21.「クリアリーフの森①」


 木々の間を抜けると、ふいに視界が開けた。

 地面はえぐれたように途切れ、小さな崖となっている。

 その下には、夕日を映して赤に染まる川面が、静かに流れていた。


「ここを降りないと、川辺には行けなさそうだな」


 風が枝葉を揺らし、しばしの沈黙が水音と共に流れた。



「箒、持ってくるべきだったか」


 軽く舌打ちをしてスグルは言う。


「えっ、ウィストくん箒乗れるの!?」

「お前、まだ乗れないのか」

「浮くだけならできる……」


 話にならないというように、スグルはため息をついた。


 ——箒術。


 それは一年生の基礎科目のひとつで、授業初日から教えられる「浮遊魔法」の応用だ。

 人を浮かせるのではなく、箒という物体に魔力を流し込み、それを浮かせて操る。

 その上に乗り、姿勢と体重を微妙に制御しながら進むのが基本である。


 だが、浮遊魔法ができるからといって、箒に乗って飛べるとは限らない。

 実際に乗ってみると、風の抵抗や重心の揺れで体はすぐに傾く。

 体重のかけ方ひとつでバランスを崩すため、得意な生徒と下手な生徒の差は極端に出る。


 サクラは、言わずもがな後者だった。

 浮かぶことはできても、前に進もうとすると回転してしまう。

 先週の授業でも、訓練場の防御ネットに突っ込んでしまった。


 飛行免許なしでの学園の外での飛行は、禁止されている。

 緊急時以外は、空を越えて街へ出ることも、他国の空域をまたぐことなども厳禁だ。

 外で事故を起こせば、飛行免許を取る前に退学処分になる。


 

「……足で降りるしかないな」


 スグルがローブの袖をまくり、崖の縁に足をかけて慎重に降りる。

 サクラは不安げに覗き込み、唾を飲み込んだ。

 人間二人分くらいの高さとはいえ、滑り落ちたらまあまあ痛そうだ。


「ちょっと怖い感じがするね……」


 ひとことつぶやくと、スグルが一段下から無言で手を差し出してきた。

 男子として当たり前のエスコートで、緊張するほどの事ではないはずだった。


「ありがとう」

「……」


 その手を取ると、思ったよりも力強くて、そして温かい。

 掌が触れた瞬間、胸の奥がわずかに跳ねる。

 これは緊張ではない。恐怖だと、そう言い聞かせながらサクラは慎重に足を運んだ。

 二人はゆっくりと、崖を下りていく。


 風がふっと止み、遠くで鳥の声がした。

 足元に柔らかい土の感触が戻るころには、空の色はすっかり茜に変わっていた。

 


 川辺には、夕暮れの光を受けて鈍く光る群生があった。

 くすんだ茶色い花——マナリスだ。蜂蜜のような甘い香りが、流れる水音と混じって漂ってくる。

 実家で見るものとは、場所も雰囲気も違うからか、やたら幻想的に見えてしまう。


「この花だよ……」


 サクラが言うと、スグルは花を一輪摘み取り、静かに頷いた。


「始めるぞ」


 杖と、呪術の指南書を構えたスグルの声音が低く響く。


 教科書を用意したのは、昨日の失敗を繰り返さないという強い決意だろうか。

 花びらを媒介に魔力が流れ込むと、ほの暗い色で杖先が光る。



「闇よ影よ、見えざる糸となれ。

 甘き花びらに宿りし記憶を結び、

 迷える者の歩みを示せ。

 導きの灯よ——姿を映せ!」



 相変わらず、一片の言い淀みもないスグルの詠唱。

 

 花弁がふわりと宙に舞い、川面を渡る風に揺られて光を伸ばし、傾いた。

 光の先は、クリアリーフの森の南を指していた。


「……この森にいるのか……?」


 スグルの言葉に、サクラの胸がざわめく。

 許可をもらってここにいる自分達とは違い、ルナナはおそらく許可をとっていない。

 その彼女が、何をしに、この森に。


「嫌な予感しかしないんだけど…」

「行ってみるか」


 スグルが低く呟く。サクラはうなずき、一歩を踏み出した。



 だが、その時。


「っ……!」


 スグルの足元に、突如として複雑な魔法陣が走った。

 青白い光が一気に円形に爆ぜ、空気を震わせる。


「召喚陣……!?」


 サクラの声が震えた。

 陣はあまりにも正確で、光も振動も一瞬で、二人は動く事も出来なかった。


「ミスティか……!」


 スグルが歯を食いしばった瞬間、魔法の鎖のような光が彼を絡め取り、その身体を引きずり込んだ。


 彼は霧に呑まれるように、サクラの目の前からかき消える。


「ウィストくんっ!!!」

 叫んだ声は静かな森に響くだけだった。





 残されたのは、まだ淡く輝くマナリスの花びら。

 サクラは必死に脳をフル回転させ、それを見つめる。

 

 呪術はまだ生きている。光は導くように風に揺れ、一本の糸のように方角を示していた。


「……い、行くしかない、かも」

 

 召喚された人間がどうなるかなんて、サクラにもわからない。

 人を召喚する事は禁忌とされているのだ。

 

(もし失敗したら、召喚されたウィストくんはどうなってしまうの?)

 

 悪い方向に考えが行く。先生を呼ぶべきだろうか、でも、この人探しの呪術は間も無く消えてしまうだろう。

 便り猫を呼んでも間に合わなさそうだ。


 サクラは震える足を踏ん張り、杖を握りしめ、花びらが示す方へ駆け出した。


 目指すは、光が示すルナナのもと。





 マナリスの花びらが示す先は、クリアリーフの森の奥だった。

 走りながら、サクラの心拍数は上がり続ける。


(人を召喚するって、難しい以前に禁忌のはず、やっちゃいけないはず)

 

 通常、召喚には相手の髪の毛や血のような「媒介」が必要で、ましてや人間を呼び出すことなど、リスクも高く、学園でも固く禁じられている。


 ルナナには危険意識がないとラーナ先生は言っていた。だとしたら、禁忌も簡単に侵すはずだ。


(それが出来ちゃう自信があったのかもしれないけど)


 もし、間違えて彼に何かあったら、どう責任を取るつもりなのだろう。

 禁忌が禁忌である意味を理解していないルナナに、サクラは段々腹が立ってきた。

 

 天才にはわからないのだ。失敗した時の事なんて。

 サクラは嫌というほどそれを理解している。失敗のことばかり考えて魔法を使ってしまう。

 それが良くない事も分かっているが、それにしたって。

 

 同じように天才であるはずのスグルは、昨日のことに限らず、失敗をよく知っているように思う。

 暴走によってたくさん嫌な思いをしてきたのだろう、常にリスクを考えている素振りがある。

 


(ウィストくんに何かあったら、許さない)



 学園に入学してはじめて、サクラの中に明確な怒りが沸いていた。



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