第42話:開戦の狼煙と鉄壁の砦

 静寂を破る、冷たい鉄の音。

 それは、俺たちの村の運命を告げる、開戦の狼煙だった。

 見張り櫓の上にいた俺たち四人の間に、張り詰めた緊張が走る。


「……斥候だ。数は、おそらく三、四人」


 アレンが、闇に覆われた森を睨みつけながら、囁くように言った。

 彼の目は、常人には見えないはずの、わずかな気配の揺らぎさえも捉えている。


「どうする、カイト。俺が出て、始末してくるか?」


「いや、待て」


 俺は、彼の逸る気持ちを、静かに制した。


「奴らの目的は、偵察だ。ここで俺たちが出ていけば、こちらの戦力や配置を、みすみす教えることになる。……罠に、任せよう」


 俺の言葉に、アレンは静かに頷いた。

 彼が、この数週間、丹精込めて森中に張り巡らせた、無数の悪辣な罠。

 今こそ、その牙が、招かれざる客に襲いかかる時だ。


 俺たちは、息を殺して、闇の中を見つめる。

 耳を澄ますと、茂みが擦れる微かな音や、小枝を踏む音が、断続的に聞こえてくる。

 奴らは、慎重に、しかし確実に、俺たちの村へと近づいてきていた。


 やがて、最初の悲鳴が、夜の森に響き渡った。


「ぐわっ!?」


 それは、唐突で、短い断末魔だった。

 おそらく、アレンが木の枝に仕掛けた、麻痺毒付きの吹き矢にかかったのだろう。

 音もなく、一人目の斥候が、闇に沈んだはずだ。


「どうした、マルコ!?」

「返事をしろ!」


 仲間たちの、焦った声が聞こえる。

 だが、返事はない。

 不気味な静寂が、彼らの間に広がる。


「……くそっ、何かいるぞ! 警戒しろ!」


 リーダー格らしき男の声。

 彼らの動きが、明らかに慎重になる。

 だが、それは、さらなる地獄への入り口に過ぎなかった。


 ザシュッ!


「ぎゃあああああっ!」


 二人目の悲鳴。

 今度は、偽の獣道の先に仕掛けられた、振り子式の槍が、その腹を貫いたのだろう。

 凄惨な光景が、残された者たちの脳裏に浮かぶはずだ。


「ひ、ひぃぃっ! ば、化け物だ! この森には、化け物がいるんだ!」

「逃げろ! 早く、頭に知らせねえと!」


 斥候たちは、完全に戦意を喪失した。

 姿の見えない敵、次々と仲間を屠る、残忍な罠。

 その恐怖は、彼らの心を、いとも容易くへし折った。


 残った二人が、慌てて踵を返し、逃げ出そうとする。

 だが、その退路もまた、アレンによって、完璧に断たれていた。


 ドスッ! ドスッ!


 地面から突き出した、鋭い竹槍。

 パニックに陥り、退路を確認せずに逃げ出した彼らは、見事にその罠へと飛び込んだ。


 短い悲鳴が二つ、重なるように響き、そして、森は再び、完全な静寂を取り戻した。

 戦闘は、わずか数分で、終わった。

 俺たちは、指一本、動かしてはいない。


「……片付いた、か」


 アレンが、小さく息を吐いた。

 その横顔には、冷徹な狩人の表情が浮かんでいる。


 だが、これは、まだ序曲に過ぎない。

 斥候部隊が戻らないことで、敵の本隊は、この村が、ただの無防備な集落ではないことを悟るだろう。

 そして、次は、小細工なしの、総力戦を仕掛けてくるはずだ。


 俺の予測は、正しかった。


 それから、一時間ほどが過ぎた頃。

 森の奥から、地響きのような、おびただしい数の足音が、徐々に近づいてくるのが分かった。

 松明の明かりが、木々の間から、いくつも、いくつも、漏れ出してくる。


『赤牙団』の本隊が、ついに、その姿を現したのだ。


「……来たな」


 俺は、静かに呟いた。

 眼下に広がる光景は、圧巻だった。

 五十人を超える、屈強な盗賊たち。

 その手には、剣や斧、弓といった、殺意に満ちた武器が握られている。

 先頭には、一際体躯が大きく、巨大な戦斧を肩に担いだ、傷だらけの顔の男――頭領の、『赤牙のボルガン』だろう――が、立ちはだかる俺たちの村を、値踏みするように、睨みつけていた。


「……へっ。ずいぶんと、立派な砦じゃねえか」


 ボルガンの、野太い声が、夜の空気に響き渡る。


「だが、中にいるのは、たったの数人。噂では、女子供もいるらしいな。……おい、てめえら! 聞いているか、砦の中のネズミども!」


 彼は、大声で、降伏を勧告してきた。


「今すぐ、門を開けて、全ての財産と、女を差し出せ! そうすりゃあ、命だけは助けてやらんでもない! だが、もし抵抗するってんなら、この砦ごと、お前たちを焼き尽くして、皆殺しにしてやるぜ! ギャハハハハ!」


