第一章「誘拐殺人事件」

正当防衛①

 調布警察署から祓川晋太郎はらいかわしんたろう服部翔太はっとりしょうたの二名の刑事が現場に派遣された。

 祓川は痩せて幽鬼のような男だ。狐のような顔に、不釣り合いな眉毛が弧を描いている。やたらと太い眉毛が滑稽味を感じさせ、狭隘な性格を覆い隠している。警視庁捜査一課の刑事だったらしいが、ある事件で上司に「お前は馬鹿なのか――⁉」と悪態をつき、青梅署に左遷されたという。青梅署でも持て余したようで、目黒署へと飛ばされ、目黒署にも居場所がなくて調布署に異動になったと聞いた。

 服部は二十代、ほぼ新人刑事と言える。念願の刑事課に配属され、希望に燃えている若者だ。背がすらりと高く、細身で、全身バネのようで身のこなしが軽い。「モアイ」とあだ名されているだけあって、顔が長く、額と顎が出張っていて鼻と唇が分厚い。日本人離れした顔立ちだ。

 損傷の激しい遺体を見て、「うへっ!」と服部が悲鳴を上げた。

 祓川が「ふむふむ」と鼻を鳴らしながら言った。「見た感じ、自殺だな」

「自殺と決め付けるのは、まだ早いのではありませんか?」

「別に自殺と決め付けている訳ではない。見た感じ自殺と言っただけだ」と祓川に訂正された。

「すいません」

 照明のもと、遺体の周りを舐めるように捜索していた鑑識官が、「遺体の近くに包丁と鍵が落ちていました」と包丁と鍵を見せてくれた。

 包丁は何処にでもある三徳包丁に見えた。鍵はプラスティック製の楕円形のキーホルダーに繋がっていた。キーホルダーが大きすぎて、持ち歩くには不便そうだった。キーホルダーは何処かのサッカー大会に参加した記念品のようだった。思い出があったのだろう。

「包丁はともかく、何故、遺体とは別に鍵が落ちていたのだ?」と祓川が聞く。

「さあ。落下の衝撃で遺体のポケットから飛び出したのかもしれません。遺体は、ほら、あそこのマンションの鉄柵を直撃して、ひどく損傷していますから」と鑑識官が答えた。

 他に考えようがない。

「ポケットを探してみます」と鑑識官が遺体のポケットをまさぐった。そして、「携帯電話と財布がありました」と遺体のポケットから携帯電話と財布を取り出した。

 携帯電話は落下の衝撃で破損してしまったようで、電源が入らなかった。

 財布の中味を確かめる。現金とカードの他に、免許証が入れてあった。被害者のものと思われた。

 ――北城大祐きたしろだいすけ

 免許証の氏名の欄に、そう書かれてあった。住所が世田谷区になっていた。ここから、そう遠くないが、マンションの住人ではないようだ。確認する必要があった。

「このマンションの住人ではないようですね。誰かを訪ねて来たのでしょうか?」

「・・・」祓川は押し黙ったまま、免許証を見つめていた。

「どうしましょう? 管理人を起こして、話を聞いてみますか?」

「任せた」

「任せた? えっ⁉ 一緒に行かないのですか?」

「一人で十分だろう。やることがある」そう言い捨てると祓川は現場を後にした。

 陰で「伝説の刑事」と呼ばれているが、いい加減な人だ。こんな人が伝説なのかと思わざるを得ない。

「そんな・・・」呆然と祓川の後姿を見送ってから、服部はマンションへ向かった。

 マンションは「パークフォレスト調布」と言った。セキュリティのしっかりとしたマンションで、エントランスの壁にキーパッドのついた台座がある。暗証番号を入力するか、部屋番号を入力し、中の住人に鍵を開けてもらうと扉が開く仕組みになっている。キーパッドには管理人を呼び出すボタンがあり、何度かボタンを鳴らすと、「ああ、はい・・・何でしょうか?」で眠そうな返事が返って来た。

「すいません。警察です。マンション前の道路で事故がありました。少し、お話、聞かせてもらえませんか?」

「マンション前?」

「マンションから、人が転落した可能性があります」

「えっ! うちのマンションで飛び降り自殺!? それは大変だ」

 ドアを開けてもらい、管理人室で藤本と言う名の管理人から話を聞いた。五十代だろう。頭頂部が綺麗に禿げ上がっている。四角い顔で唇が薄く、小柄だが、若い頃は柔道でもやっていそうな感じでがっしりとした体格だ。

「このマンションの関係者で、北城大祐という方はいませんか?」

「北城さん? さあ・・・住人に北城さんという人はいませんけど」

「マンションの住人でないとすると、住人のどなたかを訪ねて来たのだと思います。誰を訪ねて来たのか分かりますか?」

「さあ? 普通、来客はインターホンで直接、住人の方と連絡を取って、入り口の鍵を開けてもらいます。こちらでは分かりませんね。たまに部屋番号が分からなくて、私を呼び出す人がいますが、今日はそういう人はいませんでした」

 時刻は深夜だ。住人に北城という人物を知っているかどうか、聞いて回る訳には行かなかった。「前の道路に落下したとなると、D棟の住人だと思います」と藤木が言うので、二人でD棟の様子を見て回ることにした。

 二十階建ての高層マンションだ。エレベーターで最上階まで上がり、そこからワン・フロアずつ見て回り、非常階段を降りて行く。一時間かけて見て回ったが、異常は見られなかった。

「明日の朝、みなさんが起きてから確認するしかありませんね」お手上げと言った表情で藤本が言った。

 管理人室に戻る。

「お宅はセキュリティのしっかりしたマンションのようですね。入り口に防犯カメラが設置されているみたいですが」

「ええ、あります。そうか、そうですね。防犯カメラの映像を確認すれば、誰を訪ねて来たのか分かるかもしれませんね。その・・・北城さんでしたっけ、その方が何時頃、うちを訪ねて来たのか分かりますか?」

「さあ? それを調べたいのです。防犯カメラの映像を頂けますか?」

「はい」と答えた時、管理人室のインターホンが鳴った。「また、刑事さんですよ」と藤本が言う。調布警察署から応援の刑事が来てくれたようだ。

 二人の刑事がやって来た。服部の顔を見て、大柄な刑事が「おう、どうだ?」と尋ねた。

「上田さん、今村さん。苦労様です」

 服部は昨夜から今朝までのことを、要領よく二人に説明した。

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