*第六章 再会と誓い
第一話
数えきれないほどの季節が巡り、屋敷の周りをツタが
屋敷に留まっていた放浪の魔法使い・ロートに魔法を習い、竜人としての知識も学び、身も心も成熟していったのだが、そうするごとにハノは物憂げな魅力が増していくばかりだったという。無垢で朗らかで愛らしかった竜人の子は、想い人を失って以降心から笑わなくなってしまったのだ。
「お前さんは、ここでずっとあいつを待ち続けるんだろう? ならば私がこの世界のどこかにいるかもしれないあいつを見つけ出し、早くハノに会いに行ってやれと言って来てやろう」
国を捨て、もはや誰にも縛られるようなことはしないかと思っていたロートが、そうハノに言い置いて屋敷を出ていったのはいつのことだったろうか。伝書バトで他愛ない報告の便りが来ていた頃もあったが、それももう随分と前に途絶えてしまった。
ロートは、きっとこの世界のどこよりも遠い場所まで、ライナーを捜しに行っているのかもしれない。ハノは最後に届いた手紙を読み返しながら、窓辺につるしたサンキャッチャーを眺める。誰に会うこともなく、言葉も交わさないまま、一人きりの幾年月が流れていく。
――――これが闇の孤独。
それでもハノが正気を保ち、願いが叶うのを待ち続けられたのは、このサンキャッチャーの存在が大きいのだろう。
まだ幼さが残り素直になれないハノを気遣い、ライナーが贈ってくれたそれは、いまも変わらず降り注ぐ日射しを集めてはハノに届けてくれる。見上げるたびに、ライナーのやさしい笑みと重なり、胸が甘く痛むが、それも歳を重ねていくごとに緩やかになっていっている気がした。
(……もう、どれくらいになるのかな……春も夏も、秋も冬も、数えられないくらい僕の前を通り過ぎていったな)
ロートがこの屋敷を出ていったのが昨日のようなのに、それさえもう実ははるかかなたの昔話なのだ。
最後の
湖を眺め、書斎につるしたサンキャッチャーの光を見つめる。そんな静かな暮らしを、ハノはもう何百年も続けていた。森の動物たちも誰も尋ねてこない、一人きりの孤独な時間。
一度だけ、ロートが手紙に「私と一緒に旅をするかい? あいつに会えるかもしれないよ」と、誘ってくれたこともあった。ひとりさびれた屋敷で、いつ来るともしれない、来るかもわからない想い人を待ち続けるハノを気の毒に思ったのかもしれない。
しかしハノは、その手紙の返事にこう書いた。
『だいじょうぶ、これはライナーにまた会えるための条件なんだから』
誰に会うこともなく一人屋敷で待ち続ける。孤独で闇に沈みそうな寂しさがないと言えば嘘になるが、それでも、ハノは待ち続けることを選び続けた。それが、ハノなりのライナーへの
そうしてハノは、もうずっとこの屋敷にひとりで暮らしている。ここにいれば、きっと想い人が自分に会いに来てくれると信じて。
それは祈りに近い願いとも言えた。
ロートに魔法を教わったハノは、家の雑事を魔法で片づけられるようになっている。使った食器を指で突けばひとりでに洗い始めるほどの、他愛ない類ではあるが便利であることに違いはない。
魔法で家事を片付けられることで自由な時間が増え、ハノはその大半を相変わらず書斎で過ごしている。もう幾度となく読み返してきた父の蔵書を開き、日長一日を書斎の窓辺で過ごすのだ。そこにいれば、天気がいい日には長い時間サンキャッチャーの光を眺められるからだ。
誰と会うでもない日々ばかりが続き、ハノは時折、本当にあの日願ったことが叶うのだろうかと考えてしまう。唯一願いを知っているロートさえ、もはやいないこの場所で、自分がライナーを待ち続けている意味があるのかと思えてしまうからだ。
待ち続ける孤独に耐えかねて、自ら牙を抜いて不老でほぼ不死である身を棄てようとしたこともなくはない。気がどうかなってしまいそうな寂しさは時にハノの心身を侵食し、痛みを伴うこともあった。
「でもやっぱり、どうしても僕はライナーに会いたい……会って、ちゃんと伝えたいことがいっぱいあるんだ」
誰に言うでもない呟きに、答える者はいない。小鳥がいればさえずってくれることもあるが、そこの意味はないし、それさえできないのが闇の孤独だ。
