第5話:空の真実

「これが本当の空……? そんなわけ……」

 リーリアにはセラノが言っていることも、目の前の光景も何一つ理解できなかった。頭が真っ白でなにも考えられない。

「遠い遠い昔の話をしてやろう」

 セラノがぽつりとつぶやいた。

「遙か昔、この星はとても美しい星だった。大地は実り多く、空は美しく色彩豊かに輝いていた。朝になれば空は白く輝き、昼になればどこまでも青く青く透き通り、夕になれば燃えるように赤く世界を染めた。そして夜になれば世界を優しく黒く包んだ」

「それって……」

 セラノの語る空の風景をリーリアは知っている。

「ああ、お前の知っている空そのものだろう。それはそうだ。だって、今のこの世界の空は滅んだ世界の空と同じになるように、つくってるんだからな」

「じゃあ、私たちが普段見ている空って……?」

「つくりもので偽物の空だが本当の空でもある。元の世界の空に存在していた実体か、この世界のスクリーンに映された映像かって違いはあるけどな。見た目には全く変わらない。そう、変わらないんだ」

「だから、さっきセラノはあんなことを?」

 リーリアはさっきのセラノの質問の意味をようやく理解した。

「さあ、リーリア。本当の空はどうだった? そして本当の空ってなんだと思う?」

 その問い詰めるような視線が怖かった。

「わかんないよ……」

 リーリアはうつむいてぐっと唇をかむ。セラノの口調は坦々としていて、声を荒げているわけでもない。でも、なぜかその言葉がとても怖かった。

 セラノは、穏やかな声のまま話を続ける。

「元の世界はそれは穏やかで美しい世界だったよ。でも、そんな世界が突然変化した。光の屈折と反射によって視覚的に認識できるだけの空という現象が、人に触れることのできる何かになった。青い空がまるで美しい宝石のように固まったのさ。みんな驚いたが、この不思議な現象を楽しんだ。……あるときがくるまでは」

 リーリアにわからない言葉もたくさん。おとぎ話のように不可解な話。なのに、なぜか受け入れられる自分が怖かった。

「空にひびが入ったんだ。ガラス細工のようにな。そのひびはあっという間に世界中の空に広がっていった」

 リーリアが息をのんだ。

「ひびが空全てに広がったとき、世界中の人たちがピシッという音を聞いた。それが空の崩壊の合図だった。空は割れて砕けて、青い欠片がそこかしこに降り注いだよ。本当に美しい光景だった。絵画の中にいるような、神話の景色の中にいるような気分になったよ。それと同時に、形あるものは必ず壊れると、そう神に言われているような気分になった」

「本当の空はなくなっちゃったの? それでこんな世界になっちゃったの?」

 リーリアは震える手を押さえて訊ねた。

「ああ、そうだ。空はある日突然壊れて無くなった。その後に残ったのが、この灰色の世界さ。世界の全てが同じように灰色になって溶けたよ」

「じゃあほんとにこれが、空のあった場所なの……?」

 リーリアは天を見上げる。灰色以外は何も無い。透き通る青にたなびく白い雲も、燃える赤を照らす陽も、深い闇に輝く月も、何も。ただすべてが灰色。

 元々空があった場所だというなら、これが本当の空なのか。リーリアにはいくら考えてもわからない。

「ああ、そうだ。だから俺は新しい空を造った。お前の言うところの偽物の空をな」

「あの空を……? なぜ?」

「昔見た空をもう一度見たかった。美しくて優しくて人とともにあるそんな空を。だから、全てを注いであの空を再現した。偽物だけど本物の空を。ああ、そうさ。これはどんなに似ていても嘘の空だ。でもな、仕方ないだろ。本当の空はあんなことになってしまったんだから」

 そう言ってセラノが見上げた先には、ただ灰色が広がっている。

「あれが本当の空……? あんな何もない、べたっと灰色のものが?」

 リーリアだって、それなりの覚悟をして旅に出た。今の綺麗な空が偽物なら、本当の空はもっと汚い物かもしれないし、つまんないものかもしれない。それならそれで仕方ないと思っていた。

「でも、あんなのってないよ……こんなの本当の空じゃない」

「しかし、真実だ。本当の空を見たいと願うなら、これが願ったものだよ」

 リーリアは涙をこらえた。泣いてしまったら、何かに負けるようなそんな気がしたからだ。

 リーリアはすがるように辺りを見回して何かを探す。何かないか、何かあってくれないのかと。でも遠くにさっきの扉がある他は何も見えない。すべてが同じ色の世界では距離も形もわからない。ただ一枚の画用紙の上にいるようだった。

 そんなときだった。

「あれ? 今何か……」

 目の端に何かが光ったような気がした。リーリアはごしごしと目をこすって、もう一度その辺りをよく見てみた。何か青く光るものが見える。その光に向けてリーリアは駆けよった。

「青い……欠片?」

 そこにあったのは、透き通るように淡く、でもどこか惹きつけられる青い欠片だった。大きさはリーリアの手のひらくらい。見つめていると心が暖かくなるような不思議な欠片だった。リーリアは吸い込まれるようにその欠片を見ていた。

「それは、空の欠片か。まだあったんだな」

 リーリアの後ろからセラノが声をかける。

「これが、本当の空の欠片……」

「ああ、あの日ひび割れて砕けた空の欠片の一つだ。もう無くなったと思ってたんだけどな」

「綺麗……」ぽつりとつぶやく。

「そうだな。懐かしいあの日の空の色だ」

「ねえセラノ。この空の欠片もらってもいい?」

 リーリアはセラノに訊ねる。

「かまわんよ。ここまで頑張ったリーリアにご褒美の一つもあっていいだろ」

 セラノも苦笑いしながら応える。

「ありがとう」

「しかし、そんなもんどうするんだ?」

「わかんない。この欠片が、空はまだあるよって言ってるような気がして。もっと素敵で、もっと魅力的で、不思議で、みんなが驚くような本当の空が、どこかにあるって」

 セラノは短くうなずく。

「そうか。まあ、そう思うのはお前の自由だし、きっとこの世界の人間の自由だ」

「きっとこの欠片は、私の探しものにつながってる気がする」

 リーリアはそう言うと空の欠片を空にかざした。

 灰色の天の中で見る青い欠片は、まだ何も置かれていないジグソーパズルの最初のピースのように、リーリアには思えていた。

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