それが答えへの応援コメント
私は今思うと担任が当時の「優等生」に世話を押しつけた「困ったちゃん」でした。
その人は嫌な顔ひとつせず私を受け入れてくれましたが、当然の帰結で、卒業と同時に光の速さで疎遠になりました。
通りいっぺんの「感謝」の気持ち(食べ物を生産してくれる農家の人たちへのそれのような…)はありますが、それ以上の思いはなく、向こうは多分幸せな結婚でもしてかつて「お世話」したクラスメイトなど忘却の彼方だろうな、という感じです。
まあ、カクヨムをささやかに楽しめる程度は幸せな人生で、素直によかったと思うこの頃です。
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
そうですよね。学生の時のエピソードや記憶なんてものは、残したくても消えていく代物ですし。
あまり執念深くしがみついていても、それは過去のことで。
想いの強さは人それぞれと本当に思います。
ささやかでも、幸せな人生を送っていると思える野栗は、こんな怒りとは無縁に生きていただきたいです。
お読みいただきありがとうございました!
それが答えへの応援コメント
解ります。
『私がこれだけ苦労してやってあげたのに、どうして?』と。
否定したい矮小な感情。
けれど、誰もが持ってしまう感情。
それが無くなれば、どれほど楽なことなのか…。
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
『してあげた』のは、私が『したかったから』なのに。いつの間にか他人に責任を擦り付けて自分の機嫌を取ろうとしてしまうんですよ。
人間が感情を持つ限り、逃れることは不可能なのでしょうかね?
お読みいただきありがとうございました!