第19話 非日常
微睡みの中、不意に音が鳴る。
無視しようともできない、鬱陶しい音。俺はこのままの状態を望むのに、体は勝手に動く。
目蓋を開ける。視界はまだボヤけるが、その音の元凶である、光を放つ黒い物体は嫌でも目に入った。
俺はその黒い物体を手で掴む。
初期設定のロック画面で、時刻は4時31分。
俺はそこからアラームを止め、電源を落とした。
布団から起き上がり、障子、窓、雨戸を開ける。そうして軽く換気をして、俺はグッと伸びをした後障子を閉めた。
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布団を畳み、着替え、洗面所で顔を洗って歯磨きし、叔父を起こす。叔父が洗面所を使っている間に朝食を作り、叔父に食べさせる。この時点で時刻は5時30分。朝食中は叔父の小言に付き合いながら、遅れた日には叔父を急かす。余裕があればもう一度歯磨きをさせ、出社だ。彼の朝は早い。
昨日は偶々休日となっていたため昼食を用意してもらったが、これが彼の普通だ。
そう、至って普通。ここまでは至って普通なのだが……
「白銀さん、起きて下さい。朝ですよ……って、う」
鼻を摘む。
酒臭い。
叔父は酒に強いようで今朝もピンピンしていたが、多分これが普通なのだろう。
酒の種類とかはよく分からないが、缶を12本ほど開けられていたため、当然だ。全く、後片付けや後の看病をする身にもなってほしい。
「あ、レイト………。おはよ、う」
布団から起き上がったのも束の間、白銀さんは迫真の表情をしながら口元を押さえる。
「ちょ、ちょっと! 布団にぶち撒けるのだけは辞めてくださいよ!」
「ご、ごめんごめん。う、」
「少し我慢して下さい。今水とビニール袋持って来るので」
流れで彼女はここに止まることになった。
昨日の夕食時、昼食時は完全にお通夜状態だったが、そこでは叔父と白銀さんとで話が盛り上がり、そのまま晩酌。彼女は叔父に泊まって良いかと問い、それを叔父はノリでOK。俺が完全に酔い潰れた白銀さんを看病し、寝かせることになったのだ。
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「うっさいなー」
ボサッと呟く。
それはアイロンかけ最中に出てしまったただの独り言ではあったが、同時に嘔吐を繰り返す彼女へ向けた言葉でもあった。
本当に、何なんだ。いきなり家に泊まることになって、それで翌日は看病かよ。
だが、そう文句も言ってられないな。うん、俺がしっかりしなきゃ。
俺はノックをして、扉を開ける。
「あ、霊斗」
部屋の奥には布団に横たわっている、ぐったりとした白銀さんがいた。
俺は彼女の顔の真横に盆を置く。盆の中にあるのは、湯気立つお粥と木製のスプーンだ。
俺もまた布団の真横で胡座をかく。
「食欲は?」
「うーん、あんま無いけど、まぁ食べられる」
「自分で食べられますか?」
「無理」
即答だった。
「霊斗食べさせて」
「──分かりましたよ」
ちょっと照れ臭いが、今の俺の役目は彼女の看病。だから、何としてでも食事をしてもらわないと困るのだ。
白の陶器をカラフルな縦線で彩ったその碗を左手に持ち、スプーンを右手で持つ。
続いてスプーンで白米を掬い、彼女の口元へと運んだ。しかし、白銀さんは口を開かない。
「ふーふー」
変わりに出たのは、風で寝込んだ子供が母親に甘える様な声だった。
俺は舌打ちしたいのをグッと堪え、スプーンを自分の口元に寄せる。
「ふーふー」
なんというか、その、屈辱だった。彼女の前でこんなバカ真面目に飯に息を吹きかけるなんて。
看病としては普通なのかもしれない、でも、何かこう、言葉では言い表せない様な屈辱感が胸を満たすのだ。
ある程度冷まし、再びスプーンを彼女の口元に運ぶ。すると今度は素直に、大きく口を開けた。
「っ!」
それを口に突っ込もうとしたが、直前で自分の手が止まってしまった。
少し、イケナイことをしている様な、気がしたのだ。ただ、彼女の看病をしているだけなのに、まるで……
俺は首をブンブンと振り、その妄想を掻き消す。
「ん? どうした?」
そんな俺を見てか、白銀さんは口を閉じ、不思議そうな眼差しで問う。
「な、何でもありませんよ」
俺は目を逸らして答える。
その気恥ずかしさを紛らわす様に、俺はスプーンを彼女の口に突っ込んだ。
数秒後、そのスプーンを抜く。
「……」
その引っこ抜いたスプーンには、彼女の唾液が付いていた。それは粘着性があり、スプーンと彼女の口内を繋ぐ。
スプーンをある程度彼女の口から離したところで、その糸は途切れた。そこで、俺の息が荒くなっていたことに気がつく。
何故なのだろう? 食べさせているだけなのに、これほどまでに体が熱くなってしまうのは。
勝手に妄想して、勝手に恥ずかしくなって、そんな自分が情けなかった。でも、仕方無いじゃないか。こんなの、俺だって防ぎようが無いのだから。
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その後のことは、あまり記憶に無かった。
一人悶々としている内に、気がつけば腕の中は空になっていたのだ。
俺は碗とスプーンを盆に置いて、そのまま持ち上げる。
俺は、忘れよう、と心中で呟きつつ、立ち上がって扉へと向かう。
忘れないといけない様な気がした。いや、俺があんなことを思ってしまったという事実を消したかったのだ。しかし……
「今日の霊斗、顔赤くて可愛かった」
「!?」
その言葉で全てを悟った。俺は彼女に弄ばれていたのだ。
別に彼女を恨むわけでは無い。ただ、そんな彼女の思惑に、まんまとハマってその気になっていたという事実が悔しくて、俺は唇を強く噛んだ。
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