバックする。

 考えるほど心が沈み、足取りもさらに重くなる。そんな時、背後から慌ただしい足音が近づいてきた。


「――ッ!」


 そして、階段の踊り場で、誰かと勢いよくぶつかった。

 鈍い衝撃とともに、蒼真は尻もちをつく。


「うッ、痛ッ……!」

「わっ、ごめんなさい! 大丈夫?」


 聞き覚えのある、けれどどこか透き通った声。

 顔を上げると、そこには学園一の美少女と名高い大橋紅葉おおはし/くれはが尻もちをついていた。

 肩までかかる栗色の髪がさらりと揺れ、大きな瞳が廊下の窓から入り込む夕陽を受けてキラキラと輝く。


 告白されるたびに学園中の噂になる彼女と、二人きりで向き合っているのは初めてであり、蒼真は一瞬、頭が真っ白になった。


「あ、いや、俺もボーッとしてて……ごめん」


 慌てて立ち上がりながら、蒼真は紅葉を見つめた。彼女もまた、軽く髪をかき上げながら立ち上がる。

 その仕草すら絵画のように美しかった。

 ふと視線を落とすと、床に落ちたスマホが目に入った。


 紅葉のものだろう。

 拾おうと手を伸ばした瞬間、画面に映ったものに蒼真の目は釘付けになった。

 キラキラした瞳の男性キャラ。それは明らかに女性向けのアニメやゲームのイラストだ。


「え、これって……?」


 思わず声が漏れる。

 紅葉が慌ててスマホを奪い返すように手を伸ばしてきた。


「み、見ないでよ! こ、これは、えっと……!」


 紅葉の頬がみるみる赤く染まる。

 蒼真は驚きつつも、つい口を開いた。


「それって、アニメのキャラ? まさか、大橋さんが……オタク?」

「うッ……そ、そう。実は私ね、アニメとかゲームが大好きで……」


 紅葉は観念したように肩を落とし、恥ずかしそうに目を逸らした。


「でも、絶対誰にも言わないでよね! 私のイメージが台無しになっちゃうから」

「う、うん、わかった。絶対言わないよ」


 蒼真は小さく笑みを浮かべた。彼女の意外な一面に、なぜか心が軽くなった気がした。


「でもさ、私の不注意でぶつかっちゃったわけだから、何かお詫びしたいな。何がいいかな?」


 紅葉が少し気を取り直したように、軽快な口調で言う。

 蒼真は一瞬考え、ふと思いついたことを口にした。


「じゃあ……恋愛について教えてほしい」

「え、恋愛?」


 紅葉の目が大きく見開かれる。蒼真は少し照れながら続ける。


「うん、大橋さんって恋愛経験豊富って噂だし……俺、いろいろあってさ。恋愛って何なのか、ちょっと知りたいんだ」


 先ほどの失恋の痛みが胸の奥で疼く。

 それでも、前に進みたいという思いが、言葉に滲んだ。

 紅葉は一瞬、じっと蒼真を見つめた。

 何かを感じ取ったのか、彼女の表情がふっと柔らかくなる。


「本当に、それでいいの?」

「うん、それでいいよ」


 蒼真はハッキリと答えた。そして、紅葉は、こう続けた。


「じゃあ、詳しい話はここじゃなくて、どこか落ち着いた場所で話そ。喫茶店とかどう?」

「そ、そうだね」

「その代わり、秘密は守ってよね?」


 紅葉が悪戯っぽくウインクする。その軽やかな仕草に、蒼真の心はほんの少し浮き立った。

 紅葉は教室に忘れ物を取りに戻るついでだったらしく、用事を済ませた後、二人は夕暮れの校舎を後にしたのだ。


 二人は横に並んで街中に通じている通学路を歩く。

 歩いている間も、蒼真は胸の痛みがまだ消えないことを感じていた。それでも、紅葉とのこれからの時間が、ほのかな光を灯してくれるような気がしていたのだった。

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