第15話 また別の日本


「そういえば、在日米軍は動いていないんですか? わざわざ韓国にいたカークを呼び出さなくても、佐世保や岩国に基地があるでしょ。津波の被害は少しはあったかもしれないけど、全滅するほどじゃなかったと思いますよ」

 教会のテーブルでお茶を飲みながら、カークをちらりと見た。

 さっきの恥辱的なシーンをなんとか紛らわせようと、真面目な話を振ってみたのだ。


 五回連続で僕の中に発射した犬は、その後ふらりと寝込んでしまった。

 凛々子がその様子をカークに説明してくれたことで、僕の能力の特性を彼も多少は理解したようだった。


「佐世保や岩国なんて、20年前の話だろ。在日米軍は沖縄を最後に10年前には完全撤退してるじゃないか」

 呆れた声でカークが言う。いや、そんな馬鹿な、という言葉を僕は飲み込んだ。

 やはりこの日本は以前、僕が木村圭一だったときにいた日本ではないようだ。

 多分、僕の外見がサキュバス‐ジュンに変化したところが転換点だったのだと思う。

 あの時、僕はまた別の日本、別の世界に来てしまったのだろう。


「あ、さっき言い忘れていたんだけど、カークさん、ジュンのお尻見ちゃだめだよ。淫乱ケツマン波で、さっきの犬みたいになっちゃうから」

 僕の横で凛々子がさらりとカークに注意した。

「あ、それでか。俺が囚われのときにその手で助けてくれたんだな」

 カークが何度も頷きながら笑った。


 凛々子にしてもカークにしても、僕に助けられた恩があるはずなのに、僕は恩を笑いで返される立場なのはどうしようもないことなのだろうか。

 なんか理不尽なものを感じてしまう。


「さあさあ、できましたよ。冷めないうちにどうぞ」

 昨日救助した女性の一人、増岡久美が大皿をテーブルの上においた。

 ゆで卵や鶏の唐揚が湯気を立てていた。

 彼女は囚われていた女性たちの中で最年長らしく、自然とリーダー的な存在になっているようだった。

 彼女の後ろから、シスター姿の年配の女性も現れた。

「彼女たちから聞きましたよ。命の恩人だと。この集落は養鶏で暮らしを立てていた村だから、鶏ばかりだけど遠慮なくどうぞ」

 微笑むシスターと、その後で会釈する女性たち。

 大災害から一ヶ月。緊張と警戒心に満ちた日々を生き抜いてきた僕の心が、ふっと緩んだ。

 

「こいつはうまそうだな。乾燥食料ばかりで飽きていたところなんだ。ありがたくいただくよ」

 カークは嬉しそうに唐揚げに手を伸ばした。

「あたしも、いただきまーす」

 凛々子も割り箸を開いた。

 僕も、先程の犬の精液だけでは物足りなかったので、ゆで卵一個もらって食べた。


 けれど、少しして、僕は違和感を持ってしまった。

 犬の嗅覚を身に着けた僕には、はっきりとわかってしまったのだ。

 この周辺に全く男の匂いがしないこと。

 もちろんカークを除いてだけど。


 そよぐ風にさりげなく鼻をきかせる。

 外からの風にも男の匂いは全く感じない。

「この村、男の人の気配がしませんね」

 初老のシスターに聞いてみた。


 すると彼女は一つ頷いて、

「この教会はもともと、男から逃げてくる女性の駆け込み寺みたいなものだったんです。そんな女性たちが周囲に家を建てて住み着いて。そんなわけでこの村は女性だけの村になったんですよ」

 僕はソラリムのアマゾネスの砦を思い出してしまった。

 実はアマゾネスの砦も、始まりはこんな感じだったりするのかもしれないな。

 タバサやリズは元気にしてるだろうか。


 食事が済んで、僕とカークはデータセンターの様子を偵察に行くことにした。

 リリーならともかく、今の凛々子は戦闘の役にも立たないし、素早い移動にも足手まといだ。彼女はこの教会に残していくことになった。


「気をつけてね。ちゃんと帰ってきてよね」

 教会を出るときに凛々子が僕の手を握ってそう言った。

 本当なら僕も凛々子と離れたくないのだ。昨日の朝はまだC国軍が侵入してくる前だったからあまり気にならなかったけど、今は状況が変わってしまった。


「凛々子さんも、他の人達も、もし侵入者があったらすぐに避難してくださいね」

 僕はそこにいる女性たちにも向けてそう言った。


「大丈夫、この教会には秘密の地下室があるのです。匿った女性を取り戻しに来た男から隠すためのね。もしものときはそこに隠れますから」

 そう言ってシスターが僕らを見送ってくれた。


 カークと二人村を出て、再び獣道に入る。

 湿った空気を感じる。午後までには雨が降りそうだと思った。


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