最上の天使 ~あなたの”望む”を叶える~【耳かき&マッサージ】

アーレア・ヤクタ・エスト

第1話 アイロイド・アルカ


夜の雨が窓に打ちつける部屋で、ドアベルの音が響く。


足早に向かい、扉を開けると、一層雨音が強くなる。


「この度はわが社の”アイロイド”をお迎えくださり、ありがとうございます。早速ではございますが、お部屋の中に失礼してもよろしいでしょうか?」


「……ありがとうございます。それでは失礼します」


フローリングを踏む、三人分の足音。


「こちらに置かせていただきます」


優しく置く音。


「ではサインを」


紙を滑る鉛筆の音。


「ありがとうございます。では私たちはこれにて失礼させていただきます。重ねてではございますが、プレジャー社を愛顧していただくこと、嬉しく思います」


「初めに取扱書を一読していただくことをお願いしております。それではごゆっくりお楽しみください。失礼します」


覆いかぶさったビニールを剥がす。


点線に沿って、丁寧に段ボールを開封していく。


手をかざすとピピッ、と電子音がなり、クラシックのイントロが短く流れる。


《本人確認完了───”かげがえのない、思い出を”》


アナウンスが流れた直後、プシューと大仰な音を立て、コンテナが開く。


「───うっ、なんなんだこの煙の量は? 演出にしても度が過ぎるぞ!」


慌てて、扇風機の電源をつける。


「……どうやら少しは落ち着いたか」


パッパッと、衣服の埃を叩き、姿勢を正す。


「それで───君が私のマスターか」


コンテナから踏み出し、一歩ずつ、ゆっくりと「ふむ……」と興味深そうに周りを歩く。


「いや失礼した。私と過ごす人間に少し興味があったのだ。改めて自己紹介をしよう。私はプレジャー社のゼロナナヨンナナハチサンサンロクサンニイイチイチゼロ……」


「ふっ、冗談だ───これはちょっとした茶目っ気、いわゆるジョーク。いまのは適当に言っただけの何の意味もない数字。必死に覚えようとしなくても結構だ」


「君は面白いな」と優しく微笑む。


だがそれも一瞬、すぐに真剣なものになる。


「だが、残念ながら私には”エクサス”というモデル名だけで固有名詞、すなわち人間にあたる名前と言うものはない」


「もし、よかったら君が名付け親になるといい。あるいはランダム生成もできるが……」


「……なに? もう考えてあるのか。なら、君のセンスを試させてもらおう、マスター」


「……”アルカ”」


思案顔を浮かべるアルカ。


「……なんだ、その……悪くないものだな、自分に名前があるというのは……アルカ……アルカか」


しみじみと呟くアルカが、視線に気づき「んんっ!」と咳払いする。


「な、なんだその目は……なにかおかしいか? 私たちアイロイドにとって、唯一無二の名前が付くのはそれほど重要なことなんだ。それを踏まえれば、私のこの反応はなんらおかしいものではない。第一、君が用意した名前は───いや待てよ」


照れたように言ったアルカが、気づいたように悪戯っぽく唇を吊り上げ、見上げるように続ける。


「名前を考えてあるあたり、君は私が来るのを相当楽しみにしていたのか? 事前聴取では、私の銀髪も君の要望だと聞いた。どうだ。好感を抱くであろう君好みの外見を持った女性が家にいてドキドキするか? そうであるなら……」


一歩近づいてくる。


「───少しばかりなら、抱きしめてもいいぞ」


アルカは左耳に囁き、すぐに離れる。


「ふっ。なんてな、これも冗談で───きゃっ!」


冷徹無比だった低い声が一瞬、年頃の女の子のように甲高くなる。


「いきなり抱き着くなんて君はいったい……!」


驚きに上擦った声が左耳に届く。


「……え? そ、そうか。楽しみにしてたのか……ん……ぅ」


素直な言葉に、たじろぐアルカ。


互いに呼吸する音を聞きながら、しばらく抱き合っていると、


「……も、もういいだろう!」 


慌てたように離れる。


「わ、私は愛玩用途に適した感情アルゴリズムを持っていない! それゆえナレッジベースに特化したアイロイドである私に肉体的接触への欲求を十分に解消できる機能は存在しないわかったか?」


言い捨てるようにそっぽを向くアルカ。


「……それに、喜びを与えるのは私たちの役目……これでは立場が逆転してるじゃないか」


小さく呟くアルカに首を傾げる。


「……いや、なんでもない。それより今夜の予定は……む、アレはなんだ?」


離れて、豆皿の上のキーホルダーを持ち上げる。


「もしかして、車の鍵か?」


「君は車を持ってるのか。珍しいな……」


カチカチとボタンを操作するアルカ。


「いいのか……?」


「いや、確かに気にはなってはいるが……私なんかのために……」


「家族?」


「はぁ、まったく。君と言う人間は……」


「私はアイロイドだ。人間とは異なり、経験に価値の重きを置くことはない。それに優しさと言った感情に絆されることもないからな、下心で好感を稼ぐ必要もない」


「……とはいえ、せっかくの君の提案を無下に断るのも無粋というものだ。それに経験に価値がないというわけでもない」


「だからそのだな……わ、私を……」


「ど、ドライブに連れて行って……くれないか?」


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