見上げれば、きらめくサンキャッチャーの光がハノに降り注いでくる。あの頃と変わりないそれだけが、いまのハノの孤独を癒してくれていた。
そうやって書斎で読書に没頭していると、いつの間にか日が暮れていた。ひとりきりで過ごすために時間の感覚が曖昧になりがちで、良くハノはそうして食事を取り損ねてしまう。
「ライナーが知ったら怒るかな……怒ってでもいいから、会いに来てくれないかな」
そんなことを呟き、小さく息を吐く。幾度となく繰り返してきた、期待を込めた妄想が現実にならないことは、いやというほど知っているからだ。
窓の外には昇り始めた月が顔を覗かせている。どうやら今宵は満月のようで、しかもあの夏の夜と同じ青色の月だ。
懐かしい、と思えるほどに、あの夜はもう遠い昔になってしまった。熱く蕩けるようにライナーに抱かれた夜も、冷たくなってしまった彼の隣で枯れるほど泣いたことも、すべてが遠い昔話だ。
ハノは読んでいた本を閉じ、そっとサンキャッチャーに触れる。まるで挨拶をするように口付け、「おやすみ」という。これもまた、いつの間にか習慣となっている。
書斎を出て、寝室へ向かい扉を開けると――そこには、一つの人影があった。
すらりと伸びた長身に、月明かりを背負う表情は影となって不明瞭だが、穏やかでやさしい顔をしているのがわかる。見慣れない黒づくめの服を着ているが、それを包む手足の形の良さや、わずかに見える表情にはどこか見覚えがなくはない。
「……誰?」
ハノが恐る恐る影に尋ねると、影は嬉しそうに笑った――気がした。
「――――ハノ」
そう、影はハノを呼び、両腕を広げている。この屋敷で、ハノの名をこんなに愛おしそうに呼ぶ者は、彼しかいないことを、ハノは知っている。彼であれば、結界を超えてこられることも。
「ライナー…?」
名を口にする声が震えている。いつ以来になるかしれない愛しい者の名を、彼に向けて発することが、こんなにも喜びに震えることだとは思わなかったからだ。
「ハノ。やっと会えたな」
サンキャッチャーの光のようにやさしくやわらかな笑みと声でそう呼びかけられて、ハノの心は限界を超えた。長きにわたりずっと堪えてきた感情が一気にあふれ出し、涙と共に零れていく。
そしてそのままを、ライナーにぶつけるようにして抱き着き、声をあげて泣いた。
「ライナー! ライナー! ……会いたかった……ずっと、会いたかった……」
言葉にならない愛しさが涙と共に喉をせりあがり、うわ言のように繰り返してしまう。ぎゅうぎゅうと音がしそうなほど抱き寄せ、温かさを感じる胸元に頬を寄せると、微かに彼の鼓動が聞こえる。ああ、生きている……それが何よりも嬉しく、ハノは一層涙をあふれさせた。
「随分待たせてしまったな、ハノ」
「遅いよ……遅いよ、ライナー……」
いままでどこで何をしていたんだとばかりにハノがライナーの胸元を叩くと、ライナーはそれを受けながら苦笑して答える。
「この先もずっと、君と共にあれる者であれる、そんなものになるために時間がかかったんだ」
「僕と共にあれる、もの?」
それは一体どういうことなのかと尋ねるより先に、背に回していた腕がほどかれた。何故、と問うよりも先に、ライナーは身に着けている黒いシャツを脱ぎ捨て、そして露わになった肉体の背を向けてきた。そこにあったのは、真っ黒で艶やかなコウモリのような大きな翼、そして長くくねる尻尾。
その姿は……と、ハノが問うよりも早く、ライナーの姿が段々と変化していく。たくましく美しい体躯や肌はそのままに、黒髪の間には同じく黒い角が覗き、口元にハノのような牙も見える。
「ライナー……その姿って……」
「ああ……俺は、君と同じ竜人になったんだ。色は黒色だけれど……これなら、もうハノを一人にしないだろ?」
そう、ライナーは八重歯のような牙を見せて笑いかけて来たが、ハノは笑えなかった。全く想像すらしなかった姿に、言葉も出なかったからだ。
書斎にある蔵書の中に、竜人の出征について書かれていたものがわずかに残っていたのを思い出す。
