『ゴールデン・ドナー』
rinna
プロローグ
夜の病院。
無機質な廊下には蛍光灯の光が冷たく反射し、消毒液の匂いが鼻を突いた。
その一室で、男はひとり震えていた。
額に汗を浮かべ、震える手でカーテンを握りしめる。
ベッドの上に横たわるのは、痩せこけ、目も虚ろな「ドナー」だった。
「……本当に、金を産むのか?」
男の声は欲望と恐怖に濁っていた。
ドナーの体から取り出される血液や臓器は、異常なほどの価値を持つ。
富を、権力を、永遠をもたらす――そう噂されていた。
カーテンの向こうから低い声が響く。
「信じるかどうかは自由だ。
ただし……一度手にすれば、もう後戻りはできない」
男は喉を鳴らし、汗を拭いながら頷いた。
「……構わない。俺は金が欲しい。何よりも……」
その瞬間、ドナーの瞳がかすかに開き、闇の中で金色に光った。
男は息を呑む。
その瞳には、生き物のものとは思えない深淵が広がっていた。
「――始まるぞ」
低い声と同時に、部屋の空気が歪んだ。
黄金に染まる運命の歯車が、静かに動き出していた。
男はドナーの黄金の瞳から視線を逸らせなかった。
そこに映るものは金でも栄光でもなく――終わりなき飢えと、誰かを求め続ける孤独だった。
「……っ」
胸が締め付けられ、息が苦しくなる。
それでも男は目を逸らせず、吸い込まれるようにその瞳を覗き込む。
――欲しいのか。
――力が。富が。永遠が。
誰の声かも分からない囁きが、頭の奥で響いた。
耳ではなく、骨の中に直接刻まれるような声だった。
「……ああ、欲しい。全部だ……!」
男は叫び、震える手でドナーの腕を掴む。
その瞬間、金色の光が彼の掌を焼き、血管を駆け上がった。
「うあああああっ!」
男は叫び、床に崩れ落ちる。
だが苦痛の奥にあるのは――恍惚だった。
カーテンの向こうで、低い声が笑う。
「そうだ……それがお前の選んだ道だ。もう逃げられない」
男の瞳もまた、ゆっくりと黄金に染まっていった。
その輝きは、祝福ではなく呪いのようにぎらついていた。
――夢を見ていた。
黄金に染まる暗闇。
誰かの叫びと、誰かの泣き声。
そして、その全てを飲み込むような、冷たい囁き。
「……っ!」
蓮はベッドの上で飛び起きた。
胸を押さえると、鼓動が異様なほど早く打ち鳴らされていた。
喉は渇き、額には冷や汗が滲んでいる。
「また……あの夢……」
薄暗いアパートの部屋で、蓮は呟いた。
夢に出てくる「黄金の瞳」も、「囁き」も、現実に覚えがあるものではなかった。
それでも、体の奥に深く刻み込まれたような恐怖と既視感を覚える。
カーテンを開けると、夜明け前の街が広がっていた。
灰色の空の向こうに、かすかに朝日が差し込んでくる。
蓮は胸の奥に渦巻く不安を振り払うように深呼吸をした。
「……大丈夫。今日は……匡さんに会える」
その名を口にした途端、心が少しだけ軽くなる。
ただの夢だ――そう自分に言い聞かせながらも、蓮の手はまだ小さく震えていた。
そしてその震えを、これから訪れる運命が静かに告げていた。
午前の雑踏。
通勤客で溢れる駅前の人波の中に、蓮の姿があった。
まだ夢の余韻を引きずったまま、足取りはどこかぎこちない。
「……人混みの中にいても、落ち着かない」
蓮は小さく呟き、胸の奥に残る不安を振り払おうとした。
その時。
ざわめきの中で、一瞬だけ空気が張り詰めた。
周囲の喧騒が遠のき、視線が吸い寄せられる。
人波の向こうに――彼がいた。
黒のコートを羽織り、群衆の中でひときわ鋭い気配を放つ男。
鋭い眼差しは、ただの通行人のものではなかった。
まるで全てを見透かしているようなその視線に、蓮の心臓が跳ね上がる。
「……匡さん……」
まだ名前を呼ぶことさえできないのに、なぜかそう確信していた。
男――匡もまた、人波の中で立ち止まり、蓮を見つめ返していた。
その目に浮かぶのは警戒か、それとも予兆か。
すれ違うだけのはずの一瞬が、運命の糸を強く結びつけていく。
蓮の胸の奥で、不安と共に小さな熱が芽生えた。
それは恐怖にも似ていたが、確かに未来へと繋がる始まりの熱でもあった。
――こうして二人の物語は、動き出した。
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