 下品な笑い声が、それに同調するように、あちこちから上がる。

 リリは、その威圧感に、小さく身を震わせた。

 セレスは、固く目を閉じ、祈りを捧げている。

 アレンは、黙って、双剣の柄を握りしめている。


 俺は、そんな仲間たちを見渡し、そして、眼下のクズどもに向かって、静かに、しかし、腹の底からの声を、張り上げた。


「――断る」


 その声は、魔力を乗せたわけでもないのに、不思議なほど、戦場に響き渡った。

 盗賊たちの笑い声が、ぴたり、と止まる。


 俺は、見張り櫓の縁に立ち、奴ら全員を、見下ろした。


「ここを、どこだと思っている。ここは、俺たちの家だ。土足で上がり込もうとする、汚ねえゴキブリどもに、くれてやるものなど、何一つない」


 俺の、あまりにも不遜な物言いに、盗賊たちの顔が、みるみるうちに怒りで赤く染まっていく。

 頭領のボルガンは、額に青筋を浮かべ、ギリ、と歯軋りをした。


「……ほう。威勢のいいこった。その減らず口が、どこまで続くか、見ものだな……」


 彼は、ゆっくりと、巨大な戦斧を掲げた。


「――野郎ども! かかれぇぇぇぇっ!! 皆殺しだぁぁぁっ!!」


 ボルガンの号令を合図に、うおおおおおっ、という、獣のような雄叫びと共に、五十人を超える盗賊たちが、一斉に、俺たちの村へと殺到した。

 大地が、揺れる。

 空気が、震える。


 村防衛戦の、本当の火蓋が、今、切って落とされた。


「アレン! 左右のバリスタを! リリ、セレス! 後方支援を頼む!」


 俺は、即座に指示を飛ばす。


「応ッ!」

「わ、わかった!」

「お任せください!」


 俺たちは、この日のために訓練してきた通りに、それぞれの配置についた。


 最初に火を噴いたのは、俺が操作する、中央のバリスタだった。

 狙うは、敵の先頭集団。


「――喰らえ!」


 俺が引き金を引くと、ゴウンッ、という、腹に響く轟音と共に、巨大な鉄の矢が、闇を切り裂いて飛翔した。

 それは、まるで攻城兵器のような威力で、盗賊団の先頭にいた数人を、鎧ごと、肉ごと、まとめて串刺しにした。


「なっ……!?」

「ぐわあああっ!」


 悲鳴と、驚愕の声。

 だが、攻撃は、それだけでは終わらない。

 左右の櫓から、アレンが操作するバリスタも、立て続けに火を噴く。

 彼の、冒険者として培われた精密な射撃は、敵の指揮官クラスの男たちを、的確に狙い撃ちにしていく。


 数秒の間に、十人近い盗賊が、防壁にたどり着くことさえできずに、命を散らした。

 だが、敵の数は、まだ多い。

 最初の混乱から立ち直った盗賊たちは、仲間の死体を乗り越え、巨大な盾を構えながら、次々と空堀を越えてくる。


「弓兵! 櫓の奴らを狙え!」

「鉤縄を用意しろ! 壁を登るんだ!」


 敵も、ただの烏合の衆ではない。

 傭兵崩れの集団らしく、すぐさま、的確な反撃を開始してきた。

 無数の矢が、雨のように、俺たちのいる櫓へと降り注ぐ。


 ガギン! ギャン!


 だが、その矢は、俺たちが身に着けた、特殊合金の鎧に弾かれ、一本たりとも、俺たちの肌には届かない。


「な、なんだ、あの鎧は!?」

「矢が、通じねえぞ!」


 敵が、再び動揺する。

 その隙を、俺は見逃さない。


「リリ! セレス! 今だ!」


 俺の合図に、櫓の下に控えていた二人が、動いた。

 リリが、壁の隙間から、大量の「ねばねば団子」と「煙玉」を、壁に群がる盗賊たちに向かって、投げつける。

 視界を奪われ、足元を滑らせ、武器を封じられた盗賊たちは、完全に動きを止めた。


 そこへ、セレスの、祈りの声が響く。


「――聖なる光よ、彼の者らの、邪悪なる心を、打ち砕きたまえ! 『ホーリー・スマイト』!」


 彼女の手から放たれた、聖なる光の矢が、混乱する盗賊たちの集団に着弾し、浄化の光で、数人をまとめて吹き飛ばした。

 それは、彼女が、初めて、人を傷つけるために使った、聖魔法だった。

 その瞳には、迷いはなかった。


 俺たちの、完璧な連携。

 それは、赤牙団の猛攻を、水際で、完全に食い止めていた。

 俺たちの村は、まさに、難攻不落の鉄壁の砦と化していた。


 だが、敵の頭領、ボルガンだけは、その状況を、冷静に見つめていた。

 彼は、にやり、と、残忍な笑みを浮かべると、背後に控えていた、一際体躯の大きな、数人の男たちに、合図を送った。


「……出番だぜ、お前ら。あの、忌々しい門を、ブチ破れ」


 その男たちが、手にしていたもの。

 それは、何本もの丸太を束ねて作られた、巨大な「破城槌」だった。

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