曰く、竜人は子を授かりにくく、中でも黒竜はその希少さを極めるという。だからこそ想い人を一途に愛し、想い人の“熱”と呼ばれている互いの体液を交わすことで、契りを確かなものにし、
「そんな、まさか……ライナーが、竜人に……」
言葉をどう紡げば、この胸に突然降って湧いた喜びを伝えられるだろう。ハノには皆目見当がつかない。何百年と待ちわびた想い人が、まさか自分を一人にしたことを悔いて自分と同じ竜人になっているなんて思いもしなかったからだ。
「竜人になるには、神のもとで様々な試練を乗越えなくてはならなくて……随分と時間がかかってしまったんだ」
すまなかった、と言いながらハノの頬をいつの間にか伝っていた涙を掬い、泣き出しそうな微笑みをむけてくる。
「ハノ、泣かないでくれ。俺がキミの傍にい続けられず、長い間一人にしてしまった。闇の孤独に置き去りにし、守れなかったことが一番後悔している。だから、もう二度と離れないためなら、どんなことだってする覚悟でいた。そう決めたんだ」
喜びと驚きで濡れるハノの頬を撫で、まっすぐに見つめてくるライナーの眼差しは人間だったころと変わらない。やさしく真っ直ぐにハノを見つめ、見守り、慈しんでくれるこの眼差しに、ハノは何度救われてきたことか。
数百年前のあの時伝えきれず、蓋をして鍵もかけて心の奥に沈めた想いが、いま、光を求めるように解放の時を待ちわびているのを感じる。頬を撫でるライナーの手を取り、握りしめながら、ハノは溢れ出る想いを言葉にして伝えた。
「ありがとう、ライナー……僕、ライナーがずっと、ずっと好き。だから、あの時命がけで僕を助けてくれありがとうってずっと伝えたかった」
「ああ、ハノ……俺もだ。俺も、君の命が助かったことが何よりも嬉しかった」
微笑みかけてくるライナーの表情は、竜人と言えども人間よりもやさしく、ハノはやはり変わりなく彼に惹かれていく。握りしめる手はあの時のようにあたたかで、いま彼がここにいることを感じる。それが何より嬉しい。
「愛してる、ライナー……どんな姿になっても、こんな僕と一緒にいてくれる?」
「もちろんだとも、ハノ。君だからこそ傍にいたいんだ。俺はそのためにいまここにいるのだから」
愛してるよ、ハノ、と告げられた唇に、自然とハノの方から近づき、触れる。口伝いに受ける愛の言葉は甘く、まるで永遠を誓うようでもあった。
口付け合い、互いの両腕を回して抱きしめながら距離を失くしてくふたりは、息継ぎも忘れるほどに深い口付けを交わす。以前ライナーが命を落とすこととなった夜よりもそれは熱く、たちまちに蕩けていく。
熱い口付けに身体中の力が抜けてしまったハノは、無意識にライナーの胸に身を任せるようにしていた。寄り添うように抱き合う形になり、ふと顔をあげると、ライナーの深い色の瞳に火照る顔をした自分が映し出されている。
体が、奥から熱い――あの夜振りになる発情だと気付いたハノは、濡れた赤い瞳でライナーを見つめ、告げた。
「ライナー……僕、ずっとあなたが欲しかった……ずっと、待ってたんだ……」
熱い吐息交じりの囁きに、ライナーがゆったりと微笑んでうなずき、ハノをそっと寝台まで導いていく。
寝台の縁に座らされ、再び口付けながら、次第にハノは丁重に組み敷かれ、ライナーが影を成していた。見上げる姿は、あの夜と変わりなくたくましく美しく、新たな命を得たことで一層それに磨きがかかっているようにも見える。
ハノが声にならない声でライナーを呼ぶと、それに口付けで返され、そして囁かれた。
「俺を存分に欲して、愛してくれ、ハノ。俺も、君を遠慮することなく欲し、愛していくからな」
そのために、ライナーは竜人の中でも一等に一途な黒い竜人になったのだろうと、ようやくハノは理解し、そして嬉しさで涙が溢れた。失うことを恐れずに求めていい。愛していい。その言葉がどれだけハノの心を安堵させ喜びにあふれさせたか。想いは涙となってあふれ、頬を伝い流れていく。
「いっぱい愛して、ライナー」
泣き笑いの顔でハノがそう告げると、ライナーがその唇に自分の物を重ね、やがて貪るように味わい始めた。
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