第39話ーーふたりの朝、静かな再出発ーー(前編)

窓から差し込む光が、薄いカーテンを透かしてやわらかく部屋を包み込んでいた。

 春の朝特有の、まだ少し冷たい空気。

 それでも凛の部屋は、どこか温かかった。

 小さく寝息を立てる凛の隣で、私はまぶたを開けた。

最初に目に映ったのは、整っていない髪と、頬にかかる一筋の光。

 心臓が、少しだけ速く脈打つ。


 ――この光景を、また見られる日が来るなんて。


 胸の奥がじんわりと温まる。

 昨日までの出来事が、夢のようで、でも現実だと知っている。

 目の前にいる凛の寝顔が、それを静かに証明していた。


 そっと起き上がると、布団の端がかすかに動く。凛がゆっくり目を開けた。

 「……おはよう、彩」

 掠れた声。

 私は思わず微笑んだ。「おはよう、凛」


 しばらくの間、互いに何も言わず、ただ朝の音を聴いていた。

 鳥のさえずり、遠くから聞こえる車の音、そしてどこか懐かしい紅茶の香り。

 凛の家の朝は、私にとって不思議な安心感を与える。


 「起きたら、朝ごはん……作る?」

 凛が小さく問いかける。


 「ううん、一緒に作ろ」

 私がそう言うと、凛は少し照れたように笑った。

 その笑顔に、胸がまた少し鳴る。


 二人でキッチンに立ち、パンを焼き、紅茶を入れる。

 ふと凛が言った。

 「……今日も、一緒に行こっか」

 その言葉に、私はわずかに驚いた表情を見せたが、すぐに頷いた。

 「うん」


 けれど、その返事の裏にはほんの少しの不安があった。

 ――また、冬休み明けの時みたいに冷たくされたらどうしよう。

 そんな気持ちを胸の奥に隠したまま、私はカップを口に運んだ。



 学校へ向かう道には、柔らかい風が吹いていた。

 桜の花はほとんど散り、新緑の葉が淡く光を受けて揺れている。

 通学路には、制服の音、笑い声、春の匂い。


 凛と彩は並んで歩いていた。

 けれど、ほんの少し距離を取って。

 それでも、互いの存在を確かに感じていた。


 「ねぇ、凛」

 「なに?」

 「また……こうして一緒に歩けて、嬉しい」

 その言葉に凛は少し視線を逸らし、前を向いたまま小さく答えた。

 「……私も」


 沈黙が訪れる。

 でも、嫌な沈黙ではなかった。

 冬の間に凍ってしまった時間が、少しずつ解けていくような静かな温度があった。


 校門が見えてくる。

 そして、そこには――見慣れた顔。


 結と翠、それに澪が立っていた。

 私の友人たちは、二人を見つけると、目を丸くした。


 「え、また二人で登校してるの?」

 結が冗談まじりに笑う。


 私は少し焦りながらも、いつもの調子で答えた。

 「たまたま会ってね」


 だがその瞬間、心臓がぎゅっと縮む。

 冬休み明けの、あの冷たい凛の言葉が頭をよぎった。

 あのときと同じ状況。

 ――今度は、なんて言うんだろう。


 数秒の沈黙。

 そして凛が言った。

 「たまたまあったので一緒に来ました。……たまに話すのは、悪くないので」


 私はその言葉に一瞬、戸惑いを見せた。

 距離を置いたような言い方。

 でも、それでも――前のように突き放すような冷たさはなかった。


 「……そうなんだ」


 私は少し笑い、心の中で思った。

 これが今の凛にできる精一杯なんだろうな。

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