第15話 風雪の墓標、八雲村炭鉱資料館


 岩手へと向かう汽車は、ガタゴトと単調なリズムを刻みながら、雪に覆われた山間の道を北へ向かっていた。


 線路を進むに連れて、窓の外には、厳しい冬の景色が流れていく。

 枯れ木は雪を被り、家々の屋根には厚い雪が積もり、遠くの山々は水墨画のようにかすんで見えた。


 

 怜は、コートの襟を立て、膝に広げたノートに視線を落としていた。

 

 手元のノートには、幾度となく書き直された複雑な数式や図表がびっしりと書き込まれている。


 今回の怨霊調査の先に、『女』の呪縛を紐解く何かが見つかるのだろうか…。


 それともただ八雲村という特殊な一例として調査は終わってしまうのだろうか…。


 怜の頭の中は、期待と不安がぐるぐると渦巻いていた。



 向かいの席では、佐竹が静かに文庫本を開いている。

 米国の作家が書いた戦争を舞台にしたロマンス小説だった。

 怜は、この感情を消して表に出さない無機質な男がロマンス小説を愛読しているとは意外だった。


 怜の隣では、清太が舟を漕いでいる。

 彼の頭は、ガタゴトと揺れる汽車の動きに合わせて、上下に揺れていた。

 疲労困憊の様子で、時折、口元からわずかに寝息が漏れる。

 旅の興奮よりも、徹夜続きの疲労が彼を打ち負かしていた。



 暫く三人がそれぞれの時間を過ごした後、佐竹が小説をそっと閉じ、ブリーフケースへと閉まって、口を開いた。


「お伝えした通り、この季節、廃村となった八雲村への道はとても厳しいので充分に注意してください。予定通り、八雲村の位置する山の麓に位置する岳下村に調査拠点を構えております。研究機材の一式も昨日、搬入は完了しています。そして、村民には調査へ協力するように謝礼も支払い済みです。全面的に協力してくれるでしょう。」


 そして、佐竹はポケットから三つの鍵を取り出すと怜へと手渡し、続けた。


「あと十分ほどで駅へ到着します。そして、そこからは馬車で移動です。これ以降、吹雪の中を移動するので、先にお渡ししておきます。これが、お話した資料館の鍵です。そして、これが資料館内の研究室の鍵。そして、これが宿泊拠点となる家の鍵です。資料館の鍵については、管理人である女性も持っていますが、研究室の鍵は、彼女は持っていません。もちろん、宿泊拠点のものも。」


「ありがとうございます。」


 怜は受け取った鍵を失くさないように、自分のキーケースに繋げるとポケットへとしまい、いくつか村での生活について質問をした。


 佐竹と怜がそられについて話し合っている間、清太は目を覚ますことなくずっと眠っていた。




 とても小さな駅だった。


 駅で下車する人間も、この三人以外に誰もいなかった。


 佐竹がいつものスーツとチェスターコートではなく、セーターにハンティングジャケットという出で立ちだったことも意外だと感じていたが、佐竹が軽い身のこなしで馬に跨がった姿を目にして合点がいった。


 佐竹は早く乗れというように、馬車の入り口へ視線を送った。


 怜と清太はコートの前を押さえ、寒さに震えながらガダガタと馬車へ乗り込んだ。そして、佐竹が軽く鞭を打つと、その逞しい馬は力強い脚で雪道を蹴った。


 道中、一時間ほど走ったが佐竹と馬は休むことなく厳しい雪道を進み続けた。

 怜と清太が乗る馬車の小さな窓からは真っ白な景色が広がるだけで、まるでどこを進んでいるのか分からなかった。



 ガタンッ。馬車が停まった。


 ガタッ。


 いつ馬から下りたのか、佐竹が突然、馬車の扉を開いた。


「さっ。着きましたよ。」


 そう告げる佐竹の顔は寒さで少し赤みを帯びていた。


 馬車を下りると、そこには、雪に覆われた山々を背景に、重厚な石造りの建物が静かに佇んでいた。


 古びたレンガ造りの外壁には、幾つもの小さな窓が並び、その一つひとつに、鈍い鉛色の空が映っている。


 入り口の上部には、煤けた木製の看板が掲げられ、読みづらくなった文字で『』と書かれていた。


 煤けたレンガの外壁には、葉を落とした蔦のつるが、血管のように複雑に絡みついていた。



 佐竹も流石に寒いのか、怜と清太が雪景色に突如現れた建物に呆気に取られている間にも、先に資料館の方へと歩き出していた。


 その足取りは厚く積もった雪の上にも関わらず、草原を歩くように淡々としている。


「あっ!ちょっと待って…」


 怜はその後ろ姿を追いかけた。


「あっ!」


 それを見て、清太も急いで動いたが、案の定、転んで深い雪の上に尻餅をついていた。


 追い付いた怜はゴソゴソとポケットの奥から鍵を取り出そうとした。しかし、佐竹はそれすら待つことなく、扉をぐいっと引っ張った。


 鍵はかかってなかったと見えて、扉が開く。


 寒さを防ぐための二重扉の二枚目も佐竹は開け、ずんずんと中へと入っていった。


 館内に人の気配はなく、灯りも付いていなかった。暗い廊下には、外の銀世界から光が鋭く差しているが、その光も館内では水中に差した光のようにどこかぼやけていた。


 佐竹の後ろ姿は、長い廊下の先へと既に消えており、彼が開いた奥の扉の向こうから灯りが差し込んだ。


 どうやら、奥の部屋に人がいるらしい。


 怜と清太はヨタヨタと佐竹を追いかけた。



 応接室には石油ストーブが焚かれており、とても暖かかった。


 ストーブの上のやかんからは湯気が立ち上ぼっている。


「さっ。ここが資料館の応接室です。」


 そう話す佐竹の隣には、藍色のかすりの着物を纏い、菊のような黄色の綿入れを羽織ったショートボブの女性が立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る