第8話:見えない改良と見過ごされた価値
「おい雑用! 俺の剣、手入れしておけって言ったよな!? なんだこの様は!」
ある日の昼下がり、タケルが俺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで怒鳴り込んできた。
彼の手に握られた聖剣は、確かに俺が昨夜、丹念に手入れしたものだ。
「何か、不都合でも?」
俺は平静を装って問い返す。
もちろん、彼が怒鳴る理由は分かっていた。
「切れ味が良くなりすぎてんだよ! いつもの感覚で振ったら、訓練用の木人を真っ二つにしちまったじゃねえか! お前、何かしやがったな!」
タケルは、自分のコントロールミスを棚に上げ、完全に俺のせいにしている。
周囲で見ていた騎士たちも、「聖剣のバランスを勝手に変えるなど、万死に値するぞ」「雑用係の分際で、余計なことをするな」と口々に俺を非難した。
(やはり、気づかないか)
俺は内心でため息をついた。
彼らが気づいていないのも無理はない。
俺が施したのは、この世界の常識ではありえない、分子レベルでの改良なのだから。
昨夜、俺は『万物創生』のスキルを使い、タケルの聖剣の刃を構成する金属の分子配列を、より強固で鋭利な構造に再構築した。
見た目は全く変わらない。重さも、重心もそのままだ。
だが、その性能は、もはや別物と言っていいほどに向上している。
ついでに、レンの杖に内蔵されている魔力増幅の魔石も、結晶構造を最適化して魔力伝導率を上げておいた。
アカリの回復魔法の触媒である銀のロッドも、不純物を取り除いて聖なる気の通りを良くした。
ゴウの盾に至っては、表面に衝撃を分散させる特殊な金属層を、原子レベルでコーティングしておいた。
全ては、俺の離脱計画の一環だった。
(これで、奴らはさらに増長する)
自分の実力が上がったと勘違いし、ますます傲慢になるだろう。
そして、強力になった武具を使いこなせず、いずれ必ず大きな失敗をやらかす。
その時こそが、俺が彼らを見限る絶好の機会となる。
俺はタケルに向かって、深々と頭を下げた。
「大変申し訳ありません! 私のような未熟者が、聖剣に触れたのが間違いでした。ただ、いつも通り油を引いて磨いただけなのですが……」
しらばっくれてみせると、タケルはますます苛立った。
「嘘をつくな! この切れ味は異常だ! ……まあいい。次からは、俺の剣に触るな。お前なんかに手入れされなくても、聖剣は錆びたりしねえよ」
タケルはそう吐き捨てると、聖剣を乱暴に鞘に納めた。
(それでいい。俺の手から離れた「ただの聖剣」が、どれだけ脆いものか、後で思い知ることになる)
俺の改良は、あくまで一時的なものだ。
俺の魔力が込められた分子構造は、時間が経てば元の不安定な状態に戻ってしまう。
定期的なメンテナンス、つまり俺のスキルによる再構築がなければ、その性能は維持できないのだ。
だが、彼らはその事実に気づくことはないだろう。
彼らにとって、俺のスキルは「ガラクタを作るだけの役立たずな能力」。
その本質的な価値を、彼らは完全に見過ごしている。
その日の午後、レンが俺を呼びつけた。
「おい、この杖、どういうことだ。いつもより魔力の通りが良い気がするんだが」
彼は鋭い。タケルのような脳筋とは違い、わずかな変化にも気づいたようだ。
「さあ……私には分かりかねます。レン様の魔力が、さらに増大したのではないでしょうか?」
俺がそう言って持ち上げると、レンは満更でもない表情で口元を緩めた。
「フン……まあ、それもそうか。私の才能は日々進化しているからな。お前のような凡人には、想像もつかんだろうが」
彼はあっさりと自己完結し、それ以上俺を追及することはなかった。
自分の力が強くなったと信じ込む方が、彼にとっては心地良いのだ。
(実に、御しやすい連中だ)
彼らは、自分たちの足元がどれだけ危うくなっているのか、全く気づいていない。
俺という存在が、彼らの強さの根幹を、知らず知らずのうちに支えてしまっていることに。
そして、その支えがなくなった時、彼らの見せかけの強さがいかに脆く崩れ去るか、想像もしていない。
それはまるで、前世で俺が担当していたシステムに似ていた。
俺が日夜、人知れずメンテナンスを繰り返し、無数のバグを修正し続けることで、かろうじて稼働していた巨大なシステム。
だが、経営陣はそんな俺の努力を知ろうともせず、「システムは動いて当たり前」と、俺を安月給でこき使い続けた。
そして、俺が過労で倒れた後、そのシステムがどうなったか。
おそらく、致命的なエラーを頻発させ、大混乱に陥ったことだろう。
だが、それはもう俺の知ったことではない。
(同じことだ)
俺は、この勇者パーティという欠陥だらけのシステムから、もうすぐログアウトする。
その後のことは、彼ら自身の問題だ。
数日後、王城に緊急の伝令が舞い込んできた。
王都から数日の距離にある砦が、オークの大群に包囲され、陥落寸前だという。
「勇者たちよ、直ちに出撃し、砦を救うのだ!」
王の厳命が下る。
これが、ゴブリン洞窟以来の、二度目の実戦任務となった。
「オークだと? ゴブリンよりは歯ごたえがありそうだな!」
タケルは、切れ味の増した聖剣を手に、自信満々の笑みを浮かべた。
「問題ない。私の魔法の前では、オークなどただの的だ」
レンもまた、強化された杖を握りしめ、不敵に言い放つ。
アカリもゴウも、不安そうな表情の中にも、どこか自分たちの力への過信が滲んでいた。
彼らは知らない。
自分たちの力が、足元で黙って荷物をまとめている雑用係によって「底上げ」されたものだということを。
そして俺もまた、決意を固めていた。
(この遠征が、最後だ)
この戦いで、彼らの傲慢さと無能さを決定的なものにする。
そして、俺はこのパーティを、完全に「用済み」にする。
俺は誰にも見咎められないよう、旅支度の荷物の中に、密かに集めておいたサバイバル道具一式と、辺境の地図を忍ばせた。
自由へのカウントダウンは、もう始まっている。
俺は、来るべき瞬間に向けて、最後の役を演じきる覚悟を決めたのだった。
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【あとがき】
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