第14話 訪問 下
「すまんな、こんな物しか無くて」
促されるままにリビングの椅子に腰を掛ける。数分後、悟は盆にプラスチックのコップに入った麦茶と、簡素な皿に盛られたクッキーを載せ、テーブルに置く。
麦茶が俺の前に置かれた。
……髪が浮いている。
部屋は薄暗く、少し、いやかなり不気味だ。ここの家主は几帳面なのか、部屋や食器の掃除は行き届いている。そして、それにあまりにも不釣り合いな男が一人。まるで、お化け屋敷にでも来たかのような感覚だ。
多分、白銀さんがいればここまで恐怖心を燻られることは無かっただろう。
「お茶は?」
となりには悟がキッチンへ行っている間に座らせておいた、杏がいる。自分の前に麦茶が置かれていないことに疑問を持ったのか、首を傾げる杏を、俺は悟にバレないよう軽く撫でた。
「その、瀬奈さんって、ご家庭ではどの様な方だったんですか?」
思わず口をついてしまったが、すぐにその迂闊さに気がつく。
この質問は良くない。生前のことを聞いてしまえば、悟が過去を想い傷つくだろう。だが、焦燥感に合わせ、この沈黙に耐えきれず、言ってしまった。
「あっ、すみません、別に……」
「瀬奈か? 瀬奈はな、学校では優等生だが、家ではそりゃもう思春期でな。この間なんて部屋に入る時はノックしろと言われて、ああもうそういう年頃なんだろうな、と。寂しさ半分、父親としてはやはり嬉しい。嬉しんだがな……」
「…………」
その後も、悟の惚気は続いた。
その内容は、微笑ましい、日記の様なもの。本来ここは、知らない奴の私生活なんか興味ねーよと呆れつつ、愛想笑いをするところなのだろう。
だが、今の俺には表情を取り繕う余裕すら無かった。
二年前だから吹っ切れている? そんなわけは無い。いくらなんでも異常だ、これだけ熱を込めて語ることのできる愛娘が死んだというのに、何故そうもケロッとしていられる? 取り繕っているのか? そんな雰囲気は微塵も無い。本当に、心の底から嬉しそうだ。
しかも、ことごとく現在形で語ってくる。
俺の呼吸が荒くなっていく。息苦しい、このまま聞いていたら、いずれ奴の言葉に呑まれそうな、そんな悪寒を全身で感じている。
引きずりこまれる。奴の、妄想に……!
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……これはもう、確定だ。
ずっと目を背けて来たが、あの玄関での発言といい、今といい、普通じゃ無い。
結論はこうだ。
悟は再起したのでは無い、むしろあの時、壊れたのだ。
奴の妄想の中では今、確実に瀬奈と杏は生きている。現実逃避。
──俺は、それが許せなかった。これは、生命に対する冒涜だ。死人を、勝手な都合で蘇らせるなど、許されない。
祓わなければ。余分な物は祓わなければなるまい。それが、俺の使命。だから……
「いい加減にしろ! 何なんだよお前は!?
杏と瀬奈はな、もう死んだんだよ! お前が親として最低だったからな! お前だ、お前が殺したんだ! そして、今勝手に生き返らした! そんなこと、許されて良いはずが無い!」
俺が、祓ってやる。その異常を。俺が、排除する。俺が終わらせてやる!
「な、何だ、よ、急に。き、君こそ、な、何なんだ、む、娘が、死ん、だ、な、んて」
悟の体が小刻みに震える。現実と理想の乖離、それによる精神崩壊だ。苦し紛れの笑みを浮かべているが、無駄だ。
「あいつらは死んだんだよ! お前がそんな腑抜けている内にな! 良い加減認めろよ、私たちが生きているのは、お前の妄想の中でだけだ!」
ムカつく。ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく。
「あ、あ、あ、ああ」
最早、言葉も出ないか。当然だ。
「な、何?」
杏が青褪め、困惑している。
大丈夫だ、もうすぐ終わる。俺は杏に手を伸ばしたが、彼女はそれを避けた。
「フン」
まぁ良い。後はこいつの妄想をさっさと祓うだけだ。俺は、悟に顔を向ける。
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ここから先は、私の黒歴史が綴ってあります。
改正版は、14.15話改稿として投稿しているので、そちらを是非。
もし貴方が、私の黒歴史を見てドン引きしたい変態だというのなら、どうぞここから先を。
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「……ている」
「は?」
小声で、何かを呟く。聞き取れない。ただ、2度目は、聞き取れた。
「娘は、生きている」
悟は、ヌルっと立ち上がった。俯いたまま、ゆっくりと俺へ近づいてくる悟。
「生きて、いる。生きて、いるんだ!」
直後、悟が俺に向かって突進してきた。
完全に予想外であり、当然避けられず俺は大きく吹っ飛ぶ。
「ゲホッ、ゲホッ」
激しく咳き込む。しかし、悟の進撃は止まらない。俺に般若の様な形相で迫り、胸ぐらを掴み上げる。
「娘は、いるんだよ!」
「グハッ!」
右の拳で思いっきり殴られた。
脳が揺れる。それと同時に、俺の脳内で、何か、本当に切れてはいけないものが切れた様な気がした。
「ああ良いさ。そっちがその気なら……!」
私は首を勢いよく後ろに曲げ、岩を砕く様な心持ちでクソジジイに頭突きをお見舞いした。
「ってぇ」
「痛ってぇ」
額から血が滲む。しかし、私たちは止まらない。
再び私は、首を後ろに曲げた。だが、それよりも先にクソジジイのアッパーカットが私の顎にクリーンヒットする。
「ガッ!」
こいつがガリだからか、そこまで威力は無い。しかし、それでも身体にかかるダメージは凄まじいものだった。
私は尻餅をついてしまう。
痛い。何か、色々と。殴られた箇所だけでは無い。全身が酷く痛んだ。
ただ、自分を労っていふ暇などない。クソジジイは瞬時に私を蹴ろうと足を振り上げる。
私はそれを直感で転がり、避けた。
思考している暇など無かった。私は自分の右足を床で回転させ、クソジジイの足を掬う。
クソジジイはそれによってすっ転び、その隙に私は立ち上がった。
「ハァ、ハァ」
息切れが激しい。
私はクソジジイから離れて、視線を彷徨わせる。
その時に、見つけてしまった。
そのキッチンに立て掛けてあった、包丁を。
「祓う。祓う、祓って……殺、す。殺してや!」
「やめて!」
──え?
自分で、自分が分からなかった。
その"違和感"に気がついた瞬間、俺の世界は色を取り戻す。
今、やっと正気に戻れた。
杏の声と、俺の目覚めによって。
でも、何か何だか分からない。
記憶は、くっきりと、明確にある。
俺が悟の妄想に怒って、暴走して、殺意を抱いて……?
確かに、彼の言葉には少しムカついた。でも、それは仕方の無いことなのだ。職も失い、妻には見捨てられ、遂には娘たちにまで先立たれて……その精神的なショックは計り知れない。正直、同情する。
じゃあ、何故俺は? 分からない。分からない、分からない、分からない。
俺はただ、自分の顔を手で覆い、蹲って恐怖に震えることしかできなかった。
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