第12話:自由の味と辺境への誓い

 王城の門をくぐり、俺は王都の喧騒の中に足を踏み入れた。

 石畳の道を、様々な人々が行き交う。活気に満ちた商人の呼び声、子供たちのはしゃぐ声、馬車の車輪が立てる音。

 その全てが、新鮮な音楽のように俺の耳に流れ込んできた。


(ああ、自由だ……)


 思わず、心の底からそんな言葉が漏れた。

 誰かに監視されることも、命令されることもない。

 自分の足で、自分の好きな方向へ歩いていける。

 たったそれだけのことが、これほどまでに素晴らしいことだったとは。


 背中に感じる人々の好奇と軽蔑の視線も、もはや気にならなかった。

 彼らが何を噂しようと、俺には関係ない。

 俺はもう、あの窮屈な鳥籠の住人ではないのだから。


 腹が、ぐぅ、と鳴った。

 そういえば、追放が決まってから何も口にしていない。

 俺は道の脇にあった、串焼きの露店に足を止めた。

 香ばしい肉の焼ける匂いが、食欲をそそる。


「おじさん、これ一本くれる?」


「へい、毎度あり! 銅貨一枚だよ!」


 懐から銅貨を取り出し、熱々の串焼きを受け取る。

 これは、城での雑用係のわずかな給金から、こっそり貯めておいたものだ。

 誰にも気兼ねなく、自分の金で、自分の食べたいものを買う。

 ブラック企業にいた頃は、食事の時間すら惜しんでデスクで栄養ゼリーを啜るのが日常だった。

 王城に来てからは、勇者たちの残飯処理が主な食事だった。


 ガブリ、と肉にかぶりつく。

 少し硬くて、やたらと塩辛い。お世辞にも上等な肉とは言えない。

 だが、その味は、今まで食べたどんなご馳走よりも美味しく感じられた。


(これが、自由の味か……)


 俺は串焼きを頬張りながら、雑踏の中をゆっくりと歩いた。

 目的地は、王都の北門。

 そこから、俺の本当の旅が始まる。


 街の広場にある噴水の縁に腰を下ろし、俺は水筒の水を飲んで一息ついた。

 そして懐から、街で手に入れた古びた地図を取り出す。


 広大なアルビオン王国の地図。

 その中央に位置する王都から、俺は指で道をなぞっていく。

 目指すは、北東の果て。

『黒の森』と呼ばれる広大な樹海を越えた先にある、未開の辺境地帯。


 なぜ辺境なのか。

 理由は三つある。


 一つ目は、王都から最も遠い場所だから。

 追放されたとはいえ、万が一、気が変わった王国が俺を連れ戻しに来ないとも限らない。

 物理的な距離は、何よりの防壁になる。


 二つ目は、人が少ないから。

 もう、面倒な人間関係はこりごりだ。

 誰にも干渉されず、自分のペースで生きていきたい。

 辺境であれば、そんな俺の願いも叶うだろう。


 そして三つ目は、俺のスキル『万物創生』を最大限に活かせる場所だから。

 何もない土地だからこそ、俺はゼロから全てを作り出せる。

 家を建て、畑を耕し、生活に必要なもの全てをこの手で創造する。

 それこそが、俺が夢見たスローライフそのものだ。


(まずは、北の街道をひたすら進む。途中、いくつかの町や村があるから、そこで食料を補給しながら、黒の森を目指す)


 計画は完璧だ。

 装備は貧弱だが、問題ない。

 道中で素材を集め、『万物創生』スキルでより良いものを作り出せばいい。

 いざとなれば、あの隠された戦闘能力もある。

 野盗や魔物に襲われたところで、返り討ちにできる自信があった。


 ふと、勇者たちの顔が脳裏をよぎった。

 今頃、彼らはどうしているだろうか。

 俺という便利なサンドバッグを失い、さぞかし不便な思いをしていることだろう。


 特に、彼らの武具。

 俺が施した分子レベルの強化は、俺の魔力が供給されなくなれば、数日も経たずに効果が切れる。

 急激に性能が劣化した武器や防具に、彼らはどう対応するだろうか。


 切れ味が鈍った聖剣。

 魔力伝導率が落ちた杖。

 防御力が低下した盾。


 自分たちの実力が落ちたと勘違いし、パニックに陥るタケルの姿が目に浮かぶようだ。

 原因が分からず、苛立ちを募らせるレンの顔も。

 おそらく彼らは、また誰かに責任をなすりつけ、醜い仲間割れを始めるに違いない。


(まあ、どうでもいいことだ)


 俺は小さく首を振り、彼らのことを思考から追い出した。

 彼らがこれからどうなろうと、俺の知ったことではない。

 それは、俺を追放するという選択をした、彼ら自身の責任だ。

 自業自得、というやつだ。


 俺は地図をたたみ、再び歩き始めた。

 夕日が王都の街並みを茜色に染め始めている。

 追放の際に言い渡された「日没までに立ち去れ」という期限が、もうすぐやってくる。


 やがて、巨大な北門が見えてきた。

 門の前では、屈強な門兵たちが、街を出入りする人々を厳しくチェックしている。

 俺のみすぼらしい身なりを見て、門兵の一人が怪訝な顔で近づいてきた。


「おい、お前。どこへ行くつもりだ?」


「北の村にいる親戚を訪ねるんです。旅の者です」


 俺はあらかじめ用意しておいた答えを、当たり障りなく口にした。

 今の俺は、勇者パーティの雑用係ではない。

 ただの、名もなき旅人カイトだ。


 門兵は俺の荷物をざっと検めると、「武器は持っていないな。よし、行け」と、興味を失ったように顎をしゃくった。


 俺は軽く一礼し、門をくぐる。

 そして――。


 目の前に、どこまでも広がる雄大な大地が姿を現した。

 沈みゆく夕日を背に、緑の平原と、遠くに連なる山々のシルエットが、一枚の絵画のように広がっている。

 頬を撫でる風には、土と草の匂いが混じっていた。


 王都の喧騒が、嘘のように遠ざかっていく。


 俺は大きく、大きく深呼吸した。

 体中の細胞が、新しい世界の空気で満たされていくような感覚。


(ここからだ)


 もう、後ろを振り返る必要はない。

 過去は、あの門の向こうに全て置いてきた。

 目の前には、無限の可能性を秘めた未来だけが広がっている。


「ここから、俺の人生を始めよう」


 誰に言うでもなく、そう呟いた。

 その声は、風に乗ってどこまでも飛んでいくようだった。


 ブラック企業で死んだ、哀れな社畜の佐藤海斗はもういない。

 勇者たちに虐げられた、無能な雑用係のカイトも、もういない。


 ここにいるのは、自由な意思で、自分の道を歩き始めた、一人の男だけだ。


 俺は、地平線の先にあるはずの安住の地へ向かって、力強い一歩を踏み出した。




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【あとがき】


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