第36話 人様を焼くな人様を!

 競技の説明を聞いた限りでは、どれほど微量であっても他者の魔力に触れれば、頭上の玉は即座に砕け散る。

 つまり――この漂う魔力の霧は、ベルにとって致命的な天敵だった。


 おそらく狙って撒かれたものではない。誰かが魔法を発動した際に、副次的に飛び散った残滓だろう。

 だが、理屈はどうあれ、ベルの玉が偶然触れてしまえば、それだけで紅星組は負けとなる。


 ――どう動く。


「――――焦がせ、大地よ。天より……――」


 近くで詠唱が始まった。

 黒服のボディーガードに跨がる少女と目が合った瞬間、俺は反射的に身をかがめる。


「……ひとまず――」


「――ベルッ! ちょっと空を飛んでこい!」

「えええっ!? またですの――!?」


 迷う暇はない。俺はベルを思い切り空へ放り投げた。

 地に足をつけていなければ、彼女は失格にならないはずだ。


「絶対に受け止めてやる! お前はただ、キングを撃つことだけ考えろ!」


 ベルが宙を舞った直後、俺の周囲を炎が包む。

 漂う魔力粒子が燃え上がり、空気は一気に清浄化されていった。


「……ったく、遠慮がないな。最近のお嬢ちゃんは」


 威力は中級火炎魔法。それでも俺の腕毛がチリチリに焦げる程度には熱かった。

 まぁ、これくらいなら別に構わんのだが。


 焦げ臭い匂いを鼻に感じながら、俺は腕をぱんぱん叩いて整えつつ、歩み寄ってきた騎馬に声をかける。


「……助かった。ベルを助けてくれたのか? ミリー嬢」

「別に? 周辺の魔力を焼き払いたかっただけよ」

「……そうか」


 黒服の大男の肩で、ミリーがふんとそっぽを向く。

 下の黒服も同じように顔を背ける――いやお前はやらなくていい。


 素直じゃないところは、ベルとよく似ている。案外、この二人はウマが合うのかもしれない。


 まぁ、俺は焼かれたわけだが。……というか、もしベルを飛ばさなければ、彼女ごと焼き払うつもりだったのか……? いや、さすがに……。でも、ミリー嬢だしな。……わからんな。


 そんなことを考えながら見上げると――ベルが落下の最中、こちらに両手を向けていた。


「……皆さまっ!! 本日、お汚れになることをお許しくださいませっ!」


 ――ベル? 何をする気だ?


 次の瞬間、ベルの手から大量の泥が洪水のように噴き出した。

 濁流は会場を呑み込み、騎馬も観客も泥に押し流されていく。頭上の玉は次々に割れ、戦場はまさに阿鼻叫喚――!


 俺は泥にまみれながら、腹を抱えて笑った。

 そして落下してきたベルを、約束通りしっかりキャッチする。


「……ハハハ! なるほどな。これは確かに、お前にしかできない芸当だ!」

「……ちょっと熱くなってしまって……やり過ぎました」

「いいぞいいぞ。実に俺好みだ。普段は隠すべき力だが――今日くらいはいいだろう。祭りだしな」


 結果はどうあれ、彼女が思い切り力を解き放てたことが嬉しかった。


 やがて会場の隅で、碧色の王冠型の花火が打ち上がる。


『な、なんということでしょう! 紅星組、ベル・ミスティオ選手以外の騎馬が全員脱落――! よって紅星組の勝利ですぅぅ! 敵も味方も区別なしに放たれた泥の奔流による、前代未聞の勝利! 委員会も流石に想定外でありまして! こ、これからの競技……どうしましょうか!?』


 審判の困惑混じりの声が響き渡る。

 これでもう「落ちこぼれ」呼ばわりされることはないだろう。……むしろ、恐れられるかもしれないが。


 ただ、後始末が問題だな。ベルの保護者としては責任を取らなければいけないだろう。最悪出禁を食らいかねん。なんか……前にも似たようなことがあった気がするが、俺は都合良く忘れることにする。


 しかし、その心配は杞憂だった。


 ――泥が、一瞬で消え去ったのだ。

 あっと言う間に。何者かの手によって。


「……ベル、まさかお前が?」

「え? い、いえ……?」


 魔力を魔法に変換させているように、その逆も当然可能だ。効率よく魔力を回していくためには、残った魔法は魔力に変換し、自分の身体に戻す必要がある。

 当然ベルにも教えてはいる。だが、これほどの物量を瞬時に、というのは俺でも難しい。


 困惑してあたふたするベルに代わって、俺は観客席に目を向ける。

 そこには、大声で応援するチャームの隣で、優しく手を振るマオの姿があった。


「ベル」


 顎で合図すると、ベルの瞳の中で、星がはじける。


「お母様――っ!!」

「良かったな。お前の格好いい姿を、ちゃんとマオに見てもらえた」


 ベルは満面の笑顔で手を振り返す。

 あれだけ強がっても、やはり母親に見守られるのは嬉しいのだろう。

 それに、俺としても、マオにベルの成長具合を直接見せることができた。あと、後始末をしてくれて感謝だ。本当にありがとう。大問題になるところだった。


 そんな中――、俺たちの横で気まずそうに佇む影があった。

 それに気が付いたベルが、慌てて駆けよる。


「……ごめんなさい、ミリー。悪気はなかったの。わたくし、まだ自分の魔力を上手に制御しきれなくて」


 ミリー嬢的には、せっかくベルを助けてあげたのに(本心かどうかはわからんが)、この仕打ちである。

 ベルに悪気は無いだろう。途轍もない集中力を発揮したからこそ炸裂した魔法なのだから。


「……ミリー、怒ってますの?」

「……怒ってない。……ないけど」


 歯切れの悪い声。ベルもミリーを心配そうに覗き込む。

 仲が悪いだけの関係でないのはもうわかっている。でも、もう少し上手くいったら良いのにな。お互い素直じゃない二人、というやつか。


 やがてミリーは観客席を見つめ、ぽつりと口を開いた。


「……そういえば、前に言ったわよね。アンタの母親が、王都の酒場で酔っ払って、くたびれたおっさんと飲んでたって」

「……!! え、ええ」

「あれ、“元勇者”だったわ。そういえば」

「えっ……えぇ――!?」


 ベルが驚愕して俺を見る。

 俺は静かに首を振った。……十中八九、十六代目だ。想像はついていたが、あえて口には出さなかった。


「……アンタを不安にさせたくて言った。意地が……悪かったわ。でも一緒に飲んでたのは本当。ただ、色っぽい雰囲気じゃなかったけど」

「…………そう、なんですわね」


 ほっと息をついたベルが、再び俺を見上げる。


「お前が心配するようなことはない」


 その言葉に安堵を浮かべたベルは、ミリーに向き直った。


「……ミリー。一緒に勝てて、良かったですわ」

「……自分以外全滅させといて、よく言うわね」

「うっ……」

「でも紅星組のポイントにはなったわ。そこはお礼を言っておいてあげる」


 ふん、と鼻を鳴らし、ミリーは黒服と共に去っていく。

 その横顔は、どこか清々しいものに見えた。

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