第9話 悪役令嬢現る

 翌朝。


「カイル、いつまで寝てんの? 歌劇始まっちゃうよ」

「んん……」


 寝返りをゴロンとして、手探りで時計を探す。重たい瞼を少しだけ開けて時計の針を見る。


「まだ八時じゃん。休みの日くらいゆっくり寝かせろよ」


 再び目を瞑って仰向けになれば、ベッドが軋み、パジャマの一番上のボタンを一つ外された。


「仕方ないなぁ。侍従もいないようだし、僕が直々に着替えを手伝ってあげるよ」


 この声……。


 俺は飛び起きた。


「やっぱ、お前か! クロード!」

「酷いなぁ。恋人に向かって。一緒に抱き合って寝た仲じゃん」


 昨日の朝の温もりを思い出して顔が赤くなる。


「そ、そうかもしんねーけど、人の部屋に勝手に入ってくんなよ!」

「ちゃんとセルトン男爵には許可貰って入ってきたよ」

「ッたく、親父のやつ……」

「あと、婚約の許可も貰っておいた」

「は?」

「あとは、僕の父上にサインしてもらうだけだね」


 ニッコリ笑顔でクロードが誓約書を見せてきた。奪い取るようにして、俺はそれを手に取った。


 そこには、バッチリと『婚約誓約書』と書かれ、将来に関する取り決め事項や、不当に破棄した際の慰謝料云々が長々と書き記されている。

 そして、クロードと俺は既にサイン済み。


 俺だってサインなどしたくなかった。

 しかし、俺からクロードを挑発してしまったばっかりに、反論の余地は無い。

 ただ、サインをしたからと言って、まだ有効ではない。この誓約書は、両家の親のサインが揃うことで効力を発揮する。


 だから、俺がサインをしたところで問題ないと思った。クロードだって、嫌がらせで俺と恋人ごっこをしていると思ったから。だから、本気で親に承諾を得にくるとは思わなかった。


「うわー、これリーチかかってんじゃん。どうすんだよ。親父だって、何でサインすんだよ」

「そりゃ、貧乏だからでしょ」

「そうか……」


 俺は売られたのか。

 上流貴族様のペットになって、我が家を潤してくれと、そういうことか。

 

「でもクロード、お前分かってんのか? これ成立したら、婚約破棄の時に慰謝料とかかかるんだぞ」

「婚約破棄しなけりゃ良いんでしょ?」

「そんな平然とした顔で言いやがって。お前だって、どこぞのお嬢様と結婚する日が来るんだぞ」

「来ないよ」


 即答され、俺の思考回路がおかしいのだろうかと勘違いしてしまう。


「お前、嫡男なんだろ? 後継なんだろ? 俺みたいな家は潰れても仕方ないにしても、お前は結婚しないとまずいだろ」

「結婚はするよ。カイルと」

「だから……」


 クロードと話していると疲れてきた。


「俺、もう一回寝る」


 布団に包まって横になる。


 クロードに背中をツンツンされる。


「歌劇行かないの?」

「今日じゃなくて良いだろ。昨日の疲れが残ってるんだから」

「体がなまってるんじゃない? 走り込みに付き合ってあげよっか?」

「余計なお世話だ」

「じゃあ、筋トレ?」

「却下」

「それとも素振り? あ、もしかして……」


 急にクロードが静かになったので、片目を開けて見てみる。

 クロードはシャツのボタンを全て外し、半分脱ぎかけているところだった。


「な、何してんだ?」

「何って……」


 クロードが腰の上に跨ってきた。

 そして、恥じらいながら続ける。


「そりゃ、僕ら恋人同士だし……これが一番の運動かなって」

「なッ」

「安心して。僕に身を委ねてくれたら良いから」


 そう言って、クロードが首筋にキスを落としてきた。


「あッ」


 思わず変な声が出る。


「って、ストップストップ!」

「何?」

「『何?』じゃねーよ! 朝っぱらから何やってんだよ!」

「運動」

「はぁ……」


 大きな溜め息を吐きながら、クロードの胸板を押すように起き上がる。


「もう、行けば良いんだろ。歌劇」


 諦めたように言えば、クロードは真剣な面持ちで応える。


「僕は、このまま続けたい!」

「アホか!」

「君には言われたくない」


 ——トントントン。


 ノックがしたかと思えば、ガチャッとすぐに扉が開く。


「……誰?」


 それはもう、何とも見目麗しい美女が現れた。腰まであるブラウンの髪はウェーブがかかり、大きなやや垂れた瞳は、宝石を嵌め込んだように綺麗な琥珀色。


「エレノア、何でこんなところに?」

「クロードの知り合いか?」


 エレノアと呼ばれる彼女は、俺らの姿を見て衝撃を受けている。


「クロード様……なんてこと」


 はらりと倒れそうになったエレノアを侍女らしき女性が横で支える。


 クロードはベッドからおり、身なりを整えながら紹介してくれた。


「彼女は、エレノア・フリンス。フリンス伯爵のところの御令嬢で、一応僕の幼馴染。シリルや僕と同じクラスだよ」

「何でそんな御令嬢がうちに?」


 首を傾げて考えていると、ハッと気が付いた。


「まさか、この俺に婚約話が?」

「馬鹿なの?」

「馬鹿って言うな」


 いつものように言い合っていると、エレノアが息を整えて前に出た。

 部屋が狭いのもあって、クロードが一歩下がる。


「クロード様。わたくしは、あなたのお父様から言い使って参りましたの」

「父上から?」


 怪訝な顔をするクロードに、エレノアは凛とした態度で言った。


「クロード様の婚約者は、わたくしにすると、妙な男に騙されているクロード様の目を覚ましてくれと、そう言い使っております」

「そうか」


 静かに相槌を打つクロードのシャツの裾をクイクイと引っ張る。


「妙な男って、まさか俺?」


 返事をしてくれないが、そうなのだろう。そして、俺は何となくBLゲームのパッケージを思い出した。


(あ、この子……悪役ポジとして、端の方に描かれてたかも)


 エレノアは、クロード攻略の際に出てくる悪役令嬢の可能性が高くなった。

 悪役というよりヒロインっぽい見た目なのはスルーするとして、俺がクロードを攻略しにかかっていると、この世界が勘違いしたのかもしれない。


 どんな勘違いだよ! 


 と、内心ツッコミを入れつつ、俺は考える。


 これは、ある意味チャンスでは?

 俺は何もせずともエレノアにクロードを奪われて、バッドエンドを迎えられるのでは?


 てか、バッドエンドになって大丈夫なのか? 死だけは回避したい。


(早い内なら大丈夫かな? さっさと返してしまえば間に合うか?)


 それに、クロードにこれ以上遊ばれたら、俺の心臓がもたない。男相手にドキドキが止まらなくなるのだ。


「クロードにこんな可愛い婚約者がいるなんて羨ましいな」

「婚約者は、カイルだよ」

「まだ言ってるし。そろそろ俺で遊ぶのやめろよ」


 クロードの周りから、ドライアイスのように白いモヤモヤが出てきた。しかも、部屋が徐々に凍り始めている。


「寒ッ」


 身震いしていると、クロードに睨まれた。


「カイル。僕は、君で遊んだことなんて一度もないよ」

「馬鹿言うなって。いつも」

「いつも本気だよ」

「は?」

「そりゃ、照れ隠しもあったけどさ、いつも本気。本気で君が好きなんだ」


 クロードは最後にもう一言、自信なげに付け足した。


「カイルはさ、僕のこと……嫌い?」

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