動きはじめた時間 1

 コレクションルームで肖像画を確認したその日から、アリエルとジェラルドは手分けをして二百年前の資料を調べていた。

 ジェラルドの書斎にあった資料はもちろんのこと、書庫におさめれていた当時の記録が書いてありそうな手記や、そのころの出版物など、とにかく二百年前はどのような時代であったのかを探っていく。

 時計の鍵を持って肖像画が描かれていたということは、当時、特別な時計があったのかもしれないと思ったからだ。


(でも、こうして調べていくと面白いものね)


 この国にゼンマイ式の時計が入って来たのは、今から二百六十年前のこと。

 それまでは時計は一般には普及しておらず、王城にあった日時計で時刻を測り、鐘を鳴らすことで人々に時刻を知らせていたようだ。

 ゼンマイ式の時計が入ってきたことで、日時計などと比べて時計が瞬く間に小型化。懐中時計なども誕生し、人々の間に浸透していく。

 とはいえ、普及しはじめた当初は時計は高級品で、主に貴族の富と権力を見せびらかすためのステイタスとして購入されていたようだ。


 しかし、時計を一度使いはじめると、その便利さがなくてはならないものに変化してき、時計産業はどんどん規模を拡大していく。

 ゼンマイ時計が国に入って来た百五十年後には振り子時計も開発されたが、今知りたいのは二百年前の情報なので振り子時計に関してはスルーで構わないだろう。


「当時時計が高級品だったのであれば、宝と言ってもおかしくはありませんよね」

「そうだな。だが、我が家にそれほど昔のゼンマイ時計があっただろうか……。そんなものがあればコレクションルームに置かれていてもおかしくないんだが」


 確かにその通りだ。

 ル・フォール伯爵邸の中に時計はいくつもあるが、どれも比較的新しい最新型のものだ。年代を感じさせるようなものはなさそうである。

 コレクションルームから出して来た金色の鍵を、アリエルはしげしげと見つめる。


「この鍵の装飾に使われているルビーですけど、結構大きいですよね。価値のあるもの、でしょうか」


 宝石には詳しくないのだが、透明度の高い綺麗な深紅色のルビーは、見るからに高そうだ。

 ジェラルドは頷いた。


「鑑定に出さなければ現在の正しい価値はわからないが、いいものであるのは間違いない。そもそもルビーは、大粒で発見されることが少ない宝石だ。見たところこれは、五カラットは越えているようだし、色合いも美しい。ピジョンブラッドに分類される色と透明感だ。最低でも金貨五千枚からの取引になるだろうな」

「金貨五千枚以上⁉」


 あまりの大金に、アリエルは声をひっくり返して凍り付いた。

 何気なくコレクションルームに納められていたものが、金貨五千枚以上! 恐ろしくてもうこの鍵に触れられない。


(金貨三百枚あれば我が家の借金がチャラになるのに、ご、五千枚……)


 時計とか関係なく、もうこれが姫の宝でいいのではなかろうか。そんな気がしてくる。それは、肖像画に一緒に描きたくなるわけだ。こんなものを鍵の装飾に使うなんて、恐ろしい……。

 ジェラルドがくすりと笑った。


「二百年前と言えば、ちょうど国が財政難だったときだろう。国王夫妻が質素倹約を心掛けている中、貴族が華美な装飾をするわけにはいかない。その結果、貴族たちは身に着けるもの以外にこうした宝石類をあしらい、目立たない贅沢を楽しむのが流行したらしいんだ。このクラスの宝石と鳴れば市場には早々出回らないだろうから、恐らく、姫がこの家に嫁いできたときに持っていた宝石を、鍵の装飾に使ったのだろう」


 そうだとしても、目玉が飛び出るような高価なものをしれっと鍵の装飾になんて……。鍵は綺麗な金色だし、鍵時代も金が使われているだろう。お金持ち、怖い。

 アリエルは思わず鳥肌が立ってしまった二の腕をこする。


(うちの領地にある小さな廃鉱から宝石出てこないかしら。いいものが出てきたら一発で借金がチャラになるのに……)


 今度、領地の廃鉱で何が取れていたのかを調べてみようと、アリエルはどうでもいいことを考える。

 価値の高い宝石なんてそう簡単に出てくるはずがないのだが、無造作に目の前に置かれていると夢だってみたくなるものだ。


「でも、そんな高価な宝石を鍵の装飾に使ったということは、この鍵とペアになっている時計にはそれだけの価値があったということですよね。どうでもいいもの鍵を、こんなに豪華にする必要はありませんから」

「その通りだな。当時、この鍵でゼンマイが巻かれていた時計はとても価値があったものなのだろう。まあ、当時はまだ時計自体の価値も高かったようではあるが、特別だったのは間違いない」

「時計がある場所で、お兄様と遊んだ記憶はないですか?」


 すると、ジェラルドは虚を突かれたような顔をした。


「なるほど、その方向から考えればいいのか。確かに、そうだよな。今までだってそうだったのだから、今回も兄上と関係があってもおかしくない。時計。時計か……」


 ジェラルドが腕を組み、眉間に皺を寄せて考え込んだ。

 その真剣な表情に、思いがけずアリエルはドキリとしてしまう。


(うぅ、昨日おかしな想像をしたから……。いえ別に、おかしくはないんだけど……)


 ジェラルドとの結婚後の生活なんて想像してしまったせいで、妙に意識してしまう。

 冷静に、冷静にと自分に何度も言い聞かせていると、ジェラルドが顔を上げた。


「兄上と遊んだ記憶で、時計が関係していそうなのは三か所、だと思う。玄関ホールにある大階段の踊り場、キッチン、それからこの部屋だ。大階段の踊り場は、そこでボール投げをして柱時計に当てて怒られて、キッチンは小腹がすいたころに兄上とつまみ食いに行った。この書斎は、父上が不在のときを見計らって兄上と探検と称して潜り込んだな」


 男の子って、なかなかいろんなやんちゃをするのねと、アリエルは苦笑する。

 暗号文についてアリエルにはじめて兄シルヴァンからのものだと明かしたときには表情が険しかったジェラルドだが、思い出を語る今の彼の表情は柔らかい。

 暗号を通して、少しずつシルヴァンとの思い出を思い出しているからだろう。


「じゃあ、まずはこの部屋の時計を……と言いたいところですが、あの時計は見るからに振り子時計なので、時代が違いますね」

「そうだな。大階段とキッチンへ行ってみよう」

「はい」


 アリエルとジェラルドがソファから立ち上がると、部屋の隅に控えていた執事がそっと扉を開けてくれる。

 アリエルはお礼を言って出て行こうとして、そこでハッとした。


「あの、執事さんはこのお邸に勤めて長いですよね」

「はい。もう三十五年ほどになりますね」


 執事が目じりにし皺を寄せて微笑む。


「じゃあ、シルヴァン様がこの暗号を作っているの様子もご存じなんじゃありませんか?」


 全部は知らなくても、何かヒントになりそうな情報を持っていないだろうか。

 けれども彼はゆっくりと首を横に振った。


「屋敷の中を歩き回られていたのは知っておりますが、どこで何をしていたのかは存じ上げません。その……シルヴァン様が体調を崩されてからは、私が執務代行をしておりましたので、ほとんどの時間を自室ですごしていたのです」


 なるほど、それならば知らなくても仕方がない。

 他の使用人たちもシルヴァンが屋敷の中を考え事をしながら歩き回っているのは知っていたが、彼のあとをついて回っていたわけではないので知らないそうだ。


(まあそうよね。わたしが思いつくくらいだから、ジェラルドも最初に思いついて使用人たちに確認するわよね)


 アリエルが執事に質問するのを、ジェラルドが笑いをかみ殺すような表情で見ているからそうだろう。一言「すでに俺が訊いた」と言ってくれればいいのに、愉快そうな顔で成り行きを見守らないでほしい。


「では大階段の踊り場へ行こうか」

「そうですね」


 ほんの少し口をとがらせて頷けば、ジェラルドが笑う。


「拗ねないでくれ。君が真剣に取り組んでくれているのが嬉しかっただけだ」

「でも、もう聞いたよって教えてくれてもいいと思います」

「もしかしたら、俺が訊いたのとは違う観点から質問するかもしれなかったからな」

「違う観点でした?」

「いや、同じだった」


 くつくつ、とジェラルドが肩を揺らす。

 ますます口を尖らせたアリエルだったが、ジェラルドがあまりにも笑うので、おかしくなってつい噴き出してしまった。


「ジェラルドは紳士だと思ったのに、意地悪ですね」

「それはすまない。だが、君が真剣なのが可愛かったんだ。許してくれ」


(か、かわ……ッ)


 さらっと、可愛いなんて言わないでほしい。

 かあっと顔を赤くしたアリエルを見てまた笑ったジェラルドが「ああ、あれだ」と大階段の踊り場を指さす。


「あの柱時計なんだが、あれも振り子時計だな」

「はずれですね」


 振り子時計がこの国に普及した年代を考えると、二百年前の鍵とは関係がなさそうだ。


「あとはキッチンだが、恐らくそこも外れだろうな。キッチンに骨董価値のある時計を置いているとは思えない。まあ、一応見てみるか」


 大階段へ向かったその足でキッチンに足を向けたが、ジェラルドの予想通り、キッチンの時計は振り子時計だった。


「全部外れか」

「他に思いつく場所はないですか? ほかに、お兄様と遊んで怒られた場所とか」

「うーん、どうだろう。屋敷の中で他に思い当たる部屋はないと思うが」

「屋敷の外はどうですか? お庭とか。まさか馬小屋はないでしょうが」

「そうだな、馬小屋でも遊んだがあそこに時計は……待て」


 ジェラルドはハッとして、顎に手を当てた。


「……尖塔」


 ぽつりとつぶやく。


「そうだ。尖塔で遊んで怒られて、それから立ち入り禁止にされたんだ。六歳くらいのころだったから忘れていた。尖塔のてっぺんには、時計がある」

「きっとそこです!」


 アリエルが手を叩くと、ジェラルドが頬を紅潮させて頷いた。


「ああ、そこだ、きっとそこに違いない。行こう!」


 気が急いているのだろう、ジェラルドがアリエルの手を取って走り出す。

 思いがけず繋がれた手にドキドキしながら、アリエルも駆けだした。



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