ネコがいる家
スズシロ
事故物件バイトの記録
事故物件バイト
学生時代の夏だった。丁度七月に入った頃だったか。
うだるような暑さの中大学の食堂で涼んでいると、或る友人から一通のメールが届いた。
『高坂、最近どう? 相変わらず金に困ってるなら割のいいバイトを紹介するよ』
「相変わらず」。
不躾な言葉にカチンと来ながらも「割のいいバイト」という言葉に目が留まる。
送り主の友人――滝川は「オカルト研究会」なるものに所属している一風変わった男だった。
口を開けばホラー映画だのオカルト雑誌だの、最近行った廃墟がどうとか心霊スポットがどうとか。
常日頃そんな話ばかりしている、所謂「オカルトマニア」というやつだ。
そんな男の口から「バイト」という世俗的な言葉が出てくるとは。
正直滝川からバイトの誘いが来たのは予想外だったが、私は間を置かずに「詳細求む」と短い返事を返す。
「割のいいバイト」があるというのなら話だけでも聞かねば損だ。
少しでも生活が楽になるのなら。藁にも縋る思いと言えばよいのだろうか。
それほどまでに当時の私は困窮していた。
返信して五分ほど経った頃だろうか。早速滝川から返事が来た。
『良かった。絶対気に入ると思うぜ。今●●にいるからとりあえず●●●●●まで来てくれる? 詳しい話はそこでするから。ああ、念の為印鑑も忘れずに』
●●●●●は大学の近くにある激安ファミレスである。
「詳しい話をするから」と呼び出されたファミレスに行くと、そこにはすでに滝川の姿があった。
テーブルの上にはハンバーグ定食とドリンクバーのグラスが一つ。
どうやら私を待つ間、優雅にランチタイムを楽しんでいたらしい。
「おう、急に呼び出して悪いな」
私の姿を認めると滝川は悪びれもせずそう言った。
「なんだよ、割のいいバイトって」
対面に座って問いかけると滝川はニヤリと笑う。
「住み込みの……いや、住むだけのバイトだよ」
「住むだけのバイト?」
「事故物件って知ってる?」
「ああ、事件や事故があった物件のことだろ?」
「その事故物件に二週間だけ住むバイト」
滝川は鞄をごそごそと漁ると不動産屋の名前が入った封筒を取り出して机の上に置いた。
「事故物件ってさ、告知義務があるんだよね。心理的瑕疵――所謂自殺とか事件があった場合、それが起こってから三年の間は入居者に告知しないといけないの。
だからそういう物件って入居者が決まりにくかったり、入居者を得るために安く賃貸に出されてたりするんだよ。でもたまにいくら安く賃料を設定しても入居者が決まらない物件があってさ。
曰くつきっていうの? 内見に来た人が変な物を見たとか、なんとなく気持ち悪い雰囲気で断られ続けちゃうとか、そういう家。
そうやっていつまでも入居者が決まらない家に二週間だけ住んで、『この家には問題がありませんよ』って保証するためのバイトなんだよ」
「つまり、不動産屋が『前の入居者の方には何も起きなかったので心配要りませんよ』って言うためのサクラバイトってこと?」
「まー、そんな感じかな。知り合いの不動産屋がさ、俺がオカルトが好きだって聞いてたまに回してくれるのよ。
俺は心霊体験が出来て不動産屋は面倒事を回避できる。ウィン-ウィンな訳。
でも今回ちょうど依頼された期間が被っちゃってさ」
「ということは、お前今事故物件に住んでるの?」
「そうだよ。でも安心して。残念ながら一度も心霊体験に遭遇したことは無いから。
ただのお小遣い稼ぎだと思って。本当に住むだけでいいんだ。水道代とか光熱費とか、そういうのは全部大家が負担してくれるし」
「ふーん」
私は目の前に置かれた茶封筒に目を落とした。
中には透明なクリアファイルに挟まれた物件情報の紙が入っている。
「借家か」
築四十三年。なかなか年季の入った一軒家だ。
間取りは一階が風呂、トイレ、洗面所にリビング、和室が一部屋。二階に洋室と和室が一部屋ずつ。
特に変わったところもなさそうな一般的な住宅と言っていいだろう。
家賃は六万八千円。
駅から徒歩二十分だからか、相場と比べると安い方だ。
「ちなみに、報酬はいくらなんだ? 『割のいいバイト』って言うくらいなんだからそれなりに貰えるんだろ?」
「二十万だよ」
「二十万!?」
思わぬ高額報酬に思わず大声が出る。
「二週間だぞ? 二週間住むだけで二十万も貰えるのか?」
「ああ。割が良いだろ?」
「割が良いというか……。そのバイト、大丈夫なのかよ」
あまりにうまい話に不安が募る。もしかしてヤクザとかそういう危ない話が絡んだ仕事なのでは?
そんな私の気持ちを察したのか、滝川は「そんなんじゃないって」と苦笑した。
「ちゃんとした不動産屋の仕事だし、大家さんの心付けみたいなもんだよ。瑕疵物件のままで入居者が決まらないよりは、二十万払って『お墨付き』を貰った方が売りやすいからな」
「そういうもんかね」
「案外効果あるみたいだぜ? 口コミって馬鹿に出来ないんだ」
まぁ、それはそうかもしれないが。
たった二週間でも「前の住民」が居たことに出来るし、その住民が何のトラブルも無く「円満退去」したことに出来る。
事故物件であっても「前に住んでいた方は問題なく暮らしていましたよ」と言われたら確かに少しは入居者の心理的負担を減らせるかもしれない。
「どうだ? やってみないか?」
「うん、やるよ」
事故物件の入居アルバイト。
なかなかない内容だし、好奇心もあって私はすぐにその仕事を引き受けた。
住むだけで二十万も貰えるなんて断る理由がない。
不動産屋が仲介しているちゃんとしたバイトだということと、滝川が「一度も心霊体験に遭遇していない」という前情報があったのも大きかったかもしれない。
幽霊だのなんだのという存在を信じている訳ではないが、やはり恐怖心というものはあるものだ。
◆
私と滝川はファミレスを出た足で不動産屋へ向かい、早速「事故物件」バイトの契約を交わした。
連れて行かれた先は駅前の小さな不動産屋で、滝川自身「本当の家」もこの不動産屋を通して借りているらしい。
その縁でこういうバイトを紹介してもらえるようになったというのだから、人生何が起こるか分からない。
「じゃあ、一応仕事内容を説明するね」
不動産屋の主人は私の前にワープロ打ちの契約書を並べて言った。
「まず、二週間この家に入居して生活をすること。特に定期報告や定時連絡は要らないよ。今までと同じように普通に暮らしてくれればいいから。
家財道具は残っているから自由に使ってもらって構わない。水もガスも電気も、請求は行かないから安心して使って大丈夫だよ。
二週間経ったらまたここに来てくれれば報酬を渡すから」
「もしも二週間よりも前に退去したくなったら?」
「申し訳ないけど、その場合は報酬を渡せない約束なんだ。大家さんとの約束で二週間きっちりそこで生活をしてもらう。そういう仕事だからね」
(おいおい)
つまり、一日でも早く退去してしまえば十三日間タダ働きをしたことになる。
「そんなのアリなのか?」とも思ったが、報酬の欄に書かれた二十万という金額に目が眩んだ。
二週間、そこで普段通りに生活しているだけで二十万も手に入るのだ。
それだけで先ほどまで抱いていた不安や疑問は吹き飛んでしまう。
たった二週間だ。難しい事じゃない。
「どう? やれそう?」
「分かりました。やります」
「じゃあ、ここにサインをして。判子は持ってる?」
「はい」
滝川に事前に持ってくるように言われていたので準備は万端だ。
署名をし、判を押して控えをもらう。
「じゃ、明日からよろしくね」
不動産屋の主人はそう言うとそそくさと店の奥へと引っ込んでいった。
件の物件は通っている大学からほど近い駅が最寄り駅なので、立地的には何も問題がない。
不動産屋との話し合いの結果、早速翌日からバイトを始めることとなった。
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