待たせ過ぎた恋
杏樹
甘さ増しまし
「…またか」
駅のカフェを出て、改札口に一人立つ私。
生温い風は夏を感じさせる。
「まもなく電車が到着します」
こんな顔で電車に乗るのも嫌で、私は電車を見逃すことにした。
「これ逃したら、30分後だよ」
背後から聞こえたその声は私に向いていたらしく、誰かが肩に触れた。
「…橘さん?」
「覚えててくれたの?」
驚きや喜びが詰まった顔を見せる橘さんは地元が同じ同級生。
小さな町だったので保育園から中学校まで同じだった。
「乗る?乗らない?」
優しく聞いてくれる橘さんを見つめると、昔と随分雰囲気が変わったと感じた。
「乗る」
そう言って私が電車に足を進めると橘さんも同じように歩いた。
「この次の駅は結構人降りるし、座れそう。紬さん、この辺の大学なんだ」
電車に揺られながら橘さんの言葉を聞き返した。
人の数と電車の音にやられて何を言っているのか聞き取れなかった。
すると次の駅に着いたようで、出口側にいた私は人の波に飲まれそうになってしまった。
「紬さん!」
差し伸ばされた手がとても温かかった。
そのまま手を引かれ、私は椅子に座った。
「紬さん、相変わらず小さくてさっきは人に飲まれて潰れるかと思った」
本気でそう思ったのか安心して息を吐いていた。
その様子が何だか面白くて、必死に声を抑えたが笑ってしまった。
「橘さんは大きくなったね。まだバレーはやってるの?」
小学校の頃からクラブチームに入っており、中学の部活もバレーだったことを覚えている。
「今は遊び程度。高校まで真剣にやったし後悔はないかな」
橘さんとは中学まで一緒ではあったが、ほとんど話したことがない。
小学6年生の時に委員会が同じで少し話したという記憶しかなかった。
そんな橘さんが話しかけてきたのが正直意外だった。
「急に声かけてごめんね。その…元気なさそうだったから、つい」
申し訳なさそうに謝る橘さんに私は首を横に振った。
「全然迷惑とかでもないし大丈夫だよ。むしろ、久しぶりに会えて嬉しい」
橘さんについてはほとんど知らない。
小学校の時、クラスが同じだったことはあるだろうが記憶にもない。
何も知らない橘さんに私はなぜか安心した。
「もう帰るだけ?」
スマホを触っていた橘さんが私の耳の近くでそう言った。
驚いた私は距離を取るように窓に体を近づけた。
「ごめん、音が大きいとまた掻き消されると思って…」
「私こそごめん、びっくりしただけ。うん。帰るだけだよ?」
私は地元が嫌いだ。
小学校、中学校とあまりいい思い出がない。
そのため高校は少し遠いところに通い、誰も知らない土地で新しい友達を作った。
橘さんも地元の人ということで、少しだけ緊張する。
私の黒歴史を知る人物は全員消えてしまえばいいのに、そう思ってしまう。
「もしよければなんだけどここ行ってみたくて。けど、男だと入りにくくて…」
スマホの画面に映されているのは地元から二駅先の夜カフェだった。
「甘いもの好きなの?…いいよ、行こう」
断るにも難しく、ついそう言ってしまった。
家を通り越して、二駅先の駅で降りると夜空に綺麗な星が舞っていた。
少し歩くと、隠れ家のような場所に到着した。
「いらっしゃいませ」
店のドアを開けた瞬間に店員の声が聞こえた。
少し暗く、落ち着いた雰囲気のカフェに思わず目を輝かせてしまう。
橘さんの後ろを歩き、席に着くとテーブルに一つ、キャンドルが置いてあった。
揺れる炎に目が離せない。
とても一生懸命に燃える火が美しく、小さな灯りを見せる。
「紬さん?」
キャンドルに吸い込まれていた私を橘さんの声が現実に戻した。
「あ、ごめん。ボーっとしてた」
小さく笑いながらメニューを差し出してくれた。
「期間限定に釣られるんだよなぁ。何にしよう!」
大きく書かれた『期間限定』という文字と格闘した末に、『当店おすすめ』と書かれていたガトーショコラを注文した。
「俺はマカロンで」
指を差して丁寧に話す橘さんを見つめていると目が合ってしまった。
店員が注文を繰り返しているタイミングで微笑みかけてくる橘さんに私の心臓は速まった。
今日会わなかったら、きっと一生会うことは無かった人。
声をかけてくれなかったら地元の同級生その6くらいで、名前も忘れてしまうくらいだった。
それなのに何だろう。
「ん?」
見つめられる視線に動揺してしまう。
目が無くなるほどクシャっと笑い、すぐに目を逸らす。
その橘さんの仕草に目がいってしまう。
「美味しそう!写真撮ってもいい?」
許可をもらった私は何枚か写真に『可愛い』を収めた。
「誘ってくれてありがとう。すごく美味しい」
口の中いっぱいに広がっていく甘さは私の疲れた体を溶かしてくれた。
「良かった。元気出た?」
テーブルに肘を付けながら首を傾かせる橘さんが少しだけ色っぽく見える。
薄暗く、周りの声は少ない。
今、この瞬間、世界に私達だけしかいないのではないかと思ってしまう程、橘さんでいっぱいになっていた。
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