探偵

 スクールバスに乗り幼稚園に向かった凜花を見送って、僕も朝の支度を始めた。

 今日は平日。いつもならそろそろ会社へ向かう時間だ。しかし今日は、前日に会社に連絡し休みをもらっていた。


 電話にて休む旨を伝えた際、上司には労いの言葉をかけられた。

 会社にも、僕が最近、最愛の妻を急病で失ったことは周知されている。だから、昇進し忙しい身の現在でも休暇の申請は電話一本であっさりと終えられた。

 ゆっくり休めよ。

 電話口でそういう上司の声は優しかった。


 そんな上司の声を聞き、僕は感謝の意も伝えることはなく、電話を切った。


 朝の身支度を終えて、家を出る直前。

 僕は忘れ物があることに気付いて、自室に戻った。そして、机の上に置いてあったA4用紙一枚を手に取った。


『結果:シミズケンは、シミズリンカの生物学的父親ではない』

 

 まさか。

 そんなことあるはずない。


 そう思って、だけど疑いを捨てきれなくて、僕は僕と凜花のDNA検査を行った。

 この紙が届いたのは、昨日のことだ。

 昨日の夜、仕事が終わって帰ってくると、郵便受けにこれが入っていた。


 凜花が眠るのを待って、これを読んで……。


 僕は、夜に食べたものを吐き出した。

 トイレに駆け込み、息を荒らしながら、時折吐瀉物を撒き散らしながら……。


 涙が出た。

 この年齢になって、ショックで嘔吐したことが情けなくて。

 気分が悪い時、背中を擦ってくれる人がもういないことが悲しくて。


 勿論、そんな感情も僅かにあった。


 でも一番は……。


『あなた、もう少し早く帰って来れないの?』


 なんだったんだ。


『あの子が寂しい想いをしているんだよ? それでも仕事の方が大事なの?』


 なんだったんだ……。


 明美のため。

 凜花のため。

 家族のため……。


 お金が欲しかった。


 食費。

 家のローン。

 電気代。

 将来的には凜花の学費だって必要だった。


 だからお金が欲しかった。

 家族を幸せにするために、お金が欲しかった。


 ……なんだったんだ。

 僕の人生は、一体何だったんだ?


 全てが徒労に終わった気分だった。

 全てを台無しにされた気分だった。


 だから、涙が出た。


 嗚咽を漏らしながら声を殺して泣く僕を慰めてくれるような人は、無論もうどこにもいなかった。


 一晩、寝れない夜を過ごした。

 眠れず、いつも起きる五時になって体を起こして、僕は思い至った。


 会社を休もう。

 こんな状態で。

 こんな気持で、仕事をしたら……何をしでかすかわかったもんじゃないと思った。


 遅れて目覚めてきた凜花に、うまく笑えたかはわからない。

 そう言えば、スクールバスで凜花を迎えてくれた先生は、凄い顔で僕を見ていた気がする。


 ……だけど、少し考えるとそんなことはどうでも良いことに気がついた。

 


 だって、僕は凜花の親じゃないのだから。



 凜花を心配する意味も。

 凜花を見守る責任も。


 凜花を幸せにする権利も。


 ……親ではない僕には、何もないのだから。


 最初は、ただ会社を休んで寝ていようと思っていた。

 落ち着くまで、寝ていようと思っていた。


 だけど、気付けば僕は一つの目的を持って家を出ていた。


 我が家の最寄り駅へ向かい、電車に乗り、ターミナル駅で電車を降りた。

 改札を出て、しばらく駅周辺を歩いた。


 高層ビル。

 賃貸アパート。

 そして、雑居ビル。

 

 年季の入った雑居ビルの扉を過ぎて、四人乗りの窮屈なエレベーターに乗って、四階で降りた。


「こんにちは」


 事務所の中は、意外とこざっぱりとしていた。

 扉を過ぎた先には衝立。その少し脇に、相談用の向かい合ったソファ。


 今、僕に挨拶をしてきた女性がいたのは、そのソファの前だった。


「ご依頼でしょうか?」


 事務所内を見回す僕に、女性が言った。

 ハッとした僕は、女性に目を向けた。


「……はい」


 そして、ゆっくりと頷いた。

 

 端から見たら、今の僕はどう見えるだろうか。

 家を出てくる前、鏡で自分の顔を見たら、それはもう酷い顔をしていた。

 目の下のクマは酷いし、ここ最近は憔悴のあまり食事も喉を通らないから頬も痩せこけているし。


 本当に、酷い顔だった。


 そんな僕を見て、女性は臆することもなく、微笑みながら僕に向かいのソファに座るよう手で促した。

 強かな人だ。


 それが、僕が彼女に抱いた最初の印象だった。


「早速ですが、どういったご依頼でしょうか?」


 女性が尋ねてきた。


 ……衝動のまま、ここまで来てしまった。

 ソファに腰を落として、少し落ち着いて、僕は少しだけ後悔をした。


 一瞬、迷った。


 この話をして良いのか。

 墓荒らしみたいな行為なのではないだろうか。


 ……愛した妻を、裏切る行為なのではないだろうか。


『結果:シミズケンは、シミズリンカの生物学的父親ではない』


 脳裏によぎった。

 手が震えた。

 怒りで、震えたのだ。


「人探しをしたいんです」


 今日、僕が会社を休んでまで来た場所。

 それは、探偵事務所。


「これを」


 僕は、カバンから一枚の紙を取り出し、机に置いた。


「……ああ」


 納得したように、女性は言った。


「お子さんは、おいくつで?」


「五歳です」


「五、六年前から現在まで不貞を働かれている、ということでしょうか?」


「……わかりません」


「そうですか。まあ、そういう場合も少なくはないです。……検査をしようと思った、きっかけは何なんですか?」


「妻が死んだんです」


「……は?」


「妻が死んで、遺品整理をしていたんです。そして、妻のスマホを見つけたんです」


 ここまで微笑んでいた女性の顔が、初めて歪んだ。


「軽い気持ちだったんです」


 僕は、独白を続けた。


「ただ……去ってしまった妻との思い出を思い出したかったんだ」


 置いてけぼりの女性を置いて、独白を続けたんだ。


「あんなことあったなって、思い出したかった。思い出して、どうしたかったはわからない。……多分、納得したかったんです。妻が去った事実を。納得して、泣きたかったんだと思います」


 僕は、カバンから妻のスマホを取り出した。

 しばらく操作して、あの写真を女性に見せた。


「ただ、その写真を見つけた。見つけてしまった……」


 呆気に取られる女性と、視線がかち合った。


「先生、この男を見つけてください。お願いします」


 そして、僕は頭を下げた。

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