第10話 まちあわせ

数日後。 



「……ふへ~。ようやくついたな、やっぱ徒歩はきつい」



俺は独り言ちて真上から照り付ける太陽を睨む。

額にうっすらと滲む汗を袖でぬぐった。

背中に抱えた荷袋をぐいっとかつぎなおして、また歩き始める。



今回の客、リゼの住むというルルコット城下町へ向かう途中、ちょうど中間地点くらいにあるギージャの村の入り口にようやくたどり着いた。

少し先、村の存在を知らせるような長い木が道の両脇から青い空に向かってひょろひょろと伸びている。

その木の向こうから、三角屋根がぽつぽつと見えはじめる。



この村に来るのも何年ぶりだろうか。

普段はジャワ渓谷にある自分の家と、そのふもとの街との往復くらいかしかしていない。

男独り身の生活なんて、それですべて事足りるってもんだ。

慣れない場所というのは少し気後れするが仕方がない。


俺は痺れかけた両足を気遣いながら、村に入り込み、目当ての酒場をさがす。

今日の昼にこの村の酒場で待ち合わせ。先日、リゼの護衛として付き添っていたむっつり男、ランカと落ち合う予定なのだ。

 

村に入ってほどなく、人のまばらな大通りの右手にみつけた。

焦げ茶の建物の前に立つ古びた看板にかかれた『いたちの尻尾亭』の文字。

そばまで行き改めて木の立て看板をよく見ると、店名の上に、炭か何かでかかれた落書きがあることに気がついた。



「あらら……」



あの落書きだ。


いわゆる男根と女性器を象徴するあの模様が向かい合って描かれている。

なんだか気が滅入る。ここはそういう店なのか。それとも子供のいたずらか。

酒場と売春宿を兼ねている店は多いだけにどちらかわからないな。


俺が店の前で、入るのに躊躇しているとキャンデイの声がした。



「ねぇ、ねぇ、これってさ、何の絵なのよ?」



俺が胸ポケットに目をやると、キャンディが大きな耳を揺らして顔を出し看板を眺めていた。

ふうむ。説明するべきかせざるべきか。

キャンディの中身に関してはまだまだ未知数。

女であるらしい、というところまでは分かったが何歳なのかまではまだわかっていない。

もしも年端も行かない子供ならばまずい。俺は適当に答える。



「こ、これは剣と盾だろうな。さ、入るか」



俺はとっとと会話を終わらせ、扉を開けて足を踏み入れた。




入ったとたんに胸を満たす香ばしい臭気。

パンの甘いニオイと炭火のほろ苦い香り。

天井に微かに白いけむりがたゆたう。昼前のせいか店内は騒々しい。

四人がけの四角いテーブルがあちこちに並ぶが、ほぼ満席。


その隙間を縫うように給仕の女たちがせわしなく動き回っている。

彼女たちに向けられて飛ぶ卑猥ひわいな野次、尻に伸びる男たちの手を彼女らは笑顔で見事にかわしていく。


人の多い所はどうにも苦手だ。

俺が店内を見渡すと、右手前の壁際、隅っこに無人のテーブルを見つけた。

俺はほっとして、そそくさと進んで席に着いた。

背中から荷袋をはがして足元に置く。ふと周囲を見渡すがあの男、ランカはまだ来ていないようだ。



俺がテーブルの上の食事のメニューを眺めていると、周囲の喧騒を飛び越えて威勢のいい声が聞こえた。

大きすぎる声にビクッと肩を震わせ左を見上げると給仕の女が笑顔でこちらをみていた。

顔も腰回りも肉付きのいい女は、手慣れた感じで話しかけてきた。



「あら、お兄さん、あんまり見ない顔だね。あたたかいものならば鶏もものあぶり肉があるよ。シンプルに塩と胡椒をかけて食べれば絶品だ。悪いが、パンはうり切れてしまったよ」

「あぁ、そうかい……俺は、ナッツの盛り合わせと、インゲン豆のスープを」


言い終えて俺は女を見上げる。

給仕の女は、深く優しいまなざしでニコニコとしたままうごかない。

もう注文は終わったが、利益にならないからもっと頼めって事なのだろうか。

俺は迷いながらも言葉を付け足す。



「……あ、以上で」



 給仕の女は大きく目をむいた。 



「ええ! それっぽっち? お兄さん結構大きな体なのに小食だねぇ。それとも初めてだからって遠慮しているのかい? 今日は卵もたくさんあるから、よかったらアスパラを和えたオムレツもできるよ? 摘みたてのくだものはどうだい?」

「いや、お構いなく。俺はもともと小食なんだ」



給仕の女はなんだか納得がいかないという感じで首をかしげながら去っていった。

気さくなんだか、無遠慮なんだか、判断に困る態度。

俺は背もたれに体を預けて、パンパンに張った太ももを手の指で軽く揉みほぐしていた。



その時、店内にガチャン、と大きな音が響き渡った。


とっさに音の方に視線を上げると、さっきの給仕の女が少し奥のテーブルの前で立ち止まっている。

女の足元には割れた陶器の残骸が散らばる。

なにやら目の前にいる客の男たちと言い争っているようだ。



「はぁ……」



自然とため息が口をつく。

だからこういう場所での食事は嫌なんだ。

俺は目を伏せ、再び太ももを揉みほぐすことに専念する。


こういう時、妙にそわそわしてしまうのが小心者の常。

俺はなんだか気まずくなりうつ向く。

次第におさまるかと思っていた言い争いの声は、おさまるどころかさらに激しくなってくる。


内容はよくわからないが酔った男がなにやら給仕の女に言い寄っているようだ。

野太い声で、売女ばいただの、尻軽女だのと、なんだか穏やかとはいえない言葉が途切れながらも聞こえてくる。


その時、急に言い争いが中断したかと思うと、ひやぁ、という間の抜けた男の声が聞こえた。

俺はそれでもそっちを見ない。

目を閉じて精神を集中し太ももを揉むことに専念する。

俺には関係ない、と念じながら。

しかし、否応なく男たちの声が耳に飛び込んでくる。



「くそっ、何だコイツ!」

「イタチか!」

「おいそっちにいったぞ、イタチじゃねぇ、うさぎだ! 早く捕まえろ!」



俺の太ももを揉む指が自然と動きを止めた。

嫌な予感というやつが俺の背筋をざらっとなぞる。

いま、うさぎって聞こえた気がした。

俺は恐る恐る自分の右胸のポケットに目をやる。

さっきまでこんもりと膨らんでいた胸のポケットはしぼんでいる。

俺は右手を太ももからゆっくりと胸ポケットに持っていき、軽くおさえる。



「……いない」


 

俺はようやく視線を男たちの声の方に向けた。

ちょうどこちら向きに座っていた坊主頭の男と目が合う。

男はゆっくり立ち上がる。毛のない頭が天井まで届きそうな大男。

なぜか、こっちを睨みつけている。



その時、俺の右の耳元でキャンディの声がした。



「……ねぇ、こっちに来るみたいよ」

「お……お前は一体何をやってるんだ……こっちに来るみたいよって、そりゃお前がおびき寄せてんだから来るだろうよ」

「だって女の人が男に襲われてるんだもん。放っておけなくて、ついつい」

「その心意気は大したもんだ。よし、ほめてやる。だが、お前知ってるか、因果律いんがりつという言葉を。これはお前が自分で蒔いた種だ。自分でなんとかしやがれ」

「いんがりつだか何だか知らないけどさ。ここにアタシを連れてきたのはアンタよね。だったらこうなった原因はアンタにもあるんじゃないの?」




一瞬納得しそうになりかけるが、待て、違う。

コイツはあまり物を知らないくせに、妙に頭が回る。


「はぁぁ?……お前、それは屁理屈って言うもんだ。そもそも、自分で対処できないような事に首を突っ込むなよ。ほんっとに無責任なやつだな」

「自分の事は棚に上げて、何なのよ。女の人が困ってるのにずっと知らん顔して。目をつむって太ももを揉んでるってどういう事よ」

「それの何が悪いってんですかね。今、俺のするべきことは太ももを揉むことだ」

「ああそうですか。でも、もうそうも言ってられないね」

「もういいっ。とりあえず隠れてろ